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信州戦争資料センター 中の人の思うこと、やってきたこと

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信州戦争資料センターは戦時体制下にあった日本の姿を、所蔵資料で公開し、見ていただいた方に後はおまかせするのが基本ですが、世の中の動きに黙っていられないときもあります。そんな、通常…
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2023年11月の記事一覧

私は戦争遺族ですが、靖国には行きませんー故郷の空の下でゆっくりしてほしい

 信州戦争資料センターの中の人は、叔父2人を戦争で亡くしています。いずれも父の兄で、それぞれ26歳、23歳という若さでの戦死です。  しかし、一人は大陸で、一人は南方で亡くなったという以外に何もわからなかったので、軍歴照明を手間をかけて集め、ようやく経過が分かりました。少しだけ、叔父たちの供養の意味を込めて、ここに記録させていただきます。            ◇  上の叔父は1918(大正7)年の生まれで、1944年4月20日、26歳で応召され、京都で編成した第53師団輜重

収集した資料の保存と記録ーこれがなかなか手間取るんだ(´;ω;`)

 信州戦争資料センターの中の人は、個人として自費で戦争資料を収集しています。そして、集めた資料はきちんと後世に伝えられるよう、記録し、劣化をできる限り防ぎ、展示会や資料映像提供などにすぐ応じられるように収蔵しなくてはなりません。2007年9月から集め始めてしばらくはまとめて箱に入れておく、数冊のファイルに順次しまうで良かったのですが、それから16年以上を経て、5000点近くもなると、分類一つとっても容易ではありません。また、定期的な展示会に耐え、ノートやⅩでの発信も盛んに行う

国民の政治参加は選挙だけじゃないんだぞって、声を大にして言いたい

 こちら、1929(昭和4)年6月1日発行の月刊誌「戦旗」です。労働者向けの月刊誌で、昭和恐慌で不景気のさなかの発売でした。丁寧にカバーがかけられ、保存状態良好です。  下に示ししたグラビアページには、メーデーの様子が載っています。1925(大正14)年に男子普通選挙の実現と抱き合わせで制定された治安維持法が、1928(昭和3)年には田中義一内閣の下、最高刑を死刑とする改悪がなされています。そして翌年の1929年3月5日には、治安維持法反対を貫いていた労農党代議士の山本宣治

核兵器の怖さを知らない国が核兵器を持つ恐ろしさー恐怖の均衡はたくさんだ

 広島と長崎に投下された原子爆弾の威力は、なかなか想像できないものです。ただ、投下直後の人々や街の姿は映像や写真に残っているので、これらを記憶遺産にとの政府の推薦方針は歓迎できます。  一方、ニューヨークで開かれている核兵器禁止条約の第2回締約国会議には、米英仏中露の核兵器保有5大国が条約に参加せず、日本政府も参加を見送っています。2023年11月29日の信濃毎日新聞によりますと、議長のメキシコのデラフェンテ前国連大使はガザへのイスラエル侵攻やウクライナへのロシア侵攻などを背