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33/1,000冊目 養老孟司(著) 『「自分」の壁』

養老孟司(著) 『「自分」の壁』


『「自分」の壁』感想

近所に博識で話のおもしろい年配さんがいらっしゃったら、ときどきお土産をもって伺って、縁側で話を伺えたら良いのに、という願いを手軽に叶えてくれるのが、養老孟司さんの本です。わたしにとって。

養老さんの本は、読むとなんとなく思考のバランスが取れる気がします。思考というのは知らず知らずに偏ってくるもので、潮にゆっくり流されるように気がつくと居たつもりでいるところに居ないことがあります。そんなといに灯台のように相対性を与えてくれるわけです。

養老さんの話には同意できる部分もあれば、それはちょっとわたしの考えとは違うな、と思うこともあって、それでもいままでは自分ひとりでは疑問に思わなかった点に気付かされることがあります。

考えてみる、や、もう一度考えてみる、という機会を気軽に、自由意識で手に入れた気にさせてくれます。

そういう意味では、本の内容はあまり覚えていません。いつも養老さんの本は内容についてはあまり印象がなく、その一方で、整骨院に言った帰り道のような「整った具合」を得ています。

そんなわけでときどき読みます。

養老孟司

養老孟司氏
画像出典:BRUTUS「養老孟司が語る、人間が猫を愛する理由」

養老 孟司(ようろう たけし):日本の医学者、解剖学者。東京大学名誉教授。医学博士。ニュース時事能力検定協会名誉会長。神奈川県鎌倉市出身(ご近所)。

医学博士だが、「現代の医療システムに巻き込まれたくない」という理由で病院や健康診断は嫌い。2003年に出版された『バカの壁』は450万部を記録し、第二次世界大戦後の日本における歴代ベストセラー5位となりました。

小児科医の母に育てられた。東大医学部卒。東大大学院基礎医学で解剖学を専攻し、博士号を取得。

『ヒトの見方』(1985)から、一般向けの文筆活動を開始。身体と人間の諸活動との関係を考察する評論を幅広い分野で展開。人のあらゆる営みは脳の構造に由来するという「唯脳論」を提唱。

経歴

1937年(昭和12年)、小児科医・養老静江(1899〜1995年)と養老文雄(三菱商事勤務)の次男として鎌倉市で生まれる。4歳の時に父親を結核で亡くし、その後は鎌倉で小児科「大塚医院」を営む母、静江の腕一つで育てられる。

鎌倉市立御成小学校、栄光学園中学校・高等学校(神奈川県鎌倉市玉縄四丁目)、東京大学医学部を卒業後、東京大学医学部附属病院での1年間のインターン(研修医)を務める。

しかし、そこで自分が医者に向いていないことを悟る。手術の際、患者の血液型を間違える医療事故を起こしかけ、このままでは注射の薬剤まで間違えるのではないか、自分のミスは自分でなく患者に死をもたらすことに気付き、「これは大変だ」と思い、完全に自信を失った(※2)。

このような医療事故を3回経験したことから、患者と接する医者の道を諦める。その後、精神科医を目指そうとしたが抽選に外れ、結果的に解剖学の道を志す。

「医学においては死んだ人間を扱う解剖学が最も確実なものだ」と考えたのが理由だとしている。1967年(30歳)に東京大学大学院基礎医学で解剖学を専攻し、博士課程を修了。同年、医学博士号を取得する。博士論文の題は「ウロコ形成におけるニワトリ胎児表皮の増殖と分化」。

職歴

東京大学医学部助手・助教授を経て、1981年(48歳)に解剖学第二講座教授となる。この間、1971年(34歳)から1972年(35歳)にかけてオーストラリアのメルボルン大学に留学した。

1989年(52歳)から1993年(56歳)は東京大学総合研究資料館館長を、1991年(54歳)から1995年(58歳)は東京大学出版会理事長を歴任した。

1995年春、東京大学を57歳で早期退官。

以後は短期で北里大学教授大正大学客員教授を務めた。


執筆活動以外

各地で講演を行いつつ、代々木ゼミナール顧問、日本ニュース時事能力検定協会名誉会長、ソニー教育財団理事、21世紀高野山医療フォーラム理事を務めている。また、2006年の開館時から2017年3月まで京都国際マンガミュージアム初代館長を務め、2017年4月からは名誉館長に就任。その他には2017年時点で、小林秀雄賞、毎日出版文化賞、山本七平賞選考委員を務めている。2018年時点で、NPO法人「日本に健全な森をつくり直す委員会」委員長。2020年9月から、ミチコーポレーション・ぞうさん出版事業部の顧問に就任。

