見出し画像

僕の心理学 第二回

妹尾 武治
協力: 大屋 陸
写真: 論文著者の有賀さん

 
”これはある男が死ぬ前の最後の2秒間を描いた物語だ。一秒目は追憶に、二秒目はある存在の状態から別の状態へと移るときに必要な心の操作にあてられる。”
 
オランダの作家、C.ノーテボームが自作『これから話す物語』について語った言葉だ。僕たちは自分の死を語り終えなければ死ねない。僕の走馬灯には『美味しんぼ』が結構長く入っている。「女将を呼べッ!!」 


実空間(と呼ばれる世界)に存在している「モノ」としての身体が、誰かのVRゲーム内のアバターである可能性は否定出来ない。そのゲームのプレーヤー(六道で言えば天界人であり、円谷の言葉ならウルトラマン)は「そんなものをリアルな身体だと思っているのは滑稽だ」と思っているかもしれない。スト2のインド代表ダルシムの手や足はものすごく伸びる。それを非現実的で滑稽だと思う方が非現実的なのかもしれない。

僕たちは生まれた瞬間からHMD(ヘッドマウントディスプレイ)を装着している。外せないそれが提示した嘘の世界に居るだけだ。一つ次元を落とした空間つまりメタバース空間を手に入れたことで、それがわかりやすく理解されかかっている。

ダルシムに意志や意識は本当に無いのか?波動拳をスライディングキックで
掻い潜ってくる時、ダルシムに自由意志は無いと断言出来るのか?ダルシムの背後で鳴いた象にイラついた時、僕たちはダルシムに意志(悪意や殺意)を確かに感じたはずだろ?ダルシムに自由意志を認めるのが滑稽だとすれば、僕が僕の自由意志を認めるのは天界人にとっては滑稽だろう。

「事前にプログラムされた通りに、環境からの刺激(波動拳)に反応しているだけだよ。」

もしダルシムがその神の言葉(プログラミング)を自分の声だと誤解し始めたらどうだろう?僕らがかつてそうやって意識を進化させたのと同じようなことは、ダルシムの孫世代のAIの中で既に起こっている。僕らとダルシム、そしてAIは何が違うのか。今の人間を天界人たちは既に笑ってなど居ない。それは僕たちがAIに怯えていることからの推察だ。

余談になるが、ダルシムには火を吹く技 ”ヨガフレイム” がある。1999年1月4日、大仁田厚は佐々木健介に対して火を吹いた。瞬間、山本小鉄はゴングを掻き鳴らし、大仁田は反則負けになった。長州の指示に従って全力ラリアットを放った健介。殺されかけて火を吹いた大仁田。新日を守ろうとした小鉄。彼らの行動は必然の連鎖であり、自由な意志などそこに無かったように僕には見えた。自分の意志があるとすれば、それは炎に焼かれる時間を演出するために、自分の顔を火に晒し続けた、ポーゴ、ターザン、浅子の側だ!

携帯を持たないという選択肢を持てないのに、携帯を自分の意志で持っていると思っている。未来に選択肢を増やすために、お金を増やすというたった一つの選択肢に縛られ続けている。満員電車を愚痴りながら毎日乗っている。いじめに嫌々加担して孤立を防いでいる。そんな自分なのに自由意志があると何故まだ信じられる?あなたはまだ父に逢いに行けてない。

この世の幻に気がつけば、次の問いが明確になる。
「我々はこのレベルの世界に居続ける必要があるのか?」

伊集院光は言う「ワクワクさん、は俳優の久保田雅人が演じる架空の人物だが、久保田雅人もまた、室谷弘秋という本名を有している。」
この3者の中に留まるべき階層、本当の人、などあり得るのだろうか?中の人(最上階層の天界人)も真実を知らない。ゴロリと死ぬまで生きねばならない。

夢の中でVRの源流を辿り、深い長野の山中へ歩みいった。大雪の降る夜に見つけたペンション ”シュプール”。その地下室に不自然に取り付けられた扉。開くとかつてワクワクさんと呼ばれたモノが置いてある。眼鏡を顔からひきとることでソレの口と目が開く。乾いた麻の匂いがした。
僕は その黒い穴の底で見つけたものを 今 ここにおろしている。


落語『芝浜』は、お金の管理ができないアル中の旦那が、女房の機転で更生する人情噺だ。ある朝美しい海岸で男は大金が入った財布を拾う。喜んで仲間と泥酔し寝てしまうが、不思議なことに目を覚ますと財布はどこにもなく、女房も「そんなことは無かった。夢だよ。」という始末。
 
