見出し画像

永縁まちづくり構想(Vol.7)


私が見てきた「長井というまち」

長井を知るまで

 私は大学で、地域科学という学問を学んでいる。関係人口について知ったのも、読み漁っていた地域づくり関連の論文からである。
 もともと同じ団体でボランティアをしている森さん (関係者note vol.3 執筆者) が休憩中に読んでいた本の表紙に、関係人口 の4文字を見たときは衝撃を受けた。まさか、大学以外の場所でこの言葉を見ることになるとは思いもしていなくて、気づいたときには読書中の森さんに話しかけてしまっていた。
 関係人口を知る人がいることに驚いたのは森さんも同じだったようで、話はとんとん拍子に広がった。森さんが山形県の長井市にあるSENNという建物に関わっているということ、長井が何度も通いたくなってしまう場所だということ、長井に関わる他の学生のこと、山形までフェリーと自転車で行けること、関係人口について考える日々のこと、、、
 「森さんが楽しそうに語る長井」も、「長井を楽しそうに語る森さん」も、あまりにも魅力的で、自分も長井を見てみたいと、SENN来訪を即決した。


記憶を持たない町のこと

 私は、過去の記憶が飛び交うまちがとても好きだ。例えば、京都や鎌倉みたいな歴史的建造物の並ぶ街では、何百年も前にその場所にあった生活が目に飛び込んできてわくわくする。数十年や数百年、もしかすると数千年前も、ここで必死に生きてきた人がいるということにものすごく感動する。どこに行くときも、そんな 過去の記憶 を探してぶらぶら散歩をするのが楽しみだったりする。

 現在のまちづくりでは、いらなくなったものは放置もしくは完全に取り壊して、必要なものは新たに1から創造するということが多いように感じている。廃れたシャッター街と、キラキラしたショッピングモールが共存する地域なんてのも珍しくない。あのキラキラのショッピングモールもきっと50年後には廃れて用なしになる、、その頃にはこのシャッター街はきっと跡形もなく消えて全く新しい何かが建っている、、商店街があったことも、それがシャッター街になったことも、今ここにある誰かの生活も、いまは新品のショッピングモールも、いつか全部新しい何かに塗りつぶされて、、、そうやって過去の面影の抹消を繰り返して 記憶のない町 が更新されていくんだろうか、、、。まちを歩きながらそんなことを考えては、喪失感と虚無感みたいな、やるせない気持ちに飲み込まれるのが最近は日常茶飯事である。


古きを温めてまちをつなぐ


 長井は、温故知新のまちだった。長井で印象的だったのは、旧小学校をリフォームしたコミュニティ施設と、市民アトリエとして活用するため旧印刷所をリフォーム中のkosyauという施設だ。

旧小学校にある長井の展示


少しずつリフォーム中のKosyau


どちらも、昔の施設の使える部分はそのまま残して、必要なものは補って、新しい使い方をしている。0までは壊さず、状況に応じて使える部分は残した上に、何かを創造するという新しさの形に、言葉がでないほど感動した。旧小学校にもKosyauにも、過去と今と未来が詰まっていた。何十年も前にそこにあった生活とか、数十年後にそこに残るだろう今とか、数えきれないほどの「いつかの景色」であふれる場所はあまりに素敵で、心が震えた。


地域を上手に縮小する


 居心地のいいまちをつくるには、少なくなる人口に合わせて上手に地域を縮小させることが必要だと思う。5人暮らしに適した家が1人暮らしには広すぎると同じで、空っぽになっていく地域に新しいものを創り続けるのは得策ではない気がするのだ。
 長井で見た、「新しいものを0からは創らずに、今あるものを活かして繋いでいく」まちづくりは、これからの地域づくりの形としても魅力的だった。町を大きく新しくして中身が空っぽになるよりも、古いものをうまく使って 町を拡大しない工夫 をするほうが、住む人の生活を豊かにするかもしれないと体感できたのは、今回の長井旅の大きな収穫のひとつだ。



観光者ではなく、関係者を生み出すこと

関係人口の意義


 日本の人口減少は、今後止まらないらしい。となると、外から人を呼び込んで、人口を増やして、経済の規模も大きくして栄えさせるという形の地域づくりには限界がある。それで一つの地域が栄えても、残る他の地域に人が足りなくなってしまう。人口が減っていくなかでも地域を機能させ続ける方法として、外に居住するが地域内の活動を担う関係人口の存在は、不可欠になる。先述した「地域の上手な縮小」においても、関係人口は重要な役割を持つと思う。

誰かを通して町を見ること

 私にとって魅力的だった「温故知新の長井」にも、古いものを壊して新しいものを創っている一面はあった。それでも長井が私にしっくりきたのはきっと、「森さんが案内してくださったから」だと思う。森さん経由でなかったら、長井が温故知新のまちには見えなかったかもしれない。人をレンズに町を覗くと、一人で見るのとは違った色彩が飛び込んでくという体験は新鮮だった。

 住んでもいない地域の維持に、わざわざ関わりたいという人はなかなかいない。観光者よりも町に深く関わってくれる「関係者」を、町とつなぐにはどうすればよいのか。

 人と町を繋げるのは、観光名所でもローカルフードでもビッグイベントでもなく、「人」でもいい。

 長井で見つけたこの可能性は、地域づくりを学ぶ上で最も答えが見えなかった問いに、小さな糸口をくれた気がする。

これから、縁を繋ぐ

 「人を介すことで町の魅力が見える」という現象こそ、関係人口の根源ではないか。関係者を増やすには、人と町を、「人が」つなげるという工程がぴったりだ。
 次は、私が誰かのレンズになってみたい。「私が語ること」で、誰かを長井に繋げてみたい。そのためには、私というレンズを魅力的に磨かなければ。関係者への第一歩として、町と、自分自身をもっとよく知ろうと思った。

 札幌という、四角い灰色の新しいまちでの生活は、なんでも手に入って、とても便利で、そして時々息が詰まる。長井での3日間は色にあふれていて、心がとても元気になった気がする。連れてきてくださった森さんをはじめ、充実した3日間に関わってくださった方々への感謝を表して、本稿の結びとしたい。

長井で最初に食べた馬肉蕎麦
おいしすぎた。それに尽きる。
建物の古さを誇る羽前成田駅とフラワー長井線
奇跡的に一輪だけ咲き残っていたあやめ
これまたおいしすぎたお麩白玉
米沢牛。幸。


執筆者
塩野入希実
北海道大学文学部地域科学研究室2年
2022 8/26〜8/28訪問



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?