沖縄戦の戦争遺跡まとめ(もう一つの沖縄を知る)
初めまして、ブログで沖縄戦の戦争遺跡を発信しているノースです。
いつもブログを読んでいただき誠にありがとうございます。
初めての方もいると思いますので、「なぜ沖縄の戦争遺跡を発信しているのか」の背景を紹介します。
私は元々パラオで戦争遺跡のガイドをしており、沖縄に移住してからも戦争遺跡のガイドをしております。
沖縄の戦争遺跡を案内をする中で、驚いたことが3つあります。
1つ目は慰霊碑や戦争遺跡が数多くあるということ。慰霊碑や戦争遺跡の多さに驚きます。(沖縄県の調査によると 県内には 442基の沖縄戦関連の慰霊塔碑があるといわれています。)
2つ目はほとんど人が訪れることもなく、その存在を知られずに半ば風化し、残っている戦争遺跡や慰霊碑が数多くあること。
3つ目は沖縄では住宅地や公園など身近に慰霊碑や戦争遺跡が多く残っていること。しかし、ほとんどの方はその存在に気づかない。
「戦争遺跡がこのままでは風化してしまう。それに合わせて沖縄戦が風化してしまうのではないか!」という懸念が生じました。
少しでも戦争遺跡を知ってほしい。
そのような背景から、「沖縄戦を風化させないことは、戦跡を風化させないことからはじまる」という思いで、観光地としてあまり知られてない戦争遺跡をブログで発信しています。
→→ ブログはこちら
ブログを始めて3年近くが経ち、実際に現地に足を運び、50近くの沖縄本島の戦争遺跡を紹介してきました。(今後は沖縄本島にある戦争遺跡を全て紹介するつもりで活動していきます。もちろん沖縄本島以外も)
そんな中、私のブログをご覧になっている読者から、「戦争遺跡を1ページにまとめた資料などありませんか?」と言う問い合わせを頂くことが増えてきたので、noteに今まで紹介してきた戦争遺跡をまとめました。
以下のような形式で紹介しています。
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- 首里城に置かれた日本軍の司令部「第32軍司令部壕の案内板」 -
世界遺産首里城地下には、沖縄戦当時日本軍(32軍)の司令部が置かれていました。
壕の総延長は1000mを超え、壕の出入り口が5つもあり、司令部から沖縄戦全体を指揮していました。現在でも首里城の地下には日本軍32軍の遺構が残っておりますが、残念ながら直接見ることはできません。
しかし、守礼門近くには第32軍司令部壕の案内板や当時の遺構(司令部の遺構ではなく当時の通信施設の跡)が残っています。是非首里城に訪れたい際はこちらの案内版にもお立ち寄りください。歴史上の輝かしい部分の地上の首里城とは対極の「第32軍司令部壕」。沖縄の陰の部分が垣間見れる場所です。
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以下の情報を掲載
ブログとは違い、戦争遺跡を市町村別に1ページにまとめているので、印刷もまとめてできます。是非戦争遺跡訪問の際にお役立てください。
尚、今後もどんどん情報を更新して予定ですので、逐一ご確認ください。
価格について
本当は無料で配布したかったのですが、すみません400円とさせていただきます。そして、今後情報が増えるにあたり、料金が上がる可能性があります。是非今のうちにご覧ください。
頂いた収益は、ブログ運営費(サーバー代)や戦争遺跡の調査代とさせて頂きます。
※内容に満足いただけない場合は、24時間以内に「返金申請」を行うと、返金が受けられます。
管理がされていない慰霊碑や、ひっそりと残る戦争遺跡が多く、一人でも現地に足を運び慰霊に訪れてほしい!そして平和について考えてほしいと切に願っています。
当記事が少しでも役に立てば幸いです。
※2024年4月現在、35の戦争遺跡を掲載しています。今後も紹介する遺跡を増やしていく予定です。
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