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狂、散りゆく ~高杉晋作の第二次長州戦争と、それから~⑤


 翌日、高杉晋作たちの乗った丙寅丸は三田尻に戻った。

 港につくと、高杉は、藩庁への報告のため、山田市之允を山口へと向かわせた。

 自身は六月十四日、馬関(下関)へと戻った。そして同日、あの坂本龍馬が乙丑丸(いちゅうまる)(ユニオン号)に乗って馬関に入ってきたという一報を受けて、高杉は狂喜した。

「天は我が長州に味方したぞっ。あの坂本龍馬が乙丑丸に乗って馬関にやって来ようとはっ」

 高杉は早速、奇兵隊軍監の山縣(やまがた)狂介(後の山縣有朋)を伴い、馬関の港近くの旅籠(はたご)にて坂本龍馬に面会した。

 坂本龍馬は、菅野角兵衛、白峰(しらみね)駿馬(しゅんめ)、沢村惣之丞(そうのじょう)といった、亀山社中の同士たちと、旅籠の座敷にて供された饅頭を食っていた。「亀山社中」とは、坂本龍馬が立ち上げた物資の海上運搬をなりわいとする海運商のことであった。

 高杉は、坂本龍馬の眼前であぐらを掻きながら会釈をした。「お久しぶりです、坂本さん」

「ご無沙汰しております」坂本龍馬は仏頂面でうなずいた。平素はとびきり不愛想なことで評判の男であった。

「薩摩との同盟締結の折にはお世話になりました」

「お役に立ててよかったですよ」坂本は口許をほころばせた。

 その笑みを見て、思わず引き込まれそうな魅力がある、と高杉は思った。大業を成す男とはこうでなければならない、たとえ黙ってもいても全身から溢れ出るその魅力によって、周りの人々を自ずと引き寄せる人物でなければならない、と。

「高杉さん、少しお瘦せになられたご様子で」坂本はよれよれの袴で餅のついた手を拭いながらつづけた。

「近ごろ、よく咳(せき)が出ます」

「そういえば顔色もよくない――のは、以前からでしたが」

 坂本の諧謔(かいぎゃく)めいたその言葉に、左右に居並ぶ亀山社中の者たちがくすくすと忍び笑いを洩らした。

 高杉はうつむくようにして苦笑した。しかし、不思議と怒りがわいてこない。平素ならば、「無礼者っ」と一喝するか、刀傷沙汰になるところだが、この坂本に限っては不思議と怒りの矛先が向かわない。

 やはりこの男は俺に似ている、と高杉は思った。本来ならば、相手の怒りや妬みを買ってしまう無礼な振る舞いも、自ずと笑いや羨望に変えてしまうところがこの坂本龍馬にはある、と。英雄になる男には不可欠な資質だ、と高杉は思った。高杉自身も、戦の最中、よく女人とともに兵営外で起居していたが、仲間たちの怒りを買うことはなく、「さすがは高杉さんだ」と逆に朋輩たちからの羨望を集めたりした。

「坂本さん」高杉は改まった口調でつづけた。「ご承知のとおり、今、幕府の連中が、我が長州の地を荒らし回っております。連中を蹴散らすため、ご助力をたまわりたい」

「ほう、天下の高杉晋作に助力を頼まれるとは」坂本があごを撫でながら愉快そうに笑みを浮かべた。

 左右に居並ぶ亀山社中の者たちも、上体を乗り出すようにして瞳をぎらつかせた。元々、土佐の武士には荒くれ者が多いが、坂本龍馬をはじめ、土佐藩を脱藩した下士たちには、その傾向がいっそうに顕著であった。

「我らは何を」菅野角兵衛が訊ねた。「公儀(幕府)の軍艦に大砲でも打ち込みますか」

「そりゃ痛快じゃ。夷国の片棒を担いでいる公儀の手先を、この馬関の海の底に沈めてやりましょう」

 沢村惣之丞がそう言うと「賛成、賛成」と亀山社中の者たちは口々に言い合って湯飲みを虚空に掲げ、「前祝いじゃ」と湯飲みの中の茶を一息に飲み干してしまった。

「されば、ご助力をいただけますか、坂本さん」

 高杉の問いかけに、坂本は、仲間たちとうなずきを交わし、「引き受けましょう」と返した。

「かたじけありません、感謝いたします」高杉は会釈をし、胸中にある策を話し始めた。

 長州藩の保有する戦艦は、坂本たちの乗ってきた乙丑丸(いちゅうまる)を含め、丙寅丸、(へいいんまる)癸亥丸(きがいまる)、丙辰丸(へいしんまる)、庚申丸(こうしんまる)の五隻。これを二手に別け、一方は丙寅丸、癸亥丸、丙辰丸の三隻で海上から田ノ浦に砲撃を加え、一方は乙丑丸、庚申丸の二隻で門司に砲撃を加える。その混乱の隙に乗じて、隣に控える山縣狂介の指揮する奇兵隊と、長府藩士で結成された報国隊を和舟で上陸させ、幕府兵を攻撃する。だが、艦砲射撃で上陸まではうまく事が運んでも、その後、幕府海軍に嗅ぎつけられ、制海権を握られては、長州の兵たちが敵地に取り残されることになる。そこで、二手に分けた戦艦で、海上から長州の陸兵たちを援護しようというのである。むろん、一度きりの攻撃で城を落とせるものではないので、敵地にそう長居をさせるつもりはないが、仮に幕府海軍との海戦になった折には、その戦艦群の一方を坂本さんに指揮していただきたい、と。

「大役ですな……」坂本は懐手で再びあごを撫でた。

「それゆえ、坂本さんに務めていただきたいのです。桂さん(桂小五郎)や中岡(慎太郎)くんより、あなたが舟の扱いに習熟していると訊いていたので。それに、亀山の人たちも海技に通じた人たちばかりだ」

「天下の高杉晋作にそこまで持ち上げられては、断るわけにはいきませんな」

「されば」

「引き受けましょう」坂本龍馬はうなずいた。

「かたじけない。恩に着ます」

 坂本龍馬たち亀山社中の面々の参戦が、ここに決したのである。

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