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かえりたい場所

ガチャ…パ…タン カチャン

最近ようやく履き慣れてきたヒールを脱いで
即入浴の準備、溜まっていくお湯をぼんやり眺めて…はっと目覚める。あぶない少し微睡んでた。

バスルームを出て6歩先、
このワンルームの部屋には立派すぎる大きな本棚がある。一番上の棚は背が低めのわたしには爪先立ちをしても届かない。

こっくりとした栗色が目に優しいこの本棚は、三年前にお喋り好きの山猫の店主に勧められるがまま購入したけど、今では一番の宝物。

上から三段目までの扉は、ここではないどこかの星のお店に繋がっている。但し一番上の棚以外は、不定期営業。これまで二回しか空いてるところを見たことがない。四段以降は普通の本棚だけど、収納した本がいたずらに無くなったり見覚えのない本が入っていたりする摩訶不思議な本棚だ。

部屋の隅に置いていた踏み台を持ってきて本棚の一番上の棚をノックする。

コン、コンコン

くるり、とゆっくり扉が半周して開いた。
けれどお決まりの はいはい、いらっしゃい という穏やかな挨拶は聞こえなかった。そのかわり


こんなメモが残っていた。

どうして欲しいものがわかるんだろう。やっぱり不思議。メモの隣には手のひらサイズの本が三つ並んでいる。すぐ隣にあった本を取って目を閉じて耳元で大きく振ってみた。

カラコロカラコロ…

微かにあめ玉を転がすような音が鳴り星祭りに行った時に立ち寄った、職人の街の温かな街頭の灯が浮かんできた。目を開けて元の場所に戻す。次はその隣の本を手に取り、また耳元で大きく振る。

サァー…サァー…  シャン

草を揺らす柔らかい風の音、遠くでシャンという不思議な音が聞こえてきた。

これだ。

一度本を戻すと、キッチンの戸棚から取ってきた小さなグラスによく冷えた月光水を注ぐ。挨拶とお礼の言葉を認めたメモと一緒に本棚に置いて、もう一度選んだ本を取り出す。そして

コンコン、コン

と今度は本棚の柱にノックするとゆっくりと扉が閉まった。

さて、わたしはスーツからゆったりしたニットとパンツに着替えてバスルームに向かった。



湯船には三分の二ほどお湯が溜まっていて、慌てて蛇口をひねってとめる。そして湯船にむかって持ってきた本を傾けた。すると、星屑が流れるようにサラサラと粉が落ちていく。

これは山猫印の入浴剤。もちろんただの入浴剤じゃない。湯船に浸かっている間、使用者が望む場所へつれて行ってくれる不思議な入浴剤なのだ。

どこへ行きたいかは本を耳元で振った時に聴こえてくる音が教えてくれる。初めて使った時はおばあちゃん家のグツグツと鍋を煮る音だったっけ。

最後までお湯に溶け込むのを見届けると服を着たまま、頭のてっぺんまで浸かるよう一気に潜った。

ぶくぶくと空気を吐いて潜っていく感覚から、ふと草の香りがして目を開くと、深夜の大草原が目の前に広がり、銀色の糸のような流星が次々と流れていた。途端に力が抜けてドサッと仰向けに寝転がる。

サァサァと風が草とわたしの髪を心地よく揺らして少しくすぐったい。目を見張るほど眩く美しい夜なのに、どんどん体の力が抜けて瞼も重くなってゆく。

しばらく眺めていると一際大きな流星がシャン、シャンと鈴のような音色を響かせて、こちらにやってきて、わたしはゆっくり立ち上がった。銀河を漂ってきた親友に向かって大きく手を広げて抱きしめる。


「ただいま」

end

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