私と仙霊茶と世界観

・自己紹介
みなさんこんにちは。おおよその人が初めましてと思います。
野村俊介と言います。ひょんなことから茶農家になりました。
茶園が綺麗で気に入りすぎて茶農家になったんですが
茶の知識ゼロだったので日々勉強しております。よろしくお願いします。
野村側からはお茶の話や茶園の話やらできたらと思ってます

豊劇で、松倉さんの講演を聴いたときに
「ぬおおすげえ人がいる!」と思ってFB友達申請して、
芸能人の記事でも見るように投稿見てたんですが、
まさかこうして共同で文章を書く事になるとは。

松倉さんから「この過程をnoteで発信していきましょうか共同で記事書いて」
と軽ーく誘われたので「いいすね」と軽ーく受けたんですが
どんな事になるのか今から楽しみです!

・仙霊茶
実は、引き継いだお茶園の地域ではむかーしからお茶が作られていて
その名前を「仙霊」と言う、と知ったのは関わってしばらくしてから。
この地では300年以上前からお茶の栽培を行っていて、
「仙霊」の名はその頃についた呼び名です。
この辺、また詳しく書きますです。

・大事にしたい世界観
「まずは、会社ロゴ作りますか」と言う事で
どんなイメージがいいのか共有しましょう!となって
ピンタレストでいろんな画像見てたんですがふと
「野村の思う世界観をひとまず共有できれば、ピンとくるんじゃなか」
と思い、長い文章を書きました。
このnoteでもみなさんに共有して、
どんな思いでお茶作ってるのか知ってもらえればと思います。

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会社の世界観について

松倉さんを最初に見た豊劇の講演の時に
「まずオバケって社名が最高」
って思ってまして。
正体不明の感じとか、こう形としてカチっと決まってない感じと
仕事の中身の不可思議さがマッチしてるなーと。
んでオバケやめて次の会社を松倉さん建てたときに社名が「ぬえ」って見たとき
「この人ほんとセンス最高かよ」と思ったわけです。


まあ変な「ファンです!」みたいな話はそこそこにして


農業って、こう、「はざま」感があるんですよね。野村的には。


山でもない、海でもない、都市でもない。
よく農業を語る言葉として「より自然な」
とかあるじゃないすか。


無農薬・無肥料でやってて「自然栽培です」
とか言ってると(言っちゃってますけど)
「やっぱ、より自然な作り方が一番ですよね!」
みたく言われて。


いや、農業ってめっちゃ人工的な行為ですから。
と思うんすよ。
ありえない高密度でおんなじ植物ぎゅうぎゅうに育ててますしおすし。
お茶の木とか人間の都合に合わせられて一律に形揃えられてますし。


実は、そもそも「自然」って単語もちょと思うところがありまして。


昔、移住して農業始めたばっかの頃に
「ひょうご在来種保存の会」というのを主催してる山根さんていう
近畿のオーガニック界隈ではちょと有名なおじいさんと飲む機会があって
「俺自然栽培でやってんすよー。」とヘラヘラ語ったら
「自然」とは、「自ずから然(しか)らしめる」と書く。
山河や草木をそのように
「ひとりでに生まれて、育って死んで行く」
というような感性は日本にはなかった。

これは、「nature」という言葉の対訳を探した際に、
仏教用語から引っ張って来たもので あって、
我々が古来か使っている言葉では無い。
って怒られたんですよね。


ちょっと話は変わって、
うちの父の家系に山伏の人がいたんですけど
山岳信仰って、山に入って修行して何を目指すかというと

「入我我入」

って言いまして
お釈迦様の中に、自分が入って、
自分の中にお釈迦様が入った状態になることらしいんです。


なんか、この感覚ってアジア的・日本的なんかもしれんと思ってまして。


例えば、和歌なんかだと、
花や草木に自分の事をなぞらえる歌が多いんですよね。
(あの桜のように私の命も散ります。みたいな)
ああいうの、欧米的な感性だと全く判らんらしくて。


「目に見えるものも自分の一部であり、私も目に見えるものの一部である」
という感じ。


言葉って、我々の感性をある方向に集約させる強い力を持つので
(例えば「黄色」は現実には様々なグラデーションがあっても、「黄色」という集約された感性を位置付ける)


今やすっかり定着した「自然」って単語も、
ある方向へと感性を集約させる感覚を持っていて、
それは確かに西洋的・キリスト教的・一神教的なのかもなーと。


「「より」自然」とか。
神から順位がついている一神教的かもなーと。


多分「「より」山河」とかは無い。


だから、「あわい」って感覚を大事にしたいなと思ってるんです。
「あわい」は漢字で「間」と書きます。


人間が全く手を入れない世界は荒ぶって住めないし農業も成立しない。
かと言って工場で製品を作るように、
化学薬品を駆使して遺伝子まで制御して作ろうとする作物は
なんだか味気ないし、ちょっと怖い気もする。


その両極端の間にある、自分にとっての心地いい位置。

ビシッと境界線があるんじゃなくて、「この辺かなー」という感じ。


「仙霊」って漢字も、
前話した「七碗詩」の

六碗通仙霊
六碗目を飲めば仙人に通ず

から来てるんですけど
「仙人」も人と神様の間みたいなもんよなーと。
神にはとてもなれんけども。
人からはちょっと遠ざかってるよと。


「ぬえ」もこう、正体不明な感じがよく出てるように
「仙霊」「SENREI」
も、この「あわい」の感じを大事にしたいし、
 それをロゴイメージ含め色んなところで体現できたらいいなあと思っております。


すげえ抽象的ですけど。
長文お読みいただきありがとうございます!
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こんな感じです。
てか、こう「人に伝えるぜ!」と思って書く文章って難しいすね。
そのうち慣れてもちょっと肩肘張らずにかけたらと。

あんままとまってませんが今後ともよろしくお願いします!



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