政府関係では農林水産省食料・農業・農村政策審議会委員を務めた。福島県須賀川市のムシテックワールド館長、日本ゲーム大賞選考委員会委員長。NPO法人「ひとと動物のかかわり研究会」理事長。

2020年6月26日(83歳)、体調不良のため病院で検査を受けたところ心筋梗塞と診断された。集中治療室で2日間の治療を行い、2週間の入院を余儀なくされた。主治医によるといつ死んでもおかしくない状態であった。東京大学医学部附属病院を受診するのは26年ぶりであったが、70キログラム以上あった体重が1年で15キログラム減り、6月に入り体調が悪く、特に受診直前3日はやる気が出ず寝てばかりという状態に「身体の声」を尊重して健診嫌いを押して、教え子である中川恵一の診察や心電図検査を受けた。病院の待合室で妻や秘書と「天ぷらでも食べて帰ろうか」と話していたら「ここを動かないでください」と言われ、心臓カテーテル検査から2週間の入院となった。

人物

父の臨終に立ち会った際、周囲の大人たちに促されながら「さよなら」の一言を言えなかった経験が、中学生・高校生時代「人と挨拶するのが苦手」な性格に影響したと自己分析している。

父という大切な存在にもできなかった挨拶を他人にするわけにはいかないと思っていたのだ。その因果関係に気づいたのは40歳を過ぎてからの通勤途中の地下鉄のホーム上であり、その後、地下鉄の中で涙しながら「そのとき初めて自分の中で父が死んだ」と自著で告白している。

人間がものごとを認識する場合に根底に潜む問題、心の問題、社会現象の基底に潜む問題、世の中の俗人が見落としがちな大切なこと、などを、自身の専門である解剖学や、また脳科学など医学・生物学領域の知識を交えつつ解説することによって多くの読者を得ている。


1989年(52歳)に『からだの見方』(筑摩書房)でサントリー学芸賞を受賞。以後三十数年間にわたり、対談も含め一般向け著書を多く出版している。日本ペンクラブ会員である。メディア出演も多い。

2003年(63歳)4月に出版した『バカの壁』(新潮新書)は、同年のベストセラー第1位で、毎日出版文化賞特別賞を受賞、題名の「バカの壁」で新語・流行語大賞も受賞。新書判では戦後最多の発行部数である。

趣味:昆虫採集。特にヒゲボソゾウムシ、クチブトゾウムシを集めている。

ヒゲボソゾウムシ
画像出典:mushinavi.com
カシワクチブトゾウムシ
画像出典:mushinavi.com

集めた昆虫はスキャナーで撮りデジタル図鑑にしている。神奈川県の箱根の別荘(藤森照信設計の「養老昆虫館」)に、約10万点の昆虫標本を所蔵する。別荘の基礎の側面には「馬」と「鹿」のイラスト(南伸坊筆)が描かれている。
 

鎌倉昆虫同好会を結成し会長を務めた(機関誌は月刊『KABUTOMUSHI』)。テレビやラジオの取材も受けた。その頃から「どんな問い合わせにも応じられるような日本昆虫センターを作りたい」という夢を公言していた。虫が好きな理由については「論理的に意味がわからないことがたくさんある(からおもしろい)」という旨を述べている。

2015年(78歳)、鎌倉の建長寺に虫塚を建立した。

人間が多くの虫を日々殺している加害者であることに自覚的でありたいという趣旨と述べている。虫かごに似せた外観は、隈研吾がデザインした。

動物好きで、愛猫のまるをDVD化した『どスコい座り猫、まる。~養老孟司先生と猫の営業部長』が2011年にリリースされた。なお、愛猫のまるは2020年12月21日、心不全により18歳で亡くなった。拘束型心筋症を患い、晩年は寝たきりの状態が続いていた。関連出版が、養老研究所名義(関由香写真)で3冊ある。