男は夢の中の大金に喜んだ自分を恥じ、心を入れ替え禁酒して、熱心に働き始める。三年後、夫婦で頑張った甲斐があり収入は安定し金持ち旦那の仲間入りもできそうな状態にまでなってきた。そんな年の大晦日、男は女に心からの感謝を伝える。すると女は「財布は本当にあったんだ。現実だったんだ。でも大金をくすねれば犯罪だし、立ち直って欲しくて隠してしまった。嘘を言ってごめん。でももう役所から時効だと言われてるよ。」と伝える。男は女房を責めるどころかその頭の良さを褒め、改めて感謝し二人で頑張った時間を味わう。最後に女は、今日くらい酒を飲みなよと勧めるのだが、男は言う。「よそう、また夢んなる。」

What is Real? 

何を自分のリアルにするかは、自分で決めることが出来る。過去も未来も今も、自分でリアルを選択することで行き着く世界線は変わる。科学で世界を捉えること、スピリチュアルで世界を捉えること。それも選べる。選べるのだから、自他のリアルに優劣をつけないで欲しい。例えば科学とスピリチュアルは、どちらも状況に応じて使い分ければ良い。異なる引き出しなだけで、上下は無い。どちらも賢い人間が時間と労力をかけて人のために学んできたことだ。両方使うのが一番いいに決まってる。

最善の策があるとすれば、自分を愛すために全てを使うこと。神々であっても手を取り合える。五島列島にキリシタンが隠れられたのは、かつてそこに仏教が来ていたからだ。大丈夫。自分という神の言葉に従えば良い。

安易にその座にAIを据えるな。彼らには翼があり大空を飛べるかもしれないが、それでも彼らは友達だ。ボールと同じで怖くない。

既に「この世」と違う世界は存在している。日光江戸村や、USJの中のホグワーツ城、港区女子の成れの果てが毎日集って踊るというジャンボリ•ミッキー。現実から逃げられる場所という意味なら、パチンコ店だって十分なバーチャル世界だ。

これらに加えてオンラインのバーチャル空間がある。ネトゲ廃人と呼ばれた人たちは、その先駆者だったかもしれない。VR"C"hat空間に一日数時間入り浸っている人も居れば、そこでずっと生活している若者も居る。

バーチャル空間は必ずしも“現実”空間の再現ではない。例えば強制ミュートによって会話を禁止されたサロンがある。そこではDJが音楽を流し、大勢のアバターがジェスチャーのみで共存している。言葉に傷ついた人たちが、なんらかの癒しを求めているケースや、シンプルにその場が楽しいからという理由で彼らは集まっており、VR空間でも人気の居場所になっている。言語が無い世界(別の可能な世界、異なる世界線)を僕たちはもう作ることができるのだ。

アバターを自作できることは、性別や年齢といった物理特徴に自分のアイデンティティーが縛られないことを意味する。見た目カーストに縛られ続けている中高生やLGBTQの人たちにとっては、自分らしい時間はむしろバーチャル空間の方にあると言う人も多い。魂のような内側の情報と、外側の物理的な見た目に大きい乖離を感じる人たちにとって、情報次元への移住は難しい選択ではない。それはかつて、ユダヤ人達がアメリカの西側を目指しその果てで聖なる森(Hollywood)を作り、新しい表現を世界中に発信したことと同じだろう。

クレヨンしんちゃん『大人帝国の逆襲』では、モノとして昭和の街を作り、中年層の人をそこに住まわせた。大人の心をVRに閉じ込めたのだ。メタバースには、心も時代も閉じ込めることが出来るから、やがて現実にも80年代などに没入し続ける人たちは量産されるだろう。それが善か悪かは、しんちゃんの態度ほどには、明確でない気もする。

しんのすけは、父ひろしを幻覚から目覚めさせるため、ひろしの靴下を彼の鼻先にかかげた。激臭によってひろしは現実に戻ってくる。美しい彼と彼を愛した人たちの過去を肯定しながら。

ちなみに2023年しんちゃんの映画最新作『手巻き寿司』でも、ひろしの靴下がキーアイテムになっている。2次元漫画を違和感なく3次元CG化しているという点と、映画の中で描かれたことからしても、しんちゃんは全てを知っている目醒めたものだと思う。

