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 昼休み、昼食の後で、ぼくら四人はパソコンのある談話室に入っていった。四人並んでパソコンの前に座る。

 ぼくが代表でパソコンを起動し、「斎藤タカシ」を検索する。斎藤タカシに関する情報サイトがモニターにたくさん映し出され、そのうちの一つを選ぶとAIの自動音声ガイダンスが斎藤タカシの説明を始めた。

 斎藤タカシ氏は、北海道帯広市にある「マスクタウン 帯広」を立ち上げたインフルエンサーの一人です。世界的に有名な精神科医であり、二〇二〇年以降に生まれた「新REIWA世代」と呼ばれる若者たちの一部を、「対現実無関心症候群」や「感情均一化思想の世代」として定義したことで有名です。
「対現実無関心症候群」とは、メタバースやアニメなどの仮想世界と現実世界とのギャップから、現実に対してまったく関心を抱けない「新REIWA世代」の若者たちに多い、現代人特有の精神状態のことを指します。
「感情均一化思想」とは、人間の体内にデバイスを埋め込み、感情の量を調節することで、一般大衆の感情の均一化を図ろうという思想です。保守派のインフルエンサーの多くが支持する「感情拡張論(デバイス、もしくは服薬によって、人間一人ひとりの向上心やメンタルの強度を向上させようという思想)」に対抗して社会の中に台頭してきた思想です。「感情均一化思想」を支持する人々の主張としては、現在の世界がこうも混沌としているのは、技術の急激な発展にともなって人間の自我が肥大し過ぎたことが原因であり、そのため人間の自我をデバイスによって均一化することができれば、この世界から「自我」という名の「個性」がなくなり、現在の世界の混乱をなくせるうえ、世界中の力なき人々がこれ以上、この世界でつらい思いをせずに済むという論理です。

「改めて聞くと、何ともカルトチックな論理だな……」ハンスが言った。

「まあ実際、マスクタウンの人たちは、国内でもカルト集団的な人たちとして見られてるからね」ぼくは自動音声ガイダンスを一時停止して答えた。

「でも、なんでこんな思想に共感する奴がたくさんいるんだろうな?」ルイが気味悪そうに眉をひそめる。「人間すべてにデバイスを埋め込んで、人間の感情をロボットのように均一化しようだなんて、どう考えてもまともな考え方じゃないだろ?」

「やっぱり、それだけ社会に絶望したり、不満を持っている人が多いってことじゃない?」ぼくは答えた。「ぼくの父親がまだ子どもの頃、超インテリの有名テレビプロデューサーや、世界的アスリートが、世の中に絶望してカルト宗教にハマって自殺したって話を、父親から聞いたことあるよ。そんな人たちまでがカルト宗教にハマる世の中じゃあ、極端に厭世的な考えを持った人たちが社会の中に一定数現れてもおかしくはないんじゃない?」

「はー……」ハンスとルイが、「理解不能」といった顔つきでため息を吐く。

 ぼくはAIの自動音声ガイダンスを再開した。

 マスクタウンに暮らす人々は、元々、自分たちを「社会的弱者」として扱う世間からの差別に耐えられなくなった人がほとんどのため、社会の中で強い精神力を持つ者に対して恨みを抱く者も多く、「感情均一化思想」を支持する人が自然と増えていきました。

 斎藤タカシ氏は、「感情均一化思想」の支持者ではありませんでしたが、社会に絶望する令和世代の若者たちの力になりたいと、「マスクタウン 帯広」の立ち上げ人の一人となりました。そして、「マスクタウン 帯広」を立ち上げた後もその運営の中心を担い、クラウドファンディングで集めた資金や、世界的にヒットしている自身の著書の印税のほとんどを、現在まで「マスクタウン 帯広」の運営に当てているとのことです。現在、「マスクタウン 帯広」の立ち上げメンバーの中で、唯一の幹部として残っているのは、この斎藤タカシ氏一人だけです。

 ぼくはAIの自動音声ガイダンスを停止した。

「スゴいボランティア精神だな。絶望している若者たちを救うために町までつくっちまうなんて」ハンスが言った。

「マスクタウンの人たちは、勝手に世の中に絶望してるだけなのにな」カスミがうなずいた。「ほっとけばいいのにな、そんな連中」

 オランダ人の父親に似て向上心が強すぎるためか、カスミは昔から精神の弱い人たちを軽蔑しているようなところがあった。「でもじゃあ、マスクタウンの人たちって、町を立ち上げた人たちだけは少なくともけっこうまともな考え方持ってたわけじゃん。それが、何であんなカルト集団みたいになっちまったんだろう?」

「隼人、知ってるか?」ルイが尋ねる。

「いや、知らない」ぼくは首を振った。「でも何か以前、ネットのニュースで、マスクタウン内の住人同士で対立があるみたいなのは見たことがあるけど、それと関係があったりするのかな……」

