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シャンタル・アケルマン 『一晩中』 人物が去った後の空間に映るもの。

 夜勤明けでキネマ旬報シアターに向かった。まだ外の明るさに順応できていない僕の体を、映画は夜の暗さで包み込んでくれた。
『一晩中』。とっても良かったので感じたことをメモしておこうと思う。

 冒頭、赤い服の女が想い人に会うべきか悩んでいる。抑えきれず電話をかけるが、彼が出た瞬間電話を切る彼女。「彼を愛している…、彼を愛している…」彼女は家を飛び出し、彼の家へ向かう。
彼女が画面を横切ったり、タクシーに乗って闇に消えたり、人物が画面からいなくなった後もそのカットが続く。この映画にはそんなカット、シーンが多い。(アケルマンの映画全てに言えることだが)今回その意味が少しわかった気がする。人が去った空間にはその人の意識が残る、そんな感じがした。人の意識はその空間をたゆたう。アケルマンは見事にそれを映像に残してみせた。様々な人々が行き交う街なかには数多の思い・意識がたゆたっているのだ。でも昼間は明るくて、騒がしくて見えることはない。夜になって明るみになる。
バーはいつでも人々の感情の吹き溜まりだ。この映画とバーは相性が良い。アケルマンの鋭くて客観的な目線は見えるはずのない人々の思いを映し出す。そんな空間で男女が一言も話さず前を向いているシーンの緊張感と言ったら。ジャンヌディエルマンもアケルマンの緊張感・サスペンス性がものすごかったけど、この『一晩中』も空間がピンと張り詰めている。
(ビールが同時に倒れるシーンはやばかった!)
「彼を愛している」「ここにいられない?」「寂しい」「ダンスに行こう」
名もわからない人物たちの短い言葉が緊張感を作り出す。
雷の音を聞きながら「雨が降りそう」はふざけてて笑ってしまった。

他にはベッドに妖艶に横たわる女性…と思ったら、禿げたおじさんだったりどこかふざけたシーンも多くて同時にドキッとしてしまった。

そして朝が来る。騒々しい街の音。
踊る男女。彼女が愛している「彼」は目の前の抱き合って踊る彼ではない。
ジーノ・ロレンツィのL'amore perdoneraが街の音をかき消してくれるが、電話によって遮られる…。

以下、自分用メモ
シャンプティエのライティングが素晴らしい。暗部と明部の表現。
客観的なカメラ。
朝になった瞬間の映画的快楽。
夜間、家を出た妻、朝ベッドに戻り、目覚まし時計を止めてベッドをでる。

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