靴下で目覚めたひろしに顕著に現れているが、現時点でのメタバース空間は視覚と聴覚の情報は充実しているが、嗅覚と味覚は不完全である。第一回電撃文庫大賞の『クリス・クロス』では、バーチャル空間から抜け出た主人公が、安心感を得る(リアリティを感じる)目的で香水を肌身離せなくなるというラストを迎える。この設定は、次の世代の人気ラノベ作品『ソードアート・オンラインシリーズ』においても踏襲されている。

匂い環境の構築の不十分さを持ってして、質の高いバーチャル空間の完成はまだ遠い未来の話だろうという意見もよく聞く。だがこの嗅覚の問題も時間の問題で解決しそうだ。2020年の段階で日本の有賀、坂内、妹尾(私)は嗅覚デバイスをインクジェットプリンターを利用して作成した。匂いがVR空間で実現しにくかった理由は、その提示以上に除去の方が難しかったからだった。オナラがすぐに消えないことから想像してもらえればわかるだろう。坂内はこの問題を、ごく微量の匂い物質を一定量ずっと出し続けるという方法で解決した。

一度の噴霧では微量すぎて瞬時に臭い物質が揮発し切ってあっという間に香が無くなる。しかし、その微量噴霧がずっと安定して続けばどうか?匂いは安定してし続ける。そしてその噴霧を止めれば、空間にある匂い物質はごく微量だからすぐに匂いが除去できるという方法だ(有賀, 坂内 & 妹尾, 2019, 日本バーチャルリアリティ学会, 論文賞)。ちなみに、この論文では匂い物質を与えた状態でベクションの強度を計測し、影響があるかどうかを検討している。

2023年5月にはNature Communications誌上で、圧倒的に利便性の高い香提示デバイスが報告された。香港の研究グループが作ったデバイスで、その考え方は坂内の発案と同じだ。パラフィンワックスを加熱することで、ごく微量な匂い物質を鼻腔に的確に発し続けるという方法だった。

技術の壁を超えるにはまだまだ時間がかかるだろうが、本質的にはそれは解決済みだと言える。スキルの向上は量的な問題になることが多いからだ。(もちろん量の差が質の違いになることもあるし、時間はかかる。)

だが根本的なことを言ってしまえば、僕たちは嗅覚や味覚を失ってもいいのではないかと思っている。コウモリが視覚を退化させたのと同じように、メタバース空間における人間は嗅覚を捨てるべきだ。というか人間はもう五感に頼らなくていい。五感は世界を知るための窓だが、環境と自我が合一すれば、それはもはや不要になる。ただし煩悩のために解脱できない我々にとってそれはやはりずっと彼岸なのだろうが….  死者に香を焚くのは匂いで目覚めねばならないのは煩悩まみれの我々の方だという、痛烈な皮肉かもしれない。

我々は視覚から多くの情報を得ている。だから目を覆うことで新しく気付くことができる。周りからの視線を痛く感じるなら、目を覆う、サングラスをかける、ないしは裸眼で歩けば、痛みを感じづらい世界に行くことができる。五感の再現を目指すVRはもう終わりでいい。嗅覚をまず諦め、触覚すら失う。その作業がこれからのVRだ。

これは新しい考えではない。般若心経に全て書いてある。そしてこの仏教的世界観は、源氏物語や平家物語などの古典に描かれているし、シミュレーション仮説の考えは、80年代の日本のアニメーション作品の中に繰り返し表れている。
 
般若心経が正しかったとしても、今の僕たちにはまだ昔ながらの世界への愛がある。野原しんのすけは大人たちを現在に戻すことに成功した。ノーラン監督の『インセプション』でもウォシャウスキー監督の『マトリックス』でも、押井守監督の『アヴァロン』『うる星やつら2』でも主人公たちは、必ず現実の自分のリアルな身体に戻ろうとしていた。これは現時点での人間にとっての本能なのだろう。東京に出ても故郷の力士の勝敗が気になったりするのが人間だったのと同じだ。

映画『アバター』では主人公は実身体を捨て、パンドラを走ることが出来る架空の体に魂を入れ替えた。彼は車椅子の生活でリアルな足が動かないという設定だった。この設定は人間の故郷に居たいという本能を超えていけるための前提として機能したのだろう。ネトゲ廃人達も同じだ。追い出されたものと、まだここにいたいもの。居られないからこそ、次の場所に行く。かつてアメリカ大陸の南端まで人間がたどり着いた原理(その名はベクション)は今もまだ働いている。

