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【沖縄戦】ガイドをしながら感じた、ひっそりと残る戦争遺跡について

こんにちは。

あまりブログやnoteでは個人的な感想や意見を述べることが少ないですが、普段ガイドをすると戦争遺跡について色々思う部分がでてくるんですよね。

ちょっと今回noteでつぶやいてみたいと思います。最近レンタカーなどでお客様を案内している際に強く感じていることですね。

それは戦争遺跡によって本当に訪れる人数に差があるなと感じています。

沖縄にはさまざまな戦争遺跡があるのですが、例えば「ひめゆりの塔」や「海軍司令部壕」「平和祈念資料館」は多くの人や観光客で賑わっています。

中には観光のガイドブックに掲載されていたり、半ば観光地化されている戦争遺跡もあります。

それ自体は全く問題ないですし、なんならもっといろんな方に知っていただき、いろんな方に訪れてほしい気持ちが強いです!

ですが、よく人が訪れる戦争遺跡とは対照的にほとんど人が多く訪れない戦争遺跡も多くあります。

というか人知れずひっそりと残る戦争遺跡の方が圧倒的に多いですね。

なかなか時間的な制約がある中で(特に観光の方は)、いろんな戦争遺跡を回って慰霊したり実相を知っていただくことが難しいことは重々承知しています。

しかしながら、時間の問題よりもあまりにも知名度が低いというか、知られていないから訪問する方が少ないと言った方が正しいと感じています。

これは行政の問題だったり(案内板等が少ない)するのかなと感じます。

ただし、私有地だったり、遺族の感情で静かにしてほしいという問題はあるかと思います。

どうすればひっそりと残る戦争遺跡を知ってもらえるか考えています。

当地で起こった沖縄戦の実相を学ぶことは、沖縄戦を継承する上で大変意義なことでもあると感じています。

色々前置きは長くなってしまいましたが、ここからは個人的にあまり知られていないなと感じる戦争遺跡を4つ紹介していきたいと思います。

なぜ4つかというと、以下条件にあてはまるからです。

  • ガイドしながら当地を訪れても他に人と合ったことがない場所

  • 駐車場があるもしくは駐車場が近くにある場所

  • 国道や主要道から概ね5分以内の場所

  • 比較的訪れやすい場所

これから紹介する場所は、概ね車で行きやすいのにも関わらず、今まで人と会ったことがありません。

ですので、この記事で紹介し、是非当地を知っていただきたいのと、時間があれば慰霊の旅にでてみてください。

ちなみに個人でガイドする場合、よく案内する場所でもあります。

①伊原第一外科壕

最初は「伊原第一外科壕」です。

ここは「ひめゆりの塔」の道路挟んで反対側にある壕です。

周囲はのどかな畑ですが、この壕の一画だけ森?に覆われています。

「ひめゆりの塔」ある「伊原第三外科壕」同様にひめゆり学徒隊の生徒が亡くなった場所です。

「ひめゆりの塔」は多くの方が訪れて、売店などもありとても賑わっていますが、「伊原第一外科壕」は1日いても誰も訪れる人がいないのではないでしょうか。

案内板もなければ慰霊碑も字がはがれてきて、あまり管理がされていない様子。

管理や清掃がいき届いている「ひめゆりの塔」とは対照的ですね。

「ひめゆりの塔」から徒歩10分で行けます。

実は国道沿いに石碑ですが案内もあります。なんなら、「ひめゆりの塔」から「伊原第一外科壕」の森が見えるんですよ。

国道沿いに案内板があり

ぜひ時間があれば、「ひめゆりの塔」とあわせて「伊原第一外科壕」も訪れてみてください。

ブログで「伊原第一外科壕」を紹介しています。 → →

②シュガーローフの慰霊碑

シュガーローフの案内板

「シュガーローフ」は沖縄戦の激戦地の一つ。

「シュガーローフ」はアメリカ軍からの呼称で、日本軍の呼称は「安里52高地」。

沖縄戦の小説や映像作品を見ると、「シュガーローフ」の名前は頻繁にでてくるので、「シュガーローフ」という呼称の方が有名かもしれません。

「シュガーローフの戦い」で日米合わせて1万人以上の死傷者がでたと言われています。(日本側の死傷者は記録なし)