思想、社会事象の分析:自身の思想的立場、科学哲学を「すべてが物語・仮説であると考える点で、自分はポパー主義者である。」としている。

サー・カール・ライムント・ポパー(Sir Karl Raimund Popper, CH FRS FBA、1902年7月28日 - 1994年9月17日)は、オーストリア出身のイギリスの哲学者。ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス教授。 純粋な科学的言説の必要条件として反証可能性を提起し、批判的合理主義に立脚した科学哲学及び科学的方法の研究の他、社会主義や全体主義を批判する『開かれた社会とその敵』を著すなど社会哲学や政治哲学も展開した。 フロイトの精神分析やアドラーの個人心理学、マルクス主義の歴史理論、人種主義的な歴史解釈を疑似科学を伴った理論として批判。ウィーン学団には参加しなかったものの、その周辺で、反証主義的観点から論理実証主義を批判した。
Karl Popper in the 1980's.
LSE library - https://www.flickr.com/photos/lselibrary/3833724834/in/set-72157623156680255/, No restrictions, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=9694262による


文化や伝統、社会制度、言語、意識、心など人のあらゆる営みは脳という器官の構造に対応しているという「唯脳論」を提唱した。この考えは『月刊 現代思想』青土社に連載した、初期著作『唯脳論』(新版・ちくま学芸文庫)にまとめられている。

靖国問題というのは、世の中ではあたかも政治的な駆け引きのように語られているが、「死んだからと言って別人になるわけではない」とする中国の文化と、「死んだら神様としてまつる」日本の文化という、文化の違い、共同体のルール(の違い)の問題が根底にあるのでは、という旨の指摘をしている。

日本、および世界の先進国の都市化を批判しており、美しく感じられる自然は人間の手入れによって保たれると述べている。

医学部助手だった当時は、全共闘運動が全盛期で、多大な被害を受けた。全共闘の連中が養老に対して言い放った暴言や、やらかした学問に対する暴力のことは忘れておらず、自身の思想を深めるのに活かしてきた。研究室がゲバ棒を持ち覆面を被った学生達に押し入られ、「こんな一大事に研究なんかしている場合か」と非難されながら研究室を追い出された経験をして以来、「学問とは何か」「研究とは何か」「大学とは何か」といった問いに対して考え続けており、「私のなかで紛争は終わってない」と述べている。

そのような過去の経緯もあり、かつて「全共闘議長」だった山本義隆が2003年暮れに『磁力と重力の発見』で第30回大佛次郎賞を受賞した際に、養老は当時選考委員で、著作への授賞に異存はないとしつつも、自らが全共闘運動から受けた影響(全共闘運動により研究室から暴力的に追い出された)などを理由に「(個人的な)背景を含めた選評は拒否するしかない」という強い調子の文章を発表して話題となった。

山本義隆
画像出典:https://ameblo.jp/miffy3616/entry-12346847422.html


愛弟子・布施英利(美術解剖学、東京藝術大学教授)による『養老孟司入門 脳・からだ・ヒトを解剖する』(ちくま新書、2021年)で、代表作を読みなおしその背景を語った。

喫煙者であり、たばこは毎日20本以上吸っている。肺がんの可能性についても「ストレス解消のほうが大事だから」として気にしていない。

劇作家の山崎正和とともに禁煙ファシズム論を唱えている。副流煙の危険性について「問題外」としており、「低温で不完全燃焼するたばこから発生するので有害というのに科学的根拠はない」と述べている。また、喫煙の発癌性についても疑問視しており、「『肺がんの原因がたばこである』と医学的に証明されたらノーベル賞もの」と述べている。

現在のたばこのパッケージには、肺がんや心筋梗塞の危険性が高まることについての警告が記載されているが、その文言を決めたうちの一人が大学の後輩医師だと知り、医師仲間が集まった際に「根拠は何だ」「因果関係は立証されているのか」と問い詰めた。

『文藝春秋』2007年(平成19年)10月号において、近年の禁煙運動の高まりに対し「異質なものの徹底排除という原理主義的な雰囲気を感じる」とし、「たばこの害や副流煙の危険は証明されていない」といった主張を展開するとともに「禁煙運動はナチズム」と言及した。

なお、これに対し日本禁煙学会は「たばこの副流煙に害が無い」とする養老の主張について、公開質問状を送付した。養老の事務所は「質問状が手元に届いても見ずに捨ててしまうだろう」としており、実際に回答もしていない。

ビール一杯でひっくり返るほどの下戸だったが、解剖学の教授としてストレスを溜める日々を送るうちに、毎晩ウイスキー一本明けても平気になったという。


参照

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※2


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