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『三国相伝陰陽輨轄簠簋内伝金烏玉兎集』

 ──祇園神は、仏教では牛頭天王、神道では素戔嗚尊、陰陽道では天刑星。

 牛頭天王は、修験道の神とも言う。修験道は、仏教、神道、陰陽道が入り混じっており、複雑で理解しがたい。

「インドにおいて成立した仏教と、シナにおいて発生した道教と、わが国固有宗教たる神道の習合によって生み出された新たしいわが国の神祇なのである。しかも朝鮮において発生した民族宗教をも合揉し来っているように思われる。そうして、よほど我々日本人の宗教的感情にマッチしたとみえ、あるいは天王社、あるいは祇園社、あるいは素戔嗚神社などと称して、わが国土の津々浦々いたらぬ隈なく、これをいつきまつっていないところろてないのである。」(西田長男「『祇園牛頭天皇縁起』の成立」)

「素盞嗚尊の他に、ヒンズー教に淵源があるとも思われる牛頭天王、仏教の薬師・観音・大日、道教の商貴王・(鍾馗)・天刑星、陰陽道の方位神である天道神・歳徳神・八将神、朝鮮の民俗信仰の『ソシモリ』など、アジア世界の諸神格が、牛頭天王の信仰に包摂されている」(宮家準「牛頭天王信仰と修験道」)

 今回は、祇園信仰を広めたとされる陰陽道のバイブル『三国相伝陰陽輨轄簠簋内伝金烏玉兎集(さんごくそうでんいんようかんかつほきないでんきんうぎょくとしゅう)』の牛頭天王像を探る。
 『三国相伝陰陽輨轄簠簋内伝金烏玉兎集』は、安倍晴明が編纂したとされる陰陽師の秘伝書である。実際は晴明死後に書かれた本で、安倍晴明の子孫と称する安倍氏が鎌倉末期に祗園社に篭もって書いた本だと考えられている。
 書名が長いので、
『三国相伝宣明暦経註(さんごくそうでんせんみょうれきけいちゅう)』
『簠簋内伝(ほきないでん)』
『簠簋(ほき)』
『金烏玉兎集(きんうぎょくとしゅう)』
と略称される。
・簠簋は、中国で神に供える穀物を盛った祭器で、「簠」は四角い祭器、「簋」は円形の祭器。
・金烏は太陽、玉兎は月で陰陽を表わす。
 全5巻で、第1巻の冒頭に牛頭天王の縁起が載せられ、便宜上「牛頭天王伝」と呼ばれている。

『三国相伝陰陽輨轄簠簋内伝金烏玉兎集』(巻1)