「あ、それはボクも見たことがある」カスミが言った。「何か、ある新興宗教の連中が、信者からの献金――お布施だったっけ? そういうのが少なくなって、運営資金に困って、マスクタウンを乗っ取ろうと信者を送り込んで、そいつらがマスクタウン内で力を持ち始めて、一部のマスクタウンで、フェンスとかの警備施設が厳重になったっていう」

「なるほど」ハンスがうなずいた。「内部の情報がほとんど出てこない極端に閉鎖的なコミュニティだから、乗っ取るうえでこんなに都合のいい相手もいないんだろうな」

 それから話の流れで、どうせならその閉鎖的な「マスクタウン 帯広」の中を少し見てみようということになった。

 ぼくは、「マスクタウン 帯広」へのアクセスをAIに指示した。

《かしこまりました、「マスクタウン 帯広」にアクセスします》

 AIの自動音声ガイダンスとともに、「ようこそ マスクタウン 帯広へ」という文字が、パソコンのモニターに映し出される。

《マスクタウン帯広のメタバースへようこそ。ご入室していただくためには、ユーザー様ご自身のパスワードとIDを設定していただき、アバターを作ったうえでご入室くださいますよう、よろしくお願いいたします》

「どうする? 今もうそれぞれにアバターを作る?」ぼくは三人に尋ねた。

「いや、今は隼人のだけでいいだろ」ハンスが答える。「それ以外のアバターは、それぞれが後で携帯でやればいい」

 ルイとカスミがうなずいた。

「わかった」ぼくはうなずき、IDとパスワードを決めると、パソコンのカメラで自分の顔写真を撮った。その写真をAIが自動加工し、ぼくのアバターを作る。

《お名前はどうなされますか?》

「じゃあ、H・隼人で」

《かしこまりました、H・隼人で登録いたします》

 ぼくのアバターがメタバース内に登録されると、カスミが言った。

「隼人の顔にしては、かっこよすぎだろ? 五割り増しくらいのイケメンになってんじゃん」

「ぼくがやったんじゃなくて、AIがそうしたんだよ……。それにぼくだけがイケメンになるんじゃなくて、みんなそうなるんだから」

「まあまあ、早く入ろうぜ」ルイが笑いながら言った。

 だから、こいつは仲間に入れたくなかったんだ……。ぼくは苦々しい気持ちで、「マスクタウン 帯広」に入室した。

《ようこそ、マスクタウン帯広へ》

 ぼくらのような一般人でも一度はネット上で見たことのある、「マスクタウン 帯広」の正門がモニター上に現れる。元々、廃校になった大学の敷地を買い取ったものだから、門構えは仰々しいくらいに立派だった。大学の敷地の周囲には鉄柵が張り巡らされている。

「スゲーよな、生まれてから死ぬまでこの中で過ごすんだからな……」ハンスが「マスクタウン 帯広」の鉄柵を見つめながら言う。

「いくら東京ドーム数十個分の広さがあると言ってもな」ルイがうなずく。

 マスクタウンには、大きくは二つのタイプがあった(細かく分けると、もっといろいろなタイプがたくさんある)。一つ目のタイプは、町の周囲に壁や柵、フェンスを設け、マスクタウン内の住人が外の世界との交流を基本的に断ち、マスクタウン内で決められたルールの中で生きていくというものだった。二つ目は、外の世界との交流は基本的に自由だが、マスクタウンの住人として町のルールには従って生きていくというものだった。

「マスクタウン 帯広」は前者だった。そのため、「マスクタウン 帯広」ができて以来、町の中で生まれた子どもたちは、基本的に「マスクタウン 帯広」以外の世界を知らないのだった。

 ぼくはアバターを前に進めて、「マスクタウン 帯広」の敷地に入っていった。

 正門から中に入ると、わかってはいたことだが、敷地内の広さにまず驚かされた。いくら北海道とはいえ、日本じゃないみたいだった。そして、そんな広大な敷地よりももっと印象的だったのは、マスクタウンの住人が暮しているのであろう建物(かつての大学の学舎)と、マスクタウンの道との間に二重に設けられたフェンスだった。そして二つ目のフェンスには、何と「高圧電流注意」の看板があちこちに掛かっている。この二つ目の電流フェンスは、「マスクタウン 帯広」の代名詞のようなものだった。

「今さらだけど、やっぱりマスクタウンの連中の生き方って異常だよな? 動物園の動物と一緒だよ」ハンスが言った。「周りを全部フェンスで囲んだこの檻のような建物の中で一生暮らすことを選んだんだぜ? 信じられるか? フェンスで囲まれた建物の中で一生を終えるなんて……」

