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Be My Eyesで視覚障害者さんと繋がったこと。

Be My Eyes というアプリをご存知ですか。

視覚障碍者さんの日常生活上のちょっとした不便を
ちょっとした時間で、気軽に手助け出来るという
とても画期的なアプリです。

私もSNS繋がりの方の投稿で初めて知りました。
さっそくDLして、、、


DLしたことも忘れていた頃に
(といっても3日後だった)
Be MyEyesから発信があったのです。

恥ずかしいことに
進んで対応したというより
寝起きでボーっとしていて
何気なくタップして応答してしまったという。

相手(視覚障害者さん)と繋がった瞬間に
サアアアアアアアアっと目が覚めた。

「ど、どうしようホントに繋がったァアア!!!」
「でもここでブチっと切ったら!!!!」
「画面向こうの人どうなるの!!!」
「はわわわわ!!!!」

大キョドりしている私をよそに
向こうの画面は静かで
しばらく部屋の天井が写っていました。

パッとテーブルの上に切り替わり
品の良さそうなお婆さんの声。

「もしもし、もしもし、すみません。
 私は目が見えないので教えて頂けますか」

「これは、ぜんぶ電池でしょうか?」

iPhone画面には時計用の電池が3個映っています。

「はい、電池です。全部同じ型番の電池です」
とっさに、自分でもびっくりするくらい大きい声で伝えていました。

「そうですか、ありがとうございます。
 では、これはランチョンマットでいいですか?
 どういう柄のものでしょうか?」

画面にはベージュ地にキャンディの絵が描かれた
ランチョンマットが置かれていました。

「そうです、ランチョンマットです。
 ベージュ色でキャンディの絵が描いてあります」

「、、、あら、そうですか、、」

ん?なんだか困惑しているような、、、?

「では、この下にあるのはどういう柄のものでしょうか」

また同じランチョンマットが出てきました。
そこで私はハっとしたんですよね。

同じ地色で同じ柄ですが
縁取りの色が、青と赤で違っていたのです。

私は自分が見えているから
伝える情報は「見えている」前提で
伝えてしまっていた事に気が付きました。

あわてて
「上にあるマットの縁取りは青い色ですが
 今触ってらっしゃるマットの方は赤い縁取りです」
と伝えました。

すると、お婆さんは
「ああ、そうですか、良かった、やっぱり」
と独り言を話されて
「ありがとうございました、助かりました」
と御礼ののちに通信は切れました。

見えている私が伝える情報と
見えていない方が欲しい情報は全く違う。

相手が知りたい部分を伝えないと意味が無いのだ。

これを書いていて気付いたのだけれど
わたしは家庭でも仕事でも友人関係でも
「優しい自分」になれたことに満足して
相手の「こうして欲しい」の気持ちを
全然知ろうとしていなかったかも。

なんだかガーーーンだ。

それでも今回こういう形で
視覚障害者の方と関われたことは大きな経験になった。

もし次にコールが来たら、次はがんばろう!!
何を頑張るのかよくわからんが、、、。

そして以下私が勝手に思ったこと。

このツールを使えば、大人でも子供でも、ヒキコモリで罪悪感から死にそうになってる人とか置いていかれる切迫感だの強迫観念だの「うおおおおお俺は最低の人間だ!!!」の状態から、全く何も査定されない無の状態で人と関われる(しかも自分について一切問われず更に感謝までされるという、こんな俺のままでも生きてていいんだ爆誕)シーンが生まれるってことだ!突然終わるから負担にならないってのも最高だ。

どんな障害がある人も、お互いが良い形で外の世界と繋がれたらいいよね。支え合えたらいいよね。

もし、外の世界が遠くて怖いと思っている人がいたら、こういう形で「社会と繋がる」ってことも出来るよ~!!となんか伝えたくなっちゃった。

以上、アラサーでヒキり更に自分を追い込まなければという謎の使命感から手芸ハサミで坊主頭にしたエリがお伝えしました。現在はフッサフサのアラフィフです。

そいではまた!

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