【原文】

三国相伝陰陽輨轄簠簋内伝金烏玉兎集 巻第一
           天文司郎安倍博士 吉備后胤清明朝臣撰

倩(つらつら)以、北[中]天竺摩訶陀国、霊鷲山艮、波尸那城西、吉祥天源、王舍城大王名号商貴帝。 曽、仕帝釈天、居善現天、遊戯三界内、蒙諸星探題、名号天刑星。天刑星、依信敬志深、今下生娑婆世界、改号牛頭天王。頭戴黄牛面、両角尖、猶、如夜叉。厥勢長大、一由膳那也。厥相顔異他。故更罔有后宮四姓咸悲歎。君未懈朝政。故国家寔豊饒。公遊嬉戯床[牀]、民嘲栄楽室。境界已不姧阡陌等罔萃。五日風不叩枝、十日雨不犯塼。五穀不蒔生、七珍不求来。更無后宮。豈後生有楽哉。
 于時、自虚空界、青色鳥来名瑠璃鳥。形如翡翠、声似鳩鴿、来居帝王檻前等哢天王曰、我是為天帝使者。汝元為同朋而已。汝名号天刑星。我名曰毘首羅天子。士与我親昵。尚、如共命。鳥口言雖替、大旨無違。故事天帝如一鳥双翼。似大轍両輪。雖爾、士、因信敬志深、今、下生閻浮提預転輪聖王位。爾、罔御宮采女。故天帝、令我教告。自是南海有娑竭羅龍宮。是有三人明妃。第一名金毘羅女。第二名婦命女。嫁請北海龍宮、収難陀跋難陀城。爰第三号頗梨采女。紫磨黄金美膚、備八十種好華粧、閻浮檀金麗容、写三十二相月桂。汝、至彼宮、須嫁請。如斯哢終、帰虚空界。
 然后、天王歓、三日斎而、宜企車馬、甚率眷属、欲趣南海。厥道遼遠八万里程也。君未遷三万里。人馬労驤。爰南天竺傍有一国。曰夜叉国。望彼花洛、厥国鬼王名号巨旦大王。厥国四姓、為魑魅魍魎類。天王、安然望彼鬼関。鬼王、弾呵閉戸不通天王肩乏弾舌空去。爰有千里松園。陰彼林中、爰有一賤女。手持莩笊、肩擔篇竿、拾松翠葉。天王、問曰、汝、有室宅哉。暫為体留。女曰、我、則巨旦為奴婢。宿少局内。自是去東方一里程、有浅茅生原彼曠野中有。苺買生掛庵。貧賤禄乏、彼曰蘇民将来。外抱慈哀志、内含悲敬計。彼往求宿。
 天王歓喜。快然向東攀車轍。磊駒轡、急至彼野中。爰有柴門。同有藁屋扉。見彼庵主、齢長老翁、手抱柴箒、掃室内塵。足沓藁履、竭庭前草。爰天王、轟車羚羊陌、馬馬兎狢、径速往而問旅宿。将来、微笑曰、我、為貧賤主。家僅、不過三閣。豈収留若干眷属。天王曰、我一宿留。正可愍念。于時、将来。抱粱粟茎、為上閣。天王歓喜座彼席上。然后、将来、官収中閣。夫属下閣。室内雖狭、独罔不宿。天王曰、我、凌若干長途。人馬共疲労。汝、有粮食哉。翁曰、我、是貧賤禄乏、更無一升米。併、爰有一瓢。个中収粟米。幽不過半器。是収瓦釜中煮熟、刹那程也。是置梛葉上、餉饗。天王、等配補眷属。天王曰、汝、志足哉。大哉。禄、劣鰥寡孤独人、心、勝富能貴徳君。謝汝其志、抱千金報亭主。天王、終夜感厥志、漸至五更。聴鳳凰唱、急企車馬為至南海。将来曰、君、自何方奈処往。天王詫曰、我、為北[中]天主。未罔后宮。故、南海有明妃、欲嫁娶彼女。自是娑竭羅城凌、幾長途哉。将来曰、自中天至南海厥道八万里也。君、未逮三万里程。自茲到彼巨海深遠少車馬行路、以何到南海、依何合龍女。于辰天王、愁然、已欲帰北[中]天。将来重曰、我、有一宝船。名曰、隼鷂。両端高大、学龍頭鷁首、脚早、行速刹那過数万里程。于辰天王、往歓喜踊躍思、咸擲車馬、移彼船中。忽然、須臾到龍宮城。
 爰天王、我大旨奏龍王。龍王、快然、奉周章天王。急開不老門、移長生殿、合歓頗梨采女。賀祥縁亀、丹鶴、然龍王、尽山海珍物、調国土美食、餉饗日久。已経三七歳余。天王、与女、御無別不浅、故、夜、鴛鴦襟下、学偕老同穴妹世、昼、連理花陰、飜比翼相思契裳、絲竹声不休、金石少有暇、四声遠遠叩宮外、三唱幽幽通広天。故、契盟罔暇、宜得八王子。一、総光天王。二、魔王天王。三、倶摩羅天王。四、得達神天王。五、良侍天王。六、侍神相天王。七、宅神相天王。八、虵毒気神也。
 然后、天王、欲帰北[中]天、或時、命八王子曰、我、為北[中]天王。往昔、南海趣時、中間有国、曰広遠国。彼国主名巨旦大王。咸是魑魅魍魎類也。已望彼鬼門欲求一宿。巨旦、恚怒、令我弾呵、我已斎故恐然退去。今、欲到彼国、破却鬼王城郭。于時、八王子等、各相率四衆八龍等百千若干眷属、上著瞋恚鎧、手抱降伏剣、神通弓矧飛行矢、刀杖罔限。干戈交色、已令蜂起彼国。
 于辰、鬼王、忽然、有阿羅監鬼相。寔成不思議想。命博士、問卜曰、有何妖蘖哉。深受阿羅監鬼相、精気不貞。胸躍動揺。汝以深察。士、謹、勘天地陰陽負数、閲亀甲八郭経旨、昔、北[中]天有王。号牛頭天王。為求将婦、趣南海。頭有牛角。相雖望関門、閉戸弾呵。王、斎、故罔為妨碍。早経廿一年。宜至南海、嫁請頗梨采女而、生八王子。今厥八王子等、相具四衆八龍等百千若干眷属欲破却此城郭。豈以可遁此禍哉。鬼王曰、以何祭祀令解除。士曰、供養一千人苾蒭、正可得退散。鬼王曰、勤修奈法。士曰、行太山府君王法頗可解除。于辰、鬼王、歓喜。天張鉄網、地敷盤石、四方構長鉄築地、同外堅大沢溝堰、内造玉宝殿、同餝清浄床、嬉慢歌舞八句大衆安座四維。鉤索鐐鈴四衆薩埵侍立四方。同賓高座上掛羅綾打敷、并、天葢瓔珞幢旛花慢飜覆四維風、中有清浄明僧、唱満諸大陀羅尼。爰天王、安然、望彼鬼館、鉄城高大、神力、方便術意更難叶者也。于辰、天王以阿你羅、摩你羅両鬼令鑒見、爰有懈怠比丘。深沈睡眠諳偈句。故真言不詳、已成牖窓、大穴生。爰天王、得便、刷神力翼、入彼鬼館諸眷属共乱入、没敵彼一族、如蒔沙揣。爰天王曰、我、昔、到此国時、此松園中有一賤女。雖巨旦奴婢、為我恩徳人。欲助彼女。削桃木札書写喼喼如律令文、令弾指彼牒、収賤女袂中、然退此禍矣。
 然后、切断彼巨旦屍骸、各配当五節。行調伏威儀後、至蘇民将来所。変為祐長者、久期天王帰国。造五宮、構八殿、請入八王子、三日停車、尽諸珍菓。故、天王歓快、彼夜叉国報蘇民将来。然、誓願曰、我、末代成行疫神。八王子、眷属等、国乱入曰、汝子孫不可妨礙。汝定一守護。所以授二六秘文。然濁世末代衆生、必耽三毒。煩悩増長。四大不調、甚受寒熱二病。牛頭天王部類眷属所行也。若、欲退失此病痛、外不違五節祭礼、内収二六秘文、須信敬。厥五節祭礼者、正月一日、赤白鏡餅、巨旦骨肉。三月三日、蓬莱草餅、巨旦皮膚。五月五日、菖蒲、結粽、巨旦鬢髪。七月七日、小麦索麺、巨旦継。九月九日、黄菊酒水、巨旦血脈。総蹴鞠頭、的眼。門松墓験。修正導師、葬礼威儀。咸是巨旦調伏儀式。然牛頭天王、自龍宮界還帰閻浮提。長保元年六月一日、於祇園精舎、三十日間調伏巨旦、至于今世学此威儀。六月一日、歯堅肝要也。悪可悪、巨旦邪気残族魑魅魍魎類、信可信、牛頭天王、八王子等。其八王子者、大歳、大将軍、大陰、歳刑、歳破、歳殺、黄幡、豹尾等也。