「アンヴィリーバブル……」とルイが肩をすくめる。

「一生を檻の中のコンテンツとして生きるってわけだな」カスミがつけ加える。

 情け容赦ない三人の「マスクタウン」への批評が飛ぶ。

 けれど三人の言うとおり、外国の人々――特に欧米の人たちが「マスクタウン」に長年注目してきたのは、彼ら欧米人にとって、マスクタウンの住人が「ナマの人間コンテンツ」そのものだったからだ。それこそ彼ら欧米人の大部分は、「マスクタウン」の住人を、「社会の負け犬コンテンツ」という観賞物として面白がっていた。

 日本国内でも、「マスクタウン」の住人は「社会の負け犬集団」として見られていた。それこそ「マスクタウン」反対派の多くは、彼らのことを「日本の恥」「令和の非人集団」などという蔑称で呼んでいた。

 そして、そんな「ナマの人間コンテンツ」を一目観ようと、マスクタウン内のメインロードには、様々な人種のアバターがあふれていた。アジア系のアバターはもちろん、白人、黒人、アニメキャラクターのアバターもたくさんいた。やっぱり世界中から訪問者がいるのだろう。運が良ければ斎藤タカシのアバターに会えると思っているのかもしれない。

「ちょっといろいろな人に話しかけてみろよ、隼人」

 ハンスに言われて、ぼくはメインストリートを歩くアバターに片っ端から声を掛けてみた。国は様々で、アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、オランダ、ベルギー、スペイン、スウェーデン、デンマーク、フィンランド、オーストラリア、ロシア、中国、韓国、台湾、インドネシア、タイ、マレーシア、ベトナム、ブラジル、ケニア――と、ざっと聞いただけでもこれだけたくさんの国の人々がいた。この「マスクタウン 帯広」というメタバースが、いかに世界中から注目されているのかを改めて知った気がした。

「どうやったら、斎藤タカシに会えるかな?」ルイが尋ねた。

「まあ、可能性はかなり低いけど、斉藤タカシの店でなら会えるかもね」

「斎藤タカシの店に行ってみろよ」ハンスが言った。

 斎藤タカシは、「マスクタウン 帯広」のメタバースの中で、自分の店を開いていた。そのメタバースの店内で彼が書いた書籍を購入すれば、現実の世界で彼の書籍がユーザーに届けられるのだ(斎藤タカシ自身は、この店を「マスクタウン 帯広」の運営資金にあてるために開いているということだった)。

 ぼくはメタバース内の検索機能を使って、斎藤タカシの店を調べてみた。

《斎藤タカシ氏の店は、今いるメインストリートを五十メートルほど進んだ左手にあります。けれど、特別会員以外で氏本人に会えることは稀であり、同氏はメタバース内での来訪者の対応を、基本的には自身がつくった店員のアバターに任せています》

「特別会員」とは、斉藤タカシの主催するサブスクリプションに参加するユーザーの中でも、斉藤タカシ本人に、「特別会員」として認められたユーザーのことだった(八十人ほどいるらしい)。この「特別会員」は、斎藤タカシ本人まで直接メッセージを届けることができるのだ。それ以外のユーザーの対応は、斎藤タカシの作った店員のアバターに任せているらしい。そのため、こちらからメッセージを残しても、斎藤タカシが聞いてくれるかどうかは彼の気分次第ということだった(世界中のインフルエンサーの多くは、同じ方法でメタバースの運営を行っている)。

「まあ、行ってみようぜ。ダメ元で」カスミが言った。「ゴーゴー、隼人」

「はいはい」ぼくはアバターを操作してメインストリートを五十メートルほど歩いていった。斎藤タカシの店がほどなく道の左側に現れる。店の前にはたくさんの訪問者がいたので、すぐにわかった。

 けれど、斎藤タカシの店の前にいるアバターたちは、店の中に入ってもすぐに引き返してくるだけだった。やっぱり斎藤タカシの作ったアバターに門前払いを喰らわされたのだろう。

 ぼくもアバターを操作して店の中に入っていったが、ご多分に洩れず斉藤タカシの作ったアバターに門前払いを喰らわされた。それでもメッセージを残すことだけはできたが、どうせ聞いてもらえないなら意味がないと、今日はもうこれくらいにしておこうと、ぼくはアバターをメタバースから退出させた。

「フフン、やっぱり斎藤タカシに会うのは、一筋縄じゃあいかなそうだね」カスミが鼻を鳴らして言う。

「まあ、その方がやりがいはあるけどな」ルイが不敵な笑みでにやりとする。

「まあ、マスクタウンに行くのは、斉藤タカシに会うのだけが目的じゃあないからね」ぼくが言うと、他の三人がうなずいた。

チャイムが鳴った。

ぼくら四人は談話室を出て、午後の授業に向かった。

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