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ブルックリン物語 #54 “The Adventure of Uncle Senri” 千里叔父さんの冒険 (前編)

子供の頃の記憶だ。その楽器の音が近づく時の感覚を僕は今も鮮明に覚えている。もの悲しい旋律で胸の振り子が揺れると涙がこぼれた。今思うとオーボエに似たその音色は木管楽器特有の心に寄り添う類のものだった。チャルメラ。団地住まいの窓のずっと先のその又先の方から近づいて来たあの「旋律」。

近づいてくる台風、妹をねんねこたすき掛けして髪を振り乱し、窓にバッテンの木を補強し回ってた母の必死な後ろ姿。膨らむ風の音。そんな厳戒態勢の中、その音はどこか不思議と素っ頓狂に飄々と近づいてくるのである。早く逃げて、どこかで屋台をひくおじさんの姿を思い浮かべ、迫り来る台風に震えながら、でもどっか心の奥で感じたあの突拍子もないワクワク。

屋台のラーメン屋の客寄せとして鳴らされていた「ソラシーラソー ソラシラソラー」というメロディ。警笛のようでもあり、催眠術のようでもある。その音が流れると、身体が引き締まるような感覚と身を委ねたいような感覚に襲われ、幼心ながらそわそわした。

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父がその頃の僕によく聞かせてくれていたのはイヴァノヴィッチの「ドナウ河のさざなみ」。そのワルツさえ僕はチャルメラを重ねていた。どこか遠い国から自分を誘う「ファンファーレ」。その頃、「音」は全て遠くから僕を呼んでいた。まだハイハイするに毛が生えたくらいだったと思う。それ以来、僕はどれだけ遠くまで旅をしているのだろうか。あのねんねこたすき掛けの母はもういない。人生で運命的に出会った何人かの大切な存在さえもういない。喪失感さえ感じる間もないくらい旅を続けここまで来てしまった。

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カリフォルニアで新しいアルバムのツアー初日を迎えるため僕は西海岸へ向かう飛行機に乗っていた。足元にはぴがいる。キャリーバッグのメッシュの窓からはふたつのアーモンドの目が見上げている。日本で言えば、札幌から沖縄(4時間)へ飛ぶような「ちょっとした長旅」を覚悟し席に座る自分がいる。あと何時間? とトラッキングレコーダーのスクリーンに額を近づけると、ついさっき搭乗したはずなのに機体は既にデンバーを過ぎた位置にいるらしい。ぴを見下ろすと「パパと一緒に移動しているから安心」なのか「あとどれだけこの姿勢が続くのとパパに文句を言いたい」のか、瞳が僕の中の一点をじっと見つめている。

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