※『三国相伝陰陽輨轄簠簋内伝金烏玉兎集』
http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100125227
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2532173
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1911335

【書き下し文】


 倩(つらつら)おもんみれば、北天竺摩訶陀国、霊鷲山の艮(うしとら)、波尸那城(はしなじょう)の西に、吉祥天の源と、王舍城の大王を名づけて、商貴帝と号す。 曽(かつ)て、帝釈天に仕へて、善現天に居して、 三界の内に遊戯して、 諸星の探題を蒙るを、名づけて天刑星と号す。天刑星、信敬の志深きに依りて、今、娑婆世界に下生(げせい)して、改めて牛頭天王と号す。頭に黄牛面を戴き、両角、尖(するど)く、猶、夜叉の如し。厥(その)勢ひ長大にして、一由(いちゆ)膳那(ぜんな)也。厥相顔他に異なる。故に更に后宮有ること罔(な)し、四姓咸(みな)悲歎す。君は未だ朝政を懈(おこた)らず。故に国家、寔(まこと)に豊饒なり。公は嬉戯(きぎ)の床に遊び、民は栄楽の室に嘲(あざわら)ふ。境界、已に境界、姧(かだま)しからず千百に等しく、譁(あらそひ)罔(な)し。五日の風は枝を叩かず、十日の雨は塼(せん、つちくれ)を犯さず。五穀は蒔かずして生じ、七珍は求めずして来る。更に后宮無し。豈(あに)後生(ごせい)の楽しみあらんや。
 時に虚空界より青色の鳥来る。瑠璃鳥(るりちょう)と名づく。形は翡翠の如く、声は鳩鴿(きゅうごう)に似たる来たりて、帝王の檻前(かんぜん)に居して等しく天王に弄して曰く「我は是天帝の使者為り。汝と元より同胞為して巳(のみ)。汝を名づけて天刑星と号す。我を名づけて毘首羅天子と曰ふ。士(なんじ)は我と親昵(しんぢつ)にして、尚、共命鳥(ぐみょうちょう)の如し。口言替わると雖(いえど)も、大旨違(たが)うるなし。天帝に事奉りて一鳥雙翼(そうよく)如し。大轍(だいてつ)の両輪に似たり。爾雖(しかるといえ)ども、士(なんじ)、信敬志し深きに因りて、閻浮提(えんぶだい)に下生して転輪聖王の位に預かる。爾(しかる)に、御宮(おんぐう)菜女無し。故に天帝、我をして教え告げせしむる。是より南海に娑竭羅龍宮城(しゃからりゅうぐうじょう)有り。是に三人の妃有り。第一を金毘羅女(こんぴらじょ)と名づく。第二を帰命女(きみょうにょ)と名づく。北海の龍宮に嫁請(かしょう)して、難蛇跋難蛇城(なんだばつなんだじょう)に収む。爰(ここ)に第三頗梨菜女(はりさいにょ)と号す。紫磨黄金の美しき膚、八十種好花の粧(よそお)ひを備え、閻浮檀金の麗しき容(やおはせ)、三十二相の月の桂を写す。汝、彼の宮に至りて、須(すべから)く嫁請(かしょう)すべし。斯くの如く弄して終わりて虚空界に帰る。
 然るして后(のち)、天王歓びて、三日齋(ものいみ)して、宜しく馬車を企て、甚だ眷属を卒して、南海に趣(おもむ)かんと欲す。厥(その)道遼遠にして八万里程也。君未だ三万里におよばず。人馬労驤す。爰に南天竺の傍らに一つの国有り。夜叉国と曰(い)う。彼(か)の花洛(からく)に、その国の鬼王巨旦(こたん)大王と号す。その国の四姓、魑魅魍魎(ちみもうりょう)の類(たぐひ)なり。天王、安然として鬼關に望む。鬼王、弾呵(だんか)して戸を閉じて通せず。天王肩乏しく舌を弾じて空しく去る。爰に千里松園有り。林中に陰(かく)るるに、爰に一つの賤(いや)しき女有り。手には莩笊(ふそう)を持ち、肩には篇竿(へんかん)を担い、松の翆葉(すいよう)を拾う。天王、問いて曰く、汝、室宅有るや。暫く休留せん。女曰く、我は巨旦が奴婢(ぬひ)なり。宿は少(わずか)にして、局の内なり。是より東方一里程去りて浅い茅(かや)の生えたる原有り。彼(か)の広野の中に莓買(ばいばい)生(はえ)掛(か)けたる庵(いおり)有り。貧賤にて禄乏しく、彼を蘇民将来と曰(い)ふ。外には慈哀(じあい)の志しを抱き 内には悲敬の計らいを含む。彼に往きて宿を求め給えへ。
