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信州戦争資料センター 中の人の思うこと、やってきたこと

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信州戦争資料センターは戦時体制下にあった日本の姿を、所蔵資料で公開し、見ていただいた方に後はおまかせするのが基本ですが、世の中の動きに黙っていられないときもあります。そんな、通常…
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2024年2月の記事一覧

歴史を見ないことにするため、追悼碑を破壊するところまでやってきた。次は何をやらかすか。

 記録するということは、その時点の事実を後世に伝える意味があります。 記録したいことがあるので、記録する。それは過去のことも現在のことも同じです。あらゆるところに記録が残れば、必ず誰かの眼につき、考えるきっかけになるでしょう。  2024年1月30日付の信濃毎日新聞の記事と、2月1日の各新聞社の報道を合わせてみますと、2004年に群馬県議会も全会一致で旧陸軍岩鼻火薬製造所の跡地に設けられた高崎市の県立公園「群馬の森」への設置を認めた戦時下の朝鮮人労働者の追悼碑を、群馬県が2

「外交は機能しているのか」との91年前の問い掛けが、今にも通じる情けなさ

 長野県の地方紙「信濃毎日新聞」で戦前、主筆を担った石川県出身の桐生悠々(1873‐1941)が1933(昭和8)年8月8日の信濃毎日に書いた評論「強迫観念に脅かされつつある日本」を紹介します。  この評論は、意外にもあまり注目されておらず、3日後の8月11日に書いた「関東防空大演習を嗤う」がはるかに知られていて、この評論をきっかけに県内の在郷軍人でつくる「信州郷軍同志会」が陸軍の後ろ盾もあって信濃毎日新聞に不買運動を用意して圧力をかけ、結局桐生が退社することになってしまい