優しい夢と嘘と声よ

卒制おわったぞーーーー!!!!!
卒制が終わった終わった終わった終わった
終わったぞーーー!!
いうても1ヶ月半前の話ですけども。

ようがんばった ほんまようがんばった
毎日学校に朝まで残ってうちへ寝に帰るだけの生活
もうおさらばです さようなら
大学の4年間でいかに心に余裕を持って生きることが大切かを学んだ。
大学生活の中で課題でいっぱいいっぱいになって友達に棘のある心を向けてしまったとき、とうとう自分は心が死んでしまったんだと悲しくなった。今まで優しいねと言われ続けてきた人生だったから、アイデンティティの喪失と言っても過言ではないぐらい大きいダメージを受けたし、こんなに簡単にダムが決壊してしまうんだというのもショックだったな。今までの優しさはハリボテだったのか〜と。
でもその変化には悪くない部分もあって、高校の頃よりも何か頑張れるもの(頑張りたいと思えるもの)を見つけられている自分がいると気づけた。高校までの自分は魂を削って取り組んでいるものがなかったから、プライドもなかった。プライドがないと大抵のいじりはヘラヘラしてやり過ごすことができたし、その頃の親しみやすさと丸さは当時の自分の良い所ではあったと思う。しかし良くも悪くもな〜んも考えてなかったんだよな。
今の自分は前よりも許せない友達の言葉とか態度が増えた。ツレないやつになったかもしれないけれど、それは前よりも自分の中に基準を立てて考えられるようになってきた証拠だよなとも思っている。自分の中に軸を持ちたい。誰かの言動で嫌な気持ちになった時、その場をやり過ごすために自分の心をなあなあにしてなかったことにする人間になってはいけないと思う。直接相手に気持ちを伝えることは難しくても、せめて自分の中で消化できるように、自分が自分の心を守ろうとする意識は持ちたいと思っている。
もうひとつ、無闇やたらに優しくすることは自分の首を絞めることに繋がるねということもわかった。私が誰かに優しさを向けられるのは自分の心に余裕がある時だ。自分の心の余裕を第一にすること(できるだけ)を忘れないように生きていきたい。

卒制を終えてからというものの、体調が悪い日が増えた。今までのツケが回ってきたのかもしれない。
削った睡眠時間はどこへ行くんやろな〜とか考えつつとりあえず今はやるしかない の連続で、おそらくかなりの積み重ねがあったんだと思う。卒制から解放された生活は確かに穏やかやけど、意外とやることも多いし誰かと話す頻度も減ったし、暇な時間が増えた分嫌なこと色々考えちゃうな〜という感じ。精神状態は意外と卒制期と大差ないかもしれない。忙しくてもダメ 暇でもダメ これからの人生、自分は自分とどうやって向き合って生きてどんなババアになってしまうんだろう え〜ん ただただ不安だ
とにかく食生活 部屋の掃除 睡眠 しっかりしていこうね

卒制は学科の中で3人しかもらえない賞を貰った。先生いわくその3人の中でも一番だったらしい。
嬉しいな〜と思っている反面、私がもらっていい賞ではなかったよなと思っている節もある。こんな贅沢な悩みイヤミみたいで良くないよなと思いつつあんまり喜べてはいない
正直私よりよっぽど作り込んでプロセスもコンセプトもしっかり筋が通っていていてすごいな〜と思う人がたくさんいるのに???と思っているし、周りだってそう思ってるだろうな〜と感じているから。わたしが作品づくりにおいて尊敬している子が「賞の基準がそこなんだって思っちゃったしそういう決め方をする先生たちのこと軽蔑したし、そんな人たちに賞もらえなくてもいいやってなった」という話をしていて、やっぱり納得してないよな〜と思ってしまった。賞を取った人間の前でそういう言い方しちゃうのは向こうが良くないし自分は気にしなくていいんだよ!!!と言い聞かせたけれど、1ヶ月半経った今でもここに書いちゃうぐらいなのでめちゃくちゃくらっているんだよな
自分だって賞を取れるなんてはなから思ってなかったし、実際卒制は卒業するためだけのものだと思って取り組んでいたし、賞に不相応なのはわかってるから棘のある眼差しを向けるのはやめてよ;;と思っている 授与式の日がかなり嫌
2年生の頃もにもありがたいことに制作で学科1位をもらったことがあるけれど、1位って自分の性に合ってなさすぎるなというのが正直な感想だった。全員から自分が一番上だと納得してもらえることはないだろうし不服に思っている人もいるだろうに、そんな人がいる前で胸を張るのは気が引けるから。当時は1位をもらうために頑張ってたけど、終わった後にはもうこんな思いしたくないとさえ思って恥ずかしくなった。
大3の頃に私たちの制作の面倒を見てくれていた先生が異動になって、そこから学科の方向性が変わり始めた。厳しく指導する先生がいなくなってかなりレベルが落ちたなと感じたし、指導する先生次第でこんなにもポテンシャルを引き出せるかが変わってしまうのかと後輩の作品を見て思った。私が卒制でつくった作品は他の人とは毛色が違うもの(アニメーション)だったし賞を取るに値するクオリティではないと自分でも感じていたから、選ばれた時は「自分も学科のレベルの低下を表す指標になってしまった」と思った。自分でも痛いぐらいわかるから賞に納得がいってなさそうな人の言葉を聞くともどかしくなった。時間をかけて消化していくしかないんだろうけど、今はただなんとも言えない気持ちになっている。でもそういう棘のある言葉を聞いた時に代わりに怒ってくれた(直接ではないけど)友達が居たことはかなりの救いだった。この違和感は怒って良いものだったんだなと気付かせてくれた。
この4年間で成長できたことはたくさんあったけれど、競争がより一層嫌いになった。高校まで文化部で生ぬる〜く生きてきたせいかもしれない。危機感持った方がいいらしい。
仲良くしたい友達から「私を打ち負かしてやろう」という闘志が見えた時、やってやるぞの気持ちよりも悲しさが先に来る。それに向き合えないのは自分の自信の無さのせいかもしれない。

これはまた別の話だけど、自分が好きでやっていることの表面のうす〜い部分だけコピーされたと感じる瞬間とか、私が好きで関わっている人の間に割り込んで私より仲良くなってやろうという雰囲気を感じた時、趣味とか人間関係ってそういうもんじゃないだろ、と思ってしまう。多分うまく書けていない。大学に入って初めてそういうことをしてくる人と出会ってありえんぐらい嫌悪感があった。苦手だと感じる人はいても嫌いだなと思う人はいなかったけど、その人だけはめちゃくちゃ嫌いだという言葉がしっくりきた。
味方だと思ってたけどある時急に敵になるひと、防御のしようがなくて一番ストレスが溜まるらしい。もう関わらないと思うとかなり嬉しい。
書くの疲れてきたな おわる

このプラットフォームでボヤき始めて2年ぐらい経つと思うけど、自分は自分の中で完結する日記ではダメで、誰にもみられたくないけど誰かに聞いて欲しくて、どっかの知らん誰かがもしかしたら見るかもな〜〜ぐらいのフィールドがちょうど良くてnoteでずっと書いている。多分これからもここで喋り続ける 

わたしへ 大学卒業おめでとう

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