 天王歓喜す。快然として車の轍を攀(よじ)て東に向かふ。駒轡を磊し、急ぎて彼の野中至る。爰に柴門有り。同じく藁屋の扉有り。彼の庵主を見るに、齢長(たけ)たる老翁、手には柴箒(ほうき)を抱き、室内の塵を掃く。足に藁履を沓(はき)て、庭前の草を竭す。爰に天王、車を羚羊(れいよう)の陌(あぜ)に轟かし、馬を兔狢(とかく)にいななかし、径(みち)に速疾に往きて旅宿を問ひ。将来、微笑みて曰く、我は貧賤の主なり。家、わずかにして、三閣におよばず。豈(あに)若干の眷属(けんぞく)を収留せんや。天王曰く、我一宿留す。まさに愍念(びんねん)すべし。時に将来、梁粟(りょうぞく)の茎を抱きて上閣席となす。天王、歓喜して彼の席上に座す。然る后、将来、官を中閣に収む。夫をば下閣に属す。室内狭しと雖も、独りとて宿せざるなし。天王曰く、我、若干の長の途を凌ぐ。人馬共に疲労せり。汝、粮食有るや。我は是れ貧賤にして禄乏しく、更に一升の米なし。併(しかしなが)ら、ここにひとつの瓢(つるべ)有り。个(こ)の中に粟米収む。幽(わず)かに半器に過ぎず。瓦釜(がふ)の中収めて煮熟し、刹那が程なり。是をなぎの葉の上に置きて、餉饗(しょうきょう)す。天王、等しく眷属に配補せり。天王曰く、汝が志し足するかな。大なるかな。禄は鰥寡孤独(かんかこどく)の人に劣るとも、心は富能貴徳の君に勝れたり。汝がその志しに謝しせんと千金を抱きて亭主に報(ほどこ)す。天王、終夜その志しに感じ、漸(ようや)く五更に至る。鳳凰の唱えるを聴き、急ぎて馬車を企て南海に至らんとす。将来曰く、君何方よりいずかたへ往かんとするや。天王託して曰く、我は北天の主なり。未だ后宮(こうぐう)なし。故に南海に明妃ありて、彼女に嫁娵(かしゅ)なさんと欲す。これより娑竭羅(しゃから)城へ凌(はせ)るも、幾ばくの長途中なるや。将来曰く、北天より南海に至ることその道八万里なり。君、未だ三万里程に及ばず。茲(これ)より彼に至るに巨海深遠にして車馬の行路少(わずか)にて、何をもってか南海に至れり。何によりてか龍女に合わん。辰(とき)に天王、愁然として、己(もう) 北天に帰らんと欲す。将来重ねて曰く、我にひとつの宝船ありて、名づけて曰く隼鷂(じゅんよう)と。両端高大にして、龍頭鷁首(りゅうとうげきしゅ)を学び、脚早く、行くこと速刹那にて数万里程を過ぐる。辰に天王、歓喜踊躍の思いに住し、咸(みな)車馬を擲擲(なげう)って、彼の船中に移る。忽然として、須臾(しゅゆ)龍宮城に至る。
 爰(ここ)に天王、我が大旨を龍王に奏す。龍王、快然として天王を周章し奉る。急ぎて不老門を開き、長生殿に移し、頗梨菜女(はりさいにょ)に合歓(ごうかん)す。緑亀、丹鶴を賀祥(がじょう)し、然りて龍王、山海の珍物を尽くし 国土の美食を調(とと)のへて餉饗(しょうきょう)すること日久し。己(すで)に三十七余歳を経る。天王、女御と興(くみするに)別なく浅からず、故に夜は鴛鴦(えんおう)の襟下に偕老同穴の妹世を学び、昼は連理の花陰に、比翼相思の契裳を飜(ひるがえ)し、糸竹の声休(や)まずして、金石暇(いとま)あること少(わずか)にして、四声遠々として官外に叩(ひび)き、三唱は幽々として広天に通ず。故に契盟に暇あることなく、宜しく八王子を得る。一つは惣光天王、二つは魔王天王、三つは倶摩羅天王、四つは得達神天王、五つは良侍天王、六つは侍神相天王、七つは宅神相天王、八つは虵毒気神なり。
 然る后、天王、北天に帰らんと欲し、或時、八王子に命じて曰く、我は北天の主なり。往昔、南海に趣く時、中間に国有りて、広遠国と曰ふ。彼の国の主・巨旦大王と名づく。咸(みな)是(これ)魑魅魍魎の類なり。彼の鬼門に望みて一宿を求めんと欲す。巨旦、恚怒(いぬ)して我を弾呵(だんか)せしめ、我己(すぐに)齋(ものいみする)故に恐然として退去す。今、彼の国到(いた)りて、鬼王が城郭を破却せんと欲す。時に八王子等、各(おのおの)四衆八龍等の百千若干眷属を相卒ひて、上には瞋恚(しんい)の鎧を著し、手には降伏の釖を抱きて、神通の弓に飛行の矢を矧(は)げ、刀杖限りなし。干戈(かんか)色を交へ、すでに彼の国に蜂起せしむ。
