いぬのかたちをした愛
2020年、1月27日。
雪が降る真っ白い夜の中、虹の橋を渡っていった、小さくて尊い命。
あれから3年が経った。
今でも、思い出せば会いたくってさみしくて涙が出て、愛おしくって、かわいくってしょうがない、愛犬まろんのこと。
まろんは、わたしが小学5年生の時にわが家族の一員となった。当時やっていたテレビ番組「ポチたま」をみて犬を飼いたくなり、父の許可を得るために「ちゃんとお世話します」という内容の手紙を毎日書き続け、そんな嫌がらせ手紙攻撃を1ヶ月ほど続けた末に、やっと許可が降りた。後に聞いた話によると、母は父に土下座をして頼んだらしい。当時のわたしはひどく内気な性格で(今もだけど)、犬を飼うことによって変わるんじゃないかという母の祈りのような思いもあったみたいだ。
まろんと初めて会った日のことはいまでもよく覚えてる。
ある土曜日、父は仕事だったので母の運転で今は無きペットショップーぽちプラザへ行き、兄弟たち数匹といた茶色い小さなトイプードルの男の子。膝の上に抱えたときの小さな小さな姿を今でも覚えている。
散歩が大好きで、ままっこで、わたしは家族の中で母の次の存在だったけれど、
帰るたびに、全力で尻尾を振って駆け回って、喜びを伝えてくれるその愛おしい姿
小中高~大学~社会人になるまで、常にそばにいてくれた、一番近くで過ごしてきた。愛おしくてかわいっくって、かけがいないの宝物だった。まろん。
愛おしくて、大切で、かわいくってしょうがない。
まろんが亡くなって、胸が張り裂けそうなほどに悲しくて、涙があふれてやまないのは、かわいくって愛おしくってしょうがないからだ。
まろんの最期の瞬間、たくさんありがとう、ありがとうと泣きじゃくりながら、精一杯叫んだ。
家族が帰宅して揃うのを待つかのように、夜8時ごろ、母の腕に抱かれ、静かにその時はやってきた。
魂が抜けていく最期の瞬間、
思うことは、ただありがとう。それだけだった。
我が家族の一員になってくれて、ありがとう。
たくさんの尊い時間を過ごしてくれて、ありがとう。
泣きじゃくりながら、ありがとう、ありがとう、と精一杯叫んだ。
2020年1月27日 まろんは虹の橋を渡った。15歳だった。
あれから3年が経ち、時間が少しずつ悲しみを癒し、あたたかい気持ちでまろんのことを思い出せるようになるとともに、思い出すことも減ったけれど、
あの、胸が張り裂けるほどの悲しみを、身を切るような痛みを、二度と忘れることはない。
そして心に誓ったことがある。
どうぶつは話すことはできないから、この家にきて幸せだったのかなんてわからない。
わからないからこそ、最期の瞬間、一切の後悔がないように、
精一杯の愛情をたっぷり惜しみなく与え、世界一幸せなペットにしてあげようと思った。
現在、うさぎと猫が2匹、わが家族の一員となっている。
過去も未来もなく、ただいまを生きている。
そんなどうぶつたちとの暮らしから、計り知れない安らぎをもらっている。
いつか必ずやってくる大きな悲しみを受け入れる覚悟と責任を持ち、
その瞬間、与えてもらったもの以上に愛情を与えられたと、決して後悔したくないから、最期はごめんねじゃなく、ありがとうと精一杯、伝えられるように。
それが、自分に与えられた使命であり、まろんが教えてくれたこと。
たくさんの愛を与えてくれた。
命の尊さと儚さを教えてくれた。
その小さくてかわいい存在は、いつだって家族を繋いでくれた。
まさに、いぬのかたちをした愛そのものだったんだなあ。
いぬの形をした愛は、今もわたしの中に生き続けている。
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