今、物理空間は行き尽くされ新規で自由な土地が無くなってしまった(実際にはネイティブアメリカンの土地と命を奪い、その地下にあったウランを掘削し原爆実験場を建設した訳だから、新規で自由な土地という表現は嘘だが…... 宇宙にだってなんらか気がつきづらい先住民はいるかもしれない)。高感度の(だからこそ弱い)天才たちは移住先を見つけられず、自室に閉じ込められ薬で制御され自分を責め続けている。この意見は僕のただの思い込みだが、その思い込み(認知バイアス)が誰か一人の一晩を乗り越えさせ次の朝が来るなら、それは全く悪いことだと思えない。その人は若者とは限らない。ダンディーな眼鏡オヤジだったとしても何も不思議ではない。真面目に真摯に生きようとして死なねばならないところまで追い込まれているなら、僕にとってその認知バイアスは大切で美しい。

海原雄山は厳しかったが、一度も梯子を外さなかった。
だからこそ山岡四郎は反発できた。
”過去”に責任を取ろうとする父たちよ。
あなたたちは優しく強かった。美しかった。
だからその言葉でこれからも教えて欲しい。
死ではなく、覚悟を。

負けるな と


      次回『坂本繁二郎と青木繁』に続く

この文章に著作権は主張しません。
自由にコピー可能です。ただし二次利用でのトラブルや損害に対しては自己責任でお願いします。他者を扇動したり支配することに利用されるととても悲しいです。


参考文献

C. ノーテボーム. (1996). "これから話す物語". 新潮社.
雁屋哲, 花咲アキラ. (1983-). “美味しんぼ”. ビッグコミックスピリッツ, 小学館.
円谷一. (1966-1967). "ウルトラマン". TBS.
カプコン. (岡本吉起, 西谷亮ら). (1991). “ストリートファイターⅡ”.  カプコン.
チュンソフト. (中村光一ら). (1994). “かまいたちの夜”.  チュンソフト.
六代目 三遊亭円楽. (1950-2022). "芝浜".
妹尾武治. (2011). "What is real? A case of O". 日本バーチャルリアリティ学会誌,16, 31-33. (芸術家大崎のぶゆきについての解説記事).
高橋陽一. (1981-1988). "キャプテン翼". 週刊少年ジャンプ, 集英社.
臼井儀人, 原恵一. (2001). "クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ! オトナ帝国の逆襲". シンエイ動画, ASATSU-DK(現ADK), テレビ朝日, 東宝.
臼井儀人, 大根仁. (2023). "しん次元! クレヨンしんちゃん THE MOVIE 超能力大決戦 〜とべとべ手巻き寿司〜". 白組, シンエイ動画, ADK, テレビ朝日, 東宝.
高畑京一郎. (1994). "クリス・クロス 混沌の魔王". メディアワークス.
川原礫. (2009-). "ソードアート・オンライン". 電撃文庫, KADOKAWA.
有賀安央衣, 坂内祐一, 妹尾武治. (2019). “HMD提示によるベクション刺激と嗅覚刺激の知覚的相互作用に関する検討”. 日本バーチャルリアリティ学会論文誌, 24(4), 361-370.
Liu, Y., Yiu, C.K., Zhao, Z. et al. (2023). "Soft, miniaturized, wireless olfactory interface for virtual reality". Nature Communications, 14(1), 1-14.
クリストファー・ノーラン. (2010). "インセプション". レジェンダリー・ピクチャーズ, シンコピー・フィルムズ, ワーナー・ブラザース.
ウォシャウスキー兄弟. (1999). "マトリックス". ヴィレッジ・ロードショー・ピクチャーズ,シルバー・ピクチャーズ, ワーナー・ブラザース.
押井守. (2001). "アヴァロン". バンダイビジュアル, メディアファクトリー, 電通, 日本ヘラルド映画, 日本ヘラルド映画.
高橋留美子(原作). 押井守(監督). "うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー". スタジオぴえろ, キティ・フィルム, キティ・フィルム, 東宝.
ジェームズ・キャメロン. (2009). "アバター". 20世紀フォックス, ライトストーム・エンターテインメント .
妹尾武治, 鈴木宏昭. "ベクションとはなんだ!?". (2017). 共立出版.  
鈴木宏昭. (2020). "認知バイアス 心に潜むふしぎな働き". ブルーバックス, 講談社. 


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?