 辰に鬼王、惣然として、阿羅監鬼相を有し、寔(まこと)に不思議の想ひを成す。博士に命じて卜(うらな)ひ問ひて曰く、何の妖孽(ようげつ)有るやと。阿羅監鬼相を深く受けとめ、精気貞(さだ)からず。胸躍りて動揺す。汝以て深く察しせしめよ。士、謹(つつし)みて、天地陰陽の負数を勘じて亀甲から八郭經旨を閲(み)るに、昔、北天に王有り。牛頭天王と号す。将に婦を求めんとするに、南海に趣く。頭に牛角あり。関門に望むとも雖も、戸を閉じて弾呵(だんか)す。王、齋(ものいみ)する故に、妨碍(ぼうげ)すること無し。早く二十一年を経る。宜しく南海に至りて、頗梨菜女嫁請して八王子を生す。今その八王子等、相具して四衆八龍等百千若干の眷属彼の城郭を破却せんと。豈(あに)もって此の禍(わざわい)を遁(のが)るるや。鬼王曰く、何(いか)なる祭祀をもって解除せしめん。士曰く、一千人の苾蒭(ひっそう)を供養せば、正に退散することを得るべし。鬼王曰く、いかなる法を勤修(ごんしゅ)するや。士曰く、太山府君王の法を行はば、頗(おそ)らく解除すべし。辰に鬼王、歓喜して、天には鉄網を張り、地には磐石を敷き、四方には長い鉄の築地を構へ、同じく外には大澤流堰を堅め、内には玉の宝殿を造り、同じく清浄の床を餝り、嬉漫歌舞八句の大衆は四維(しゆい)に安座す。鉤策(くさく)鎖鈴の四衆の薩埵(さった)は四方に侍立す。同じく宝の高座の上には羅綾(らりょう)の打敷きを掛け、並びに、天蓋(てんがい)瓔珞(ようらく)幢幡(とうばん)花漫四維の風に翻覆(ばんぷく)し、中に清浄の明僧有りて、諸の大陀羅尼を唱満す。爰に天王安然として、彼の鬼館に望むに、鉄城高大にして、神力、方便の術意も更に叶ふがたきものなり。辰に天王、阿你羅、摩你羅の両鬼をもって覧見せしむるに、爰に懈怠の比丘有りて、深く睡眠に沈んで偈句(げく)を諳(そら)んず。故に真言詳しからず、己(すで)に牖窓(ようそう)と成って大きな穴生ず。爰(ここ)に天王、便りを得て、神力の翼を刷(すり)こみ、彼の鬼館に諸の眷属と共に乱入し、彼の一族を没敵すること沙瑞を蒔くが如し。爰に天王曰く、我、昔、此の国に至る時、松園の中にひとりの賤女有り。巨旦が奴婢女と雖(いえど)も我が恩徳の人なり。彼女を助けんと欲す。桃木札を削り喼喼如律令文を書写し、彼の符牒(ふだ)を弾指(指ではじいて)せしめ賤女の袂(たもと)中に収む。然るして此の禍災(わざわい)を退くなり。
 然る后、彼の巨旦が屍骸を切断し、各五節に配当す。調伏の威儀を行いたる後、蘇民将来が所に至る。変わりて裕福長者となりて、久しく天王の帰国を期す。五宮を造り、八殿を構へ、八王子を請け入れ 三日車を停めて、諸の珍菓を尽くす。故に天王歓快し、彼の夜叉国を蘇明将来に報(あた)ふ。然りして誓願を曰く、我、末代に疫病神と成り行く。八王子、眷属等、国乱入せん時は、汝が子孫には妨碍するべからずと曰ふ。汝に一守護定む。所以(ゆえに)二六の秘文を授けく。然りして濁世末代の衆生、必ず三毒に耽(ふけ)り。煩悩増長す。四大調(ととの)わず、甚(はなは)だ寒熱の二病を受く。牛頭天王の部類の眷属の所行なり。若(も)し、此の病痛を退出せんと欲すれば、外には五節の祭礼を違わず、内には二六の秘文を収め、須(すべから)く信敬すべし。その五節の祭礼には、正月一日の赤白の鏡餅は巨旦が骨肉なり。三月三日の蓬莱の草餅は巨旦が皮膚なり。五月五日の菖蒲(あやめ)、結粽(ちまき)は巨旦が鬚髪なり。七月七日の小麦素麺は巨旦が継(すじ)なり。九月九日の黄菊の酒水は巨旦が血脈なり。惣じて蹴蘜(しゅうぎく)は頭、的(まと)は眼、門松は墓の験(しるし)なり。導師は葬礼の威儀を正しく修む。咸(みな)是(これ)巨旦調伏の儀式なり。然して牛頭天王、龍宮界より閻浮提へ還帰したまふ。長保元年六月一日、祇園精舎において、三十日間、巨旦調伏すること、今の世に至って、此の威儀を学ぶ。六月一日の歯堅肝要なり。悪(にく)むべきは、巨旦が邪気残族魑魅魍魎の類なりて、信じても信ずべきは牛頭天王八王子等、その八王子は 大歳 大将軍 太陰 歳刑 歳破 歳殺 黄幡 豹尾等なり。

