見出し画像

アルビレオ行き乗換場にて

この町の小さな天文台で今夜天体観測があると知ったのは3日前のことだった。

最近何かに追われているかのような、休まらない日々が続いている。まるで深い海の底になす術もなく沈んでいくようなどんよりしたものが溜まっていて、思わずため息がこぼれた。

星空を見に行こう。ふとそう思ったのは、子供の頃大好きだった本に登場した星語り人の、

「落ち込んでる時は夜空を見上げるんだ。」

という言葉を思い出したからだった。

仕事終わりいつもなら家に向かっている筈なのに、最寄駅と逆の電車に乗り、乗り慣れないバスに揺られている。日々のループから少し外れただけで、どうしてこんなにワクワクするんだろう。

住宅街の一角の三階建てビル屋上、そこに天文台はあった。

すでに地元の家族連れや子供達が集まっていてビルの階段をカンカンカンカンと駆け上がっていく。その小気味いい音に蒸し暑さで少しぼーっとしていた私も気分が高揚していく。

十畳から一二畳ぐらいの広さの屋上で、持参したらしい星座盤を使い、空を見上げ設置されていた小型望遠鏡や双眼鏡、屋上の真ん中にあるかまくらみたいな大きさの、天文台内の望遠鏡を覗いたり…それぞれ思い思いに天体観測を楽しんでいる。

夕方から少し曇ってきたけど、夜が深くなっていくにつれ肉眼でも見れる星が増えてきた。

望遠鏡や双眼鏡越しに見る夏の大三角、二重星や土星、天の川の小さな星々、すーっと落ちていった流れ星

背中に流れる汗なんて忘れるほど夢中で星を見上げ、ほう…と来た時とは違うため息がこぼれた。

帰路に着いても心の中ではまだあの天文台で星を眺めているような、いつまでもフワフワとした夢心地な気分だった。

そんな多福感に包まれたままベットに入ってふと思った。

もしあの星から夜空を見上げたらどんなふうに感じるのだろう。





「あの夜空が忘れられないんです。不思議ですよね。ポストカードとかでよく見るような満天だったわけじゃないのに。気がつくと荷造りを始めていました。これからあの星を巡るの。」

そう笑った彼女の瞳には、その夜空に見たという小さな星々が宿っているかのように輝いて見えた。

ガタンガタンと列車がホームに到着する音が聞こえてきた。


end

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?