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尼僧の懺悔15 最終章

かくして私は、尼僧を、酷く、いい加減にやめた。

大人としてこんな無責任な終わり方はどうなのか、という後ろめたさはあるのだが、そもそも強烈な主従関係のもとに自分の意思を殺して仕えていた時間が長いため、師匠を前にすると私は自分の意見などまったく言えなくなる。
それはある種の洗脳に近く、今となっても師匠の前に行くと、全部をほったらかして尼僧の生活に戻るような気がしている。
もともと尼僧が嫌になった訳でもないし、師匠のことが嫌いになった訳でもない。
すこし信仰に対する資質に欠ける部分はあったが、歳を経て世の中との折り合いをつけられるようになると、そんなことは世の中いくらでもあると分かってきて、うまくやりくりできるような気さえしている。
一度すべてを失ったからこそわかったこともある。許せることもある。
あの頃はただ単に体調と環境が継続を許さなかっただけで、私の中での出家は完全に終わっていないのだ。
それが故に、私は師匠に会いに行っていない。


私が順調に普通の社会に適応していった数年後、遠距離恋愛していた例の彼は結婚し、そして半年ほどで離婚し、坊さんをやめたと聞いた。

私と別れた後は、由緒正しき大きい寺の娘さんと結婚し、出家としては理想的な順風満帆の人生を送っているはずだった。
しかし、夫婦仲が良くなかったのか、舅である現住職と合わなかったのか、最終的には体調を崩して離婚にいたって、結局坊さんまで辞めたという。

天網恢恢疎にして漏らさず。
結局、天罰は等しく、彼と私に当たった。

罰を食らっておいてなんだが、私は腹の底から笑い、転げた。
巻き込んでしまった例の彼には甚だ申し訳なかったが、私をあっさり捨てて行った分を神様が回収してくれたと思うと、それも適正だったのではないのかという気分になった。


あっぱれ、神も仏も確かに御座し坐す

すべてを失ったけれど、私はとても大切なものを得た。
出家ではなくなったけれど、それと引き換えに、わずかではあるが信仰を手に入れることができたのだ。
辛かった時間が、消えるような気がした。
誰にもわかってもらえないとは思うが、当たれば当たれと思っていた罰が長い年月を経て自分と相手に届いたことに、酷く安心した。


二十歳で出家してから、もうすぐ20年がたつ。
今では坊さんでなかったほうの時間が長くなり、すべてが思い出になりつつある。
5年ほどかかったが病気も落ち着き、逆流性食道炎とも折り合いがついて、服薬がいらない程度に回復した。
お経も法式も作法も忘れた。出家であったことを知る人も周りにはほとんどいない。

あれから色々なことがあって、私はすっかり普通の人になった。
友人の紹介で出会った同じ年の普通のサラリーマンと結婚し、子供まで産んだ。
育児も家事も飽きっぽい私には向いていないようで、かなり適当である。
しかしそれを許してくれる旦那の資質を見込んで結婚したのだから、結婚は成功だったのだろう。
とりあえず、今日、今のところは。


この先、神仏がどんなふうに罰を与えるか、与えないか、それもわからない。自分が気が付いていないだけで、じわじわ破滅が近付いているのかもしれない。

しかし破滅がやってきても、私はきっと笑っているのではないか。
あっぱれと、笑うのではないだろうか。
怖いものがないという不幸を、笑うのではないか。
色々な概念や枠がぶっ壊れたまま、走り続ける自分を笑うのではないか。

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