【現代語訳(藤巻一保『安倍晴明占術大全』)】


 つらつら考えてみるに、北天竺の摩訶陀国(まかだこく)の霊鷲山(りょうじゆせん)の東北、波尸那城(はしなじょう)の西にあたる吉祥なる天の下に、王舎城という都城があり、その大王を商貴帝(しょうきてい)といった。
 商貴帝(しょうきてい)は、かつては天竺の神々の王である帝釈天に仕え、色欲や食欲から離れた者の住む善現天と呼ばれる天界に住んでいた。当時、商貴帝はもろもろの星の世界の監督目付をつかさどる天界の司法官職(探題)を帝釈天から授かり、欲界、色界、無色界の三界を自在に飛び回っていた。そのときの名を天刑星(てんぎょうしょう)という。この天刑星が地に下って人間界に転生し、仏縁と深い縁で結ばれた王舎城の大王となったのは、その神仏を敬い信じる志が抜きん出ていたためである。
 地に下った天刑星は、名を牛頭天王(ごずてんのう)と改めた。鋭く尖った二本の角を頭から突き出し黄牛の面貌をした牛頭天王の姿は、まるで人を傷つけたり食らうことをなりわいとする夜叉さながらであり、その威勢は周囲数十里におよんだ。その顔が、他の者とはまるで異なる異相であったため、牛頭天王にはお后というものがなかった。姿かたちが夜叉と似ているからといって、祭政(さいせい)まで暴虐だというのではない。天王は、実にすぐれた為政者であった。それゆえ、すべての国民は、こういって王を称え、かつ嘆いた。
「天王はかつて一度も祭政を怠ったことがない。おかげで国は豊かに栄えている。風雨の害もなく、五穀は種も蒔かないのに実り、くさぐさの宝物も、求めないでもやってくる。かくもすばらしい治世なのに、天王にはお后様がない。これでは、天王の治世が子孫に受け継がれて、後々まで安楽の世を楽しむことが期待できないではないか」
 人民がこう悲嘆にくれていたとき、虚空界(こくうかい)から一羽の青い鳥が飛来した。瑠璃鳥という名のその鳥は、翡翠のような形で、声は鳩に似ていた。その瑠璃鳥が、牛頭天王の目の前まで飛んできて、こうさえずった。
「わたしは帝釈天の使者で、かつてはあなたの同胞として天界でともに働いていたものです。そのころのあなたは、天刑星と名のり、わたしは毘首羅天子(びしゅらてんし)と名のって、あの頭が二つ、体は一つの人面禽身(じんめんきんしん)の共命鳥(ぐみょうちょう)のように親密な間がらでした。二つの頭のゆえに、語ることに違いはあっても、おおもとの思いは同じ。さながら鳥の両翼、車の両輪のように、天帝にお仕えしていたのです。あなたの信敬の志がひときわ深かったがゆえに、その後、あなた一人が人間界に生まれ変わり、今は地上世界の王たる転輪聖王(てんりんじょうおう)の位に就いておられます。ところがあなたには、后や側室がない。そこで天帝は、后になるべき女性のありかをあなたに教えるべく、かつての仲間であるわたしを使者に遣わしたのです」
こう過去の因縁を語ってから、瑠璃鳥は牛頭天王の未来の后の住むところを、このように告げ教えた。
「摩訶陀国から南に向かった海の向こうに、沙竭羅(しゃから)と呼ばれる龍宮があり、三人の美しい妃がいます。第一の明妃(みょうひ)は金毘羅女(こんぴらじょ)といい、第二の明妃は帰命女(きみょうじょ)といいますが、この二人は請われて北海龍宮の難陀龍王(なんだりゅうおう)と跋難陀龍王(ばつなんだりゅうおう)の兄弟の龍王に嫁ぎ、今はそちらにお住まいです。残る一人の明妃を、頗梨采女(はりさいじょ)といいます。紫磨黄金(しまおうごん)の輝くばかりの肌、仏菩薩の身に現れるという八十種の高貴で華麗な相を備え、閻浮檀金(えんぶだいきん:赤黄色で紫色の焔気を帯びた金) のようにうるわしい姿かたちは、月の桂に備わるという三十二の仏菩薩の相を引き写したかのようです。この頗梨采女こそ、あなたのお后となるべき女性。彼女を娶るべく、沙竭羅龍宮(しゃからりゅうぐう)に向かいなさい」こう告げて、瑠璃鳥に変化した毘首羅天子は、虚空界へと戻っていった。
 瑠璃鳥のお告げに喜んだ牛頭天王は、三日間物忌(ものいみ)して、心身を清めた。それから、はやる心で馬車を用意させ、眷属(けんぞく)を率いて意気揚々と南海に向かった。求める龍宮は八万里の彼方(かなた)にあったが、まだ三万里にも達しない南天竺の夜叉国のあたりで、早くも人馬は疲労困憊した。夜叉国の王は巨旦大王(こたんだいおう)という鬼王(きおう)、国民はすべて魑魅魍魎(ちみもうりょう)の類いであったが、それでも一夜の宿くらいは得られるだろうと一安心し、天王は城門を見やった。ところが巨旦大王は、天王を激しく罵倒して城門を閉じ、王の一行の通過を拒んだ。やむなく天王は、空しく舌打ちして、その地を去った。これといった宿も見つからないまま、一行はさらに千里ばかり進んだ。やがて松の生い茂る園に行きあたったので、そのまま林の中を進んでいくと、手に機織りの道具と笊(ざる)を持ち、竿(さお)をかつぎながら松葉を拾っている、貧しそうな女と出会った。
「おまえに家はあるか。あれば、少しの間、休ませてはもらえぬか」
天王がたずねると、女が答えた。
「わたくしは巨旦大王の奴隷(どれい)の身の者でございます。ほんのささやかな寝場所があるばかりで、それも王城内の従者長屋(じゅうしゃながや)の一角でございますから、とても貴方様のようなお方にご休息いただけるような場所ではございません。それより、ここから東方1里ばかりの庵(いおり)をおたずねなさったらよろしゅうございましょう。浅茅(あさじ)の生い茂った原っぱにある、黴(かび)の生えたような粗末な庵ですが、蘇民将来(そみんしょうらい)という男が住んでおります。貧乏でろくな蓄えも収入の道もない男ですが、慈悲の志が厚く、困っているものなら救わずにはいられないような敬神(けいしん)の者でございますから、その者に宿を求めるのがよろしかろうと存じます」
