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信州戦争資料センター 中の人の思うこと、やってきたこと

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信州戦争資料センターは戦時体制下にあった日本の姿を、所蔵資料で公開し、見ていただいた方に後はおまかせするのが基本ですが、世の中の動きに黙っていられないときもあります。そんな、通常…
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#戦時下の生活

教育勅語? そんな過去の亡霊は、もういらないね

 最近、教育勅語を職員研修に使っている首長がいると聞きました。まあ、ものごとを知らないから、権威にすがらないと部下を指導できないから、明治政府の作ったシステムに頼るだけなのではないでしょうか。  ところで、大日本帝国憲法が発布されたのは1889年(明治22)年。「大日本帝国は万世一系の天皇之を統治す」「天皇は神聖にして侵すべからず」で始まり、天皇を君主として明確にしました。教育勅語が出されたのはその翌年、1890(明治23)年10月30日のことです。教育方針について長官会議で

「外交は機能しているのか」との91年前の問い掛けが、今にも通じる情けなさ

 長野県の地方紙「信濃毎日新聞」で戦前、主筆を担った石川県出身の桐生悠々(1873‐1941)が1933(昭和8)年8月8日の信濃毎日に書いた評論「強迫観念に脅かされつつある日本」を紹介します。  この評論は、意外にもあまり注目されておらず、3日後の8月11日に書いた「関東防空大演習を嗤う」がはるかに知られていて、この評論をきっかけに県内の在郷軍人でつくる「信州郷軍同志会」が陸軍の後ろ盾もあって信濃毎日新聞に不買運動を用意して圧力をかけ、結局桐生が退社することになってしまい