命に触れること・いただくことの痛みと有難さ

※一部動物が苦しむ表現があります
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私は大学生になって、初めて実習に行ったその日からそれまでまったく興味がなかった酪農畜産にどっぷりとつかりこんだ。とにかく現場思考の私は、大学の実習だけではとても足りず、「畜産系の学生」という肩書きを乱用してとにかくいろんな現場に行っていろんなものを見て嗅いで触わって聞いて感じて、そして食べた。

時に家畜の現場では家畜にとって痛い・苦しいことを淡々と遂行しなければいけない側面が出てくる。家畜のワクチネーションや去勢、淘汰(病気で出荷できない個体をその場で処分する)など。
そういう作業は心があれば誰にとっても本当に苦しいことだろう。

私は初めてブタを去勢したとき、気が遠くなりそうだった。
豚はたいていの場合生後数日で去勢を行う。肉が雄臭くなること、気性が荒くなること、望まない妊娠、これらを避けるために肉養豚のオスにとって去勢は避けられない試練だ。しかもそのほとんどの場合が無麻酔だ。1頭1頭麻酔をかけて丁寧に手術をするような金銭的および時間的に余裕のある現場はほとんどないからだ。

仔豚の叫び声を聞いたことがあるだろうか?あれはまるで人間の赤ちゃんが容赦なく大泣きしている声のような音だと思う。去勢用のカマ状のメスが皮膚に食い込むたびに耳をつんざくような悲痛な絶叫が響き渡る。
可哀相や躊躇、共感。こんな感情はその時、本当にいらない。こういう状況で私情は邪魔で邪悪だ。安い共感などむしろおこがましいくらいだ。そんなものは手にしたメスの安定性を阻害し、あるいは手順を詰め込んだ頭を真っ白にしてしまうから。そんなことでは自分が向かい合っているいのちを無駄に苦しめることになる。だから自分にできることは、ただひたすら集中して素早くやるべきことをこなす、それだけだ。集中しなきゃ。自分がここにいるぞという意識を正確に維持し続けるため、こういう時私は唇を思いっきり噛む。とにかく早く早く、なるべく痛みがないように、正確に、早く。
ようやく取り出した片方の精巣。さっきまで精巣があった場所に空いた真っ黒い穴は本当にブラックホールみたいで、意識が吸い込まれてしまうかと思った。でもここで集中力を切らしてはいけない。もう片方はさっきの要領をつかんで絶対にもっと早くやらなければ。
1頭終わっただけで、その緊張感と責任と仔豚の叫び声とでとても削られたのを覚えている。従事者の方々は1日に何十頭もこの作業をやっている。

こういう、やむを得ず動物に痛みや苦しみが伴う作業もいくつか経験させていただいた。その中で自分の中で鮮烈に印象に残っているものがある。

それは「除角」だ。この工程は、主に乳牛が行われるものだ。牛乳を搾る期間は朝夕必ず人間と関わる乳牛は、ふとした時の接触を防ぐためにある程度角が伸びたら角を切り、角の生えてくる細胞ごと焼き切る。
牛の角というのは、頭蓋骨から直接生えており、いわば骨と変わらない。
それを大きいペンチのようなもので角を切り、血が噴き出すさっきまで角のあった場所に熱で真っ赤になった鉄の棒をぐりぐりと押し当てる。

自分の番が回ってきたときのことはそんなに覚えていない。とにかく、やるべきことの手順とポイントのみで頭をいっぱいにして、余計な痛みを負わせないことにだけとにかく集中した。

骨の切れる頼りない、サクッという音が今も耳に残っている。

ふだん当たり前に飲んでいる牛乳を生産してくれている雌牛たちはみんな当たり前にこれを経験しているのだ。

一般の人は、例えば家畜がお肉になるなんてかわいそう、以上のことまではなかなか考えるに至らないと思う。畜産や酪農のリアルは、いくつかの理由で意図的に一般社会から遠ざけられているので、当たり前だ。
でも家畜たちは、最終的なと畜にいたるまでもいっぱいいっぱい苦しいことを乗り越えて、それでも健康に自分の命をその時までめいっぱい生きているのだ。そして今私たちの食卓に上がってくれている。
そして彼らがなるべく苦しまず、なるべく幸せでいられるよう尽力している従事者の方々にも、自分が少しだけでもそういう経験をさせていただけたからこそ、より一層頭が上がらない。


あとがき
私は決してやり方を非難したり、家畜がかわいそうだ!とかそんな主張をしたいわけではない。
ただ、そこに、事実としてそれがあって、そのために歯を食いしばっている人がどこかにいるかもしれなくて、私はその上の産物を享受しているだけだ。それだけだ。

家畜を勉強していなかったらこんなこと知ることはなかっただろう。
家畜というきらきらした命を通して、命の重さをいたく痛感した大学生活だった。


おしまい。

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