 これを聞いた天王は大いに喜び、教えられた道を急いだ。
 やがて、柴(しば)を門とし、藁(わら)で屋根を葺(ふ)いた蘇民将来の庵に行き着いた。歳とった翁(おきな)が柴の箒(ほうき)を手にして、庵の塵(ちり)を掃き出し、藁靴(わらぐつ)を履いて庭の雑草を刈り取っている姿が見える。天王はただちに荒れ野の獣道(けものみち)に人馬を進め、くだんの老翁(ろうおう)、蘇民将来に一夜の宿をたのんだ。老翁は、にっこりとほほ笑みながら答えた。
「主と申しまして も、ごらんのとおりのその日暮らし。家も宮殿にははるかにおよばぬあばら家でございます。お殿様のご家来衆までは、とても入りきれるものではございません」
「いやいや、私一人が泊めてもらえれば、それでよいのだ」
天王がこう答えたので、老翁はさっそく梁粟(りょうぞく)の茎(くき)を敷いて場所を整え、天王のために上座をつくった。天王は歓喜して席に着いた。次に老翁は、群臣(ぐんしん)のための席をつくり、また下っぱの家臣のためにも、下座の席を用意した。狭いあばら家だったにもかかわらず、不思議なことに、一人として家からはみ出る者はなかった。
「長の旅で人馬とも疲れている。何か食べるものはないだろうか」
天王の求めに対して、蘇民将来が答えた。
「ごらんのとおりの赤貧(せきひん)でございますから、米の一升(いっしょう)すらございません。
でも、瓢(ひさご)の中にわずかばかりの粟(あわ)がございます」
粟は、すべてをかき集めても、器に半分ほどの量しかなかった。ところが、これを煮て食器がわりのナギの葉に盛って供(きょう)すると、不思議なことに、天王をはじめ、すべての眷属に漏れなく行きわたった。感嘆して、天王が言った。
「あなたの志は、まことに人並みはずれて優れたものだ。禄は年老いたやもめ男にも劣るほどだが、心は富貴で、高徳の君子にも勝っている。その志に深く感謝する」
 こういって、天王は亭主に千金を与え、彼の志を称えた。やがて朝が来た。鳳凰の声を聞いた天王は、急ぎ馬車を整え、南海に向かう準備を始めた。それを見た蘇民将来が天王に旅の目的をたずねてきたので、天王が答えた。
「私は天竺の王で、いまだ后がないので、南海の明妃を嫁に迎えに行くところなのだよ。ここから沙竭羅城までは、あとどれほどの道程かね」
「北天から南海までは、八万里ほどの道程でございます。お殿様は、まだ三万里も進んではおられません。しかも馬車で行けるのは、ごくわずか。南海の海の底までどうやって進み、どうやって龍女(りゅうじょ)にお会いなさるおつもりですか」
これを聞いた天王は打ちひしがれ、北天竺に戻ろうとした。すると、老翁が言った。
「私は隼鷂(はやたか)という名の宝船(ほうせん)を1艘(いっそう)もっております。龍頭(りゅうとう)や鷁首(げきす)のように両端の高く張り出した船で、船脚がとても早く、瞬時のうちに数万里を進みます」天王は手を打ち足を踏み鳴らして喜び勇み、ただちに車馬を捨てて船に乗り込んだ。たちまちにして龍宮城に至ったのであった。
 龍宮についた天王は、ただちに用向きを龍王に告げた。来意を知って龍王は大いに喜び、急ぎ不老門(ふろうもん)を開いて天王を招き入れ、長生殿(ちょうせいでん)に導いた。そこで天王は、ようやく目指す頗梨采女と出会い、千万年の幸福な契りの縁が結ばれたことを祝いあった。龍王は山海の珍味を尽くして天王をもてなし、天王は長く龍宮に逗留(とうりゅう)した。頗梨采女との仲はますます睦まじく昼といわず夜といわず互いにぴったりと寄り添って、一時も離れることなく夫婦の情を育み確かめあった。
かくして二十一年の歳月が流れた。その間、二人には八人の王子が生まれた。長男の総光天王(そうこうてんのう)を筆頭に、魔王天王(まおうてんのう)、倶摩羅天王(くらまてんのう)、得達神天王(とくだつてんのう)、良侍天王(りょうじてんのう)、侍神相天王(じしんそうてんのう)、宅神相天王(たくしんそうてんのう)、蛇毒気神(じゃどっけしん)である。こうして八王子を得ると、牛頭天王に望郷の念が生じた。そこで天王は、八王子を呼んでこう告げた。
「息子たちよ、私は北天竺の王たる者である。かつて后を求めて南海を訪れたとき、途中で広遠国(こうえんこく)という国を通ったことがあった。その国の王は巨旦大王という鬼王で、国民はすべて魑魅魍魎の類いであった。私が一宿(いっしゅく)を求めようと門前に進むと、巨旦は怒りで目を吊りあげながら私を罵倒し、弾き出したが、そのときの私は、物忌をして心身の穢れを祓った身であった。それゆえ、巨旦と事をかまえて穢れがふりかかることを恐れ、その場は黙って立ち去った。けれども、后を得るという大願を成就した今、私はあの鬼王の国と城を破壊し尽くしたいと思う」
この言葉を聞いた八王子たちは、ただちに軍団を組織した。怒りの鎧を身にまとい、魔を下す降伏(ごうふく)の剣、神通(じんずう)の弓など、数限りない武器で身を固めた軍団が蜂起してかの鬼王国に迫ったとき、突然、巨日の顔に鬼の相が現れた。
「これはいかなる不吉の前ぶれか。おのが精気は正しからず、心臓は激しく脈打って動悸がおさまらない。いかなるものの祟りか、深く探るべし」
突然、鬼の相に襲われた巨旦は奇異(きい)の念に打たれ、博士に命じて占わせた。博士が答えた。
