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信州戦争資料センター 中の人の思うこと、やってきたこと

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信州戦争資料センターは戦時体制下にあった日本の姿を、所蔵資料で公開し、見ていただいた方に後はおまかせするのが基本ですが、世の中の動きに黙っていられないときもあります。そんな、通常…
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#治安維持法

憲法記念日に、あらためて「大日本帝国憲法」を読んでみた

 大日本帝国憲法は、天皇が臣民に与えた形をとる「欽定憲法」です。ですから、最高権力者である天皇が、こんな風に国を運営せよと指示した文書ともいえるわけです。下写真は、金権腐敗が横行していた戦前の選挙について、正しく行うよう訴えた1935年発行の冊子の表紙で、1889(明治22)年の憲法発布式の様子です。  では、その憲法の中身を見てみます。こちらは秋田魁新報第二号付録で1889(明治22)年2月16日刊行の大日本帝国憲法です。発布が11日ですから、当時の印刷通信事情を考えると

国民の政治参加は選挙だけじゃないんだぞって、声を大にして言いたい

 こちら、1929(昭和4)年6月1日発行の月刊誌「戦旗」です。労働者向けの月刊誌で、昭和恐慌で不景気のさなかの発売でした。丁寧にカバーがかけられ、保存状態良好です。  下に示ししたグラビアページには、メーデーの様子が載っています。1925(大正14)年に男子普通選挙の実現と抱き合わせで制定された治安維持法が、1928(昭和3)年には田中義一内閣の下、最高刑を死刑とする改悪がなされています。そして翌年の1929年3月5日には、治安維持法反対を貫いていた労農党代議士の山本宣治