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開運ぞろ目テンシャビ一粒御利益御利益って南無阿弥陀に似ている。

今日はなんだか縁起が良い日だそうです。近くの神社も交通規制が入るほどの盛況っぷり。凄いですねえ。

私はこういうのに全く興味が無いのですが、信じるものは救われる、開運開運ぞろ目テンシャビ一粒御利益御利益ありがたや〜って、浄土宗の南無阿弥陀仏っぽいなと思いました。

浄土宗の場合は、感謝を伝えることで信仰が深まり、修行を行っていない一般の人でも極楽浄土に行けるという思想で念仏を唱えます。
南無阿弥陀仏と唱えれば唱えるほど仏の願いに近づき、平和な暮らしができると説いています。

どんな未熟な私でも成仏できます幸せになれますだから安心して下さあい、に昔の人も救われていたのだなあ。

西洋宗教にもこういうのあるのかな?神様の感覚が全く違うので、知っても理解出来無さそうだが。。。

猫宗。


私が小さかった頃、ユーレイや夜の天井の隅っこ、不穏な雨シミなどにぶぶぶわと恐怖心を煽られ怖がっている時「南無阿弥陀って言えばユーレイ消えるんだ!」とアッチャ(祖母)に教えられていました。

今になって知れば

ユーレイがいなくなるのではなく「無明の闇」つまり恐れの中で「己の心の現れが生み出したもの」であり、それを正すこと(南無阿弥陀を言うこと)で、己の不安が消える=闇(ユーレイ)がいなくなる

というカラクリが有ったんですね。アッチャちゃんと言ってよお。(うちは浄土真宗)

戦前大正生まれくらいの人は皆そうだったようにアッチャは信仰深く、農閑期になると三十三観音詣りに行ったり、お宮に行ったり。

両親がとても忙しかったので、お寺に行くアッチャにかだって(連れられて)行くのが私達姉妹の唯一のお出かけでした。

開運御利益には無縁だと思っていた私も知らず知らずのうちに開運作業していたという事でしょうか。。。


ちなみに法然上人についてはこちらが読みやすかったです。こういう人が千年に一度は出てくるのだろうか。出てきて欲しい。

ここまで書くと、私が信仰深いと思う人もいるかもしれませんが、全くそんなことはありません。数年前まで自分の家の宗派も知らなかったくらいだ。

畑の農作業中にこちらのPodcastを聴くようになって、お盆とお葬式くらいしか縁の無かった宗教に、色々な世界がある事を初めて知ったのです。

私にとって宗派や教えの違いは「国が違う」みたいなもので、時々に様々な国に旅をする。その国での出会いや感動を積み重ねて、また自分の家に戻る。

私はどこの国の住人にも成れず、その国の根源や本質、そこから生まれる苦悩、或いは喜びにも辿り着けません。

ただ観て聴いて知るだけで、いつか死んでいく。それも良いなあと思っています。

それでは、また〜。

つちのと

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