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信州戦争資料センター 中の人の思うこと、やってきたこと

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信州戦争資料センターは戦時体制下にあった日本の姿を、所蔵資料で公開し、見ていただいた方に後はおまかせするのが基本ですが、世の中の動きに黙っていられないときもあります。そんな、通常…
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#戦死

祖父や叔父らの戦歴を知りたい、戦死の状況を知りたいー第一歩は軍歴照明書の取得から

 第二次世界大戦が1945年9月2日に終わってから、もう79年が経過しました。中の人は父親が戦時下を生きた世代ですが、もっと若い人になると、祖父の世代が戦中世代となります。父親や母親も直接戦争を知らない世代が、今は主流でしょう。そうすると、例えば戦死した親族の情報も、断片的にしか分からなくなってくるものです。そこで、軍人・軍属(看護師や医師、技術者など)だった親族がどの戦場に行き、どんな経過をたどったかということを調べたいという方のため、中の人が取った方法をお伝えし、方法が分

私は戦争遺族ですが、靖国には行きませんー故郷の空の下でゆっくりしてほしい

 信州戦争資料センターの中の人は、叔父2人を戦争で亡くしています。いずれも父の兄で、それぞれ26歳、23歳という若さでの戦死です。  しかし、一人は大陸で、一人は南方で亡くなったという以外に何もわからなかったので、軍歴照明を手間をかけて集め、ようやく経過が分かりました。少しだけ、叔父たちの供養の意味を込めて、ここに記録させていただきます。            ◇  上の叔父は1918(大正7)年の生まれで、1944年4月20日、26歳で応召され、京都で編成した第53師団輜重