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信州戦争資料センター 中の人の思うこと、やってきたこと

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信州戦争資料センターは戦時体制下にあった日本の姿を、所蔵資料で公開し、見ていただいた方に後はおまかせするのが基本ですが、世の中の動きに黙っていられないときもあります。そんな、通常… もっと読む
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#天皇

憲法記念日に、あらためて「大日本帝国憲法」を読んでみた

 大日本帝国憲法は、天皇が臣民に与えた形をとる「欽定憲法」です。ですから、最高権力者である天皇が、こんな風に国を運営せよと指示した文書ともいえるわけです。下写真は、金権腐敗が横行していた戦前の選挙について、正しく行うよう訴えた1935年発行の冊子の表紙で、1889(明治22)年の憲法発布式の様子です。  では、その憲法の中身を見てみます。こちらは秋田魁新報第二号付録で1889(明治22)年2月16日刊行の大日本帝国憲法です。発布が11日ですから、当時の印刷通信事情を考えると

教育勅語? そんな過去の亡霊は、もういらないね

 最近、教育勅語を職員研修に使っている首長がいると聞きました。まあ、ものごとを知らないから、権威にすがらないと部下を指導できないから、明治政府の作ったシステムに頼るだけなのではないでしょうか。  ところで、大日本帝国憲法が発布されたのは1889年(明治22)年。「大日本帝国は万世一系の天皇之を統治す」「天皇は神聖にして侵すべからず」で始まり、天皇を君主として明確にしました。教育勅語が出されたのはその翌年、1890(明治23)年10月30日のことです。教育方針について長官会議で