「天地陰陽の巡りの数を計算し、亀卜(きぼく)によって神意をうかがうに、これは国の滅亡の前兆でございます。昔、北天竺の牛頭天王という王が妻を求めて南海に赴く際、巨旦様は門を閉じてかの王を罵倒いたしました。そのとき牛頭天王は、物忌中(ものいみちゅう)ゆえ、あえて戦うことなく通り過ぎたのでございます。それから二十一年、牛頭天王は南海に至って頗梨采女を娶り、八人の王子をもうけました。今、その八王子が四衆八龍(ししゅうはちりゅう)など数百数千の眷属を引き連れて、わが君の城都を滅ぼそうとしております。この禍(わざわい)から逃れるすべはございません」
「何かこれを解除(はらう)ための祭祀(さいし)はないのか」
鬼王の間に博士が答えた。
「千人の僧侶を供養するなら、この禍を祓うことができましょう。それで僧侶たちに、泰山府君(たいざんふくん)の法を行(ぎょう)じさせるのでございます。さすれば、解除の霊験は必ずやあらたかなものとなるはずでございます」
 この言葉を聞いて鬼王は歓喜し、ただちに手を打った。まず天には鉄の網を張り、地には盤石(ばんじゃく)を敷きつめ、城の四方には鉄の築地(ついじ)を巡らせた。さらに太い堀を掘って、敵の襲撃にそなえた。また、城の内部には、僧侶のために宝石でできた殿社を造り、清らかで美しい床を張って荘厳した。その宝殿の八方には、喜んで歌い舞う大衆と、男女の仏教修行者が配された。さらに、法を行じる高僧のために羅綾(らりょう)を打ち敷き、華麗な花笠や飾り布、旗などで飾り立てた高座(こうざ)を設けた。その高座で、高僧たちはもろもろの霊験あらたかな呪文を唱えたのであった。
 そのとき牛頭天王は、巨旦の居城を眺めていた。鉄で覆われた城はいかにも威風堂々(いふうどうどう)として頑健そうであり、いかなる神力や法術をもってしても、攻めがたいように思われた。
 そこで天王は、阿你羅(あにら)と摩你羅(まにら)の両鬼を使って偵察させたところ、鬼は戻ってきてこう報告した。
「修行僧の中に、行を怠って居眠りしながら呪文をそらんじている者がおります。そのため、呪文がいいかげんなものとなり、頑丈に防御したつもりが、窓に大穴が生じております。
それを聞いた牛頭天王は、神力の翼を得て鬼王の城に攻め入り、もろもろの眷属とともに、巨旦の一族を滅ぼした。そのおり、天王は、かつて松林で出会った巨旦の女奴隷のことを思い出した。
「あの女は巨旦の婢(はしため)だが、私にとっては恩人だ。あの女だけは助けてやろう」
そう考えた天王は、邪気を避ける桃の木を削って札をつくり、そこに「急急如律令」の文を書き記した。ついで指で札を弾き飛ばすと、木札は彼女のたもとに入り、その功徳(くどく)で、彼女だけが災禍から免れることができたのである。
 その後、天王は巨旦の死骸を五つに分断して五節句に配当し、おごそかに巨旦調伏の祭儀をとり行った。ついで北天竺への帰途、蘇民将来の家に立ち寄ったところ、蘇民将来は以前とはうってかわった長者ぶりで、五つの宮と八つの宮殿を造営して、天王と八王子の帰国を待ち受けていた。そこで天王は、三日の間、車を止め、蘇民将来の歓待を受けた。くさぐさの珍菓で饗応する将来のもてなしぶりを喜んだ天王は、彼に夜叉国を与えた。さらに、こう誓って、蘇民将来の子孫の守護を約束したのであった。
「将来よ、私は末の世には疫病神となるであろう。そのとき、八王子や眷属が諸国に乱入することもあろうが、おまえの子孫が、「私は蘇民将来の子孫です』と言えば、その者らを苦しめ悩ますことはしないと約束しよう。おまえを守護するしるしとして、今、二六の秘文を授ける。法がすたれて濁りきった末法時代の衆生は、必ず三毒に耽って(ふけって)、いよいよ煩悩(ぼんのう)を募らす(つのらす)ことになる。天地を形づくる四大(しだい)は調和を崩して乱れ、人は極度の寒冷の病と、懊熱(おうねつ)の病を受けることになる。この寒熱二病は、牛頭天王とその眷属の所業と知れ。
もしこれら病の痛み苦しみから免れたいと願うなら、五節句の祭礼を正しくとり行い、心の内にはしっかと二六の秘文を守って、厚く信敬(しんけい)するように」
こう言って、天王は五節句の祭礼の意味を蘇民将来に教えた。すなわち、一月一日に用いる紅白の鏡餅は巨旦の骨肉、三月三日に供える蓬の草餅は巨旦の皮膚、五月五日の菖蒲のちまきは巨旦のひげと髪、七月七日の小麦の素麺は巨旦の筋、九月九日の黄菊の酒は巨旦の血脈であり、蹴鞠の鞠はいずれの場合も巨旦の頭、的は巨旦の目、門松は巨旦の墓じるしであり、修正の導師、葬礼の威儀は、ことごとく巨旦を調伏するための儀式であると告げたのである。かく説き終えて、牛頭天王は北天竺へと帰っていった。
 長保元年(九九九)六月一日、祇園社では、(安倍晴明によって三十日間、巨旦調伏の儀式が行われ、今の世に至るまでその祭儀が継承されている。六月一日の歯固めの儀式は、(五体を分断された巨旦を噛み砕くという密意が込められており)、しっかり行うことが肝要である。悪んでも悪むべきは巨日の邪気とその残族の魑魅魍魎の類いであり、信じても信ずべきは牛頭天王と、太歳、大将軍、太陰、歳刑、歳破、歳殺、黄幡、豹尾の八王子なのである。

■参考文献
・柄沢照覚『安部晴明簠簋内伝図解』(明治45)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/759925
・注釈書『簠簋抄』
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2544460

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