シュガーローフの場所は今の那覇市おもろまち周辺。

DFSやサンエーメインプレイスなどがあり、那覇随一の都会ですね。観光客や地元の人で1日中賑わっています。

そのような場所で1万人以上の死傷者がでたと聞いても、今では信じる人がいないかもしれません。

沖縄戦時とは大きく街の様子が変わったので無理はないです。

ほとんど戦争遺跡は残っていませんが、実は慰霊碑というか案内板がひっそりと残っています。

シュガーローフの一部。給水塔

場所は、DFS前の大通りを挟んだ場所にある給水塔のすぐ近くにあります。小高い丘になっているのですぐわかります。

そうこの小高い丘が「シュガーローフ」の一部です。

おもろまちのメイン通り。写真左側が給水塔に繋がる階段。

大通りから目立たないですが、給水塔に繋がる階段を上がると、すぐに案内板があります。大通りの賑やかさかとは対照的にランニングしている人など一部の人しかすれ違いません。

周辺には駐車場もたくさんあるので、ぜひ訪れてみてください。

ここが激戦地だったということをぜひ想像してみてください。

ブログで「シュガーローフ」を紹介しています。 → →

③山城本部壕

3つ目は「山城本部壕」

「山城本部壕」は「伊原第一外科壕」や「伊原第三外科壕」同様、沖縄戦末期に病院壕として使用されました。

「山城本部壕」も「ひめゆり学徒隊」の生徒が配属されています。

入り口付近には今でも砲撃の生々しい跡が残っており、凄惨な当時の様子が生存者の証言を通じて伝わっています。

病院壕本部ということでここから「伊原第一外科壕」や他の壕に指示が行われていました。

戦況の悪化に伴い、「解散宣言」が出されたのもこの壕からです。

解散が各壕に伝わり、その後ひめゆりの関係者・生徒たちは砲弾が降り注ぐ中、死の逃避行を余儀なくされるのです。

他の場所とは違い、敷地内も広く(壕内は狭いですが)ベンチもあり、平和学習で生徒さんをお連れしたことはたくさんありますが、一般の方に出会したことはありません。

少し場所がわかりにくいですが、「ひめゆりの塔」からも近く、駐車場も完備されているので、ぜひ訪れてみてください。

山城本部壕

ブログで「山城本部壕」を紹介しています。 → →

④轟の壕

最後に紹介するのは、「轟の壕」

ここは最大600名もいた大きな壕です。

「島田知事」が県庁を解散した場所であり、また日本軍が住民を支配した場所でもあります。

赤ちゃんがお母さんの腕の中で餓死した話もあり、沖縄戦末期の悲しい出来事がたくさん起きた場所です。

しかしながら、大勢の人が助かった場所でもあります。

「轟の壕」も平和学習以外で一般の人が訪れているのを見たことがありません。

入り口の階段が国道沿いにありますが、看板も案内板もないので、非常にわかりずらいです。

せめてここが「轟の壕ですよ」という案内板があればわかりやすいのですが、「轟の壕」が私有地なので、中々看板の設置は難しいのかもしれません。

現在、安全上の理由から入壕はできませんが、当時と変わらない大きな壕の入り口を見るだけでも意義があります。

沖縄戦で住民が逃げ込んだガマを見るだけでも戦争の恐ろしさがわかると思います。

ブログで「轟の壕」を紹介しています。 → →

以上4つ紹介しました。

4つの壕とも大きな道路から近く、レンタカーでも訪れることができるのでぜひ直接当地を訪れていただきたいと思っています。

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