「繊細なんです」は「私は自分の気持ちに繊細なんです」ということなんだな。
ふと思ったのだが、HSPなど繊細病な方達は戦争に共感覚を持たないのだろうか。それだけ繊細なら、今日この一日だけでも狂ってしまうほどの恐怖と絶望が押し寄せていると思うのだが、、、。
今回のウクライナ侵攻以前にも沢山の戦争・内戦・殺傷事件がある。そういうものには共感覚を持たないのだろうか。人間同士の無益な争い、、、鈍感な私ですら耳を塞ぎこみたくなる憂鬱を感じる。
犬も歩けば繊細に当たる、戦争が始まったとたんに倒れこむほどの人があちらこちらで出そうだが、、、ニュースでも私の周りでもそういう人は全くいない。
ここまで書いてお気づきだと思うが、わたしは自称繊細さんが苦手だ。
と何気なくFacebookに書き込んだら、同じことを思っていた人が多いらしく、じっさいこんな本まであるという事を教えて貰った。第一人者が言い切ってるというのもどうかと思うが、、、。
私の経験からすると、自称繊細な人はただ傷つきやすいのではなく、自ら傷つきに行っているように思える。
私はずっと疑問だった。
そんなに繊細なら、どうして目の前の人の気持ちに気付けないのだろう?
あなたが喜々として自然や地球や自分の痛みを語っている時に、仕事を邪魔されている私の迷惑な気持ちに何故気づかないのだろう。
それは私が思い違いをしていたのだ。私は今まで繊細な人は共感覚で苦しんでいるのだと思っていた。例えば泣いている人がいたら、その人の泣きたい気持ちが苦しくて辛くなる、、、というように。
しかし「繊細さん」は、泣きたい人の気持ちが苦しいのではなく、それに苦しい自分が苦しくて辛いのだ。相手の苦しみがツライのではなく、自分の苦しみがツライのだ。当たり前のことだから、ナンのこっちゃと思う人もいるかもしれない。そう、繊細さんとは誰もが抱えている当たり前のことなのだ、、、。
そしてこれは私個人の考えだが、本当に繊細なのは自閉症だったり分裂症など身体感覚の繊細さを持っている方達、そしてその身近にいらっしゃるご家族の方達だと思う。生死をかけて繊細にならざるをえない方達だ。この文章を読んで、うるせー違わい!と当事者の方達が思っていたら申し訳なく思う。
毎日拝読しているnote↓
お父さんの体調が心配だ、、、
「繊細」という言葉は、それが本当に必要な人達のために使われる言葉であって、自己主張の安売りで消費されていくものでは無いと思うのだが。
「HSPという個性を活かしてセラピスト」という人も多いが、基本自分のことにしか繊細になれない繊細さんに何かを話したら、自分語りが延々と始まるのは目に見えている。HSPはHSP同士で盛り上がるのが好きなようなので、それはそれで周る商売なのかもしれないが、、、。
また現実的な所で言うと、食べ物・香り・感覚などで苦手なものが多い人は、不快を処理する肝臓が弱っている人が多いそうだ。
たんぱく質をしっかりと取ることで改善されるそうなので「年々苦手なモノや場所が増える=繊細」という方は、まず体質改善から試してみては。
ちなみに、残留農薬を気にするよりもコーヒー酒タバコを止めた方が、内臓・体には良いそうだ。私の父にも言い聞かせたいところだ。
これを読んでいるHSPの方で不快に思われる方もおられるかもしれない。申し訳ないな、と思うけど
私は繊細だからこれくらいは許して欲しい。
つちのと
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