ドラペトマニア――サミュエル・カートライト「黒色人種の疾患および身体的特性に関する報告」

19世紀半ばのアメリカにおいて,奴隷の逃亡の背景にある「疾患」――ドラペトマニア(逃亡奴隷精神病)について初めて論じたサミュエル・A・カートライトの「黒色人種の疾患および身体的特性に関する報告」(原題:Report on the Diseases and Physical peculiarities of the Negro Race)を訳しましたので,販売いたします.

以下から閲覧・ダウンロード可能です.PDFで200円です.

雑感

この報告が発表されたのは1851年.アメリカ南北戦争が行われたのは1861年から1865年にかけてであり,本文からは当時の社会情勢を如実に読み取ることができます.

また,19世紀の半ばから後半にかけてといえば,ダーウィンの「種の起源」は1859年.スペンサーの『総合哲学体系』は1860年に発表され,またモレルの「変質論」は1857年,ロンブローゾの犯罪人間学は1870年代.メンデルの遺伝学説が発表されたのが1865年(再評価されたのは1900年頃),ゴルトンが優生学を提唱したのが1883年と,そのような時代ですが,そうした時代の雰囲気もこの報告には感じられるようにおもいます.

ウィキペディア日本語版の「ドラペトマニア」の項によれば「ドラペトマニア(Drapetomania)とは1851~1862年にかけて発表された14の論文で、アメリカで黒人に特有の遺伝性の精神病であるとされていたが、現在では疑似科学として完全に否定されている」といいます.たしかに現代の教育を受けた日本人という立場からみると,いかにも「疑似科学」を感じる文章でしたが,どのあたりが「疑似科学」的なのかを考えてみると面白いかもしれません.なお同項には「サミュエル・A・カートライトが考えたこの病気の治療法とは、患者から悪魔が出て行くように鞭打ちをおこなうことであった。」とありますが,少なくとも本論文にあたるかぎり,カートライト自身はそのような「非科学的」なことは述べていません.カートライトはあくまで教養ある医師として「科学的」に本疾患を論じており,それこそが興味深く,問題の根深さを感じさせる点です.

私が「疑似科学」らしさをとくに感じるのは下記のような一節です.

聖書の原語であるヘブル語にあたったなら,黒人の原語における名前のもつ暗示的な意味のなかに,後に示すのと同じ事実を見つけることになる.それは解剖台における解剖学者のメスが明らかにしたことである.あたかも解剖学,生理学,歴史学による発見が,モーセが記したことを再び書き綴っているにすぎないかのように.

カナンはヤペテに仕えるべしという神意の知恵と慈悲そして正義は,これまで考察してきた疾患によって証明される.なぜなら,その身体上の有機的組成,その本性の法則は,奴隷制に完全に調和しており,自由とは全く不協和なものだからだ.

科学的な「事実」と聖書の「真理」との一致を根拠にして「である」ことと「であるべし」ということを巧みに重ね合わせてゆく論法がここには見られる――とでも言えるかもしれません.

謝辞

なお公開にあたっては,morinorihide 様のケンダル・ウォルトン「芸術のカテゴリー」の翻訳(ひいては,まつまが様のモリス・ワイツ「美学における理論の役割」の翻訳)の売り出し方を無断で真似しております.勝手ながら,ここに記して謝意を表します.

データ

原典:Cartwright, S. A(1851), ‘Report on the Diseases and Physical peculiarities of the Negro Race’, In Arthur L. Caplan, James J. McCartney, Dominic A. Sisti(eds.)(2004)Health, Disease, and Illness: Concepts in Medicine, Georgetown University Press, pp.28-39.

初出:The New Orleans medical and surgical journal, vol.7 (1850-1851), pp.691-715.なお,このうち699ページから707ページが翻訳にあたって底本とした上記論文集では省略されている.初出のテキストは以下のウェブサイトによって確認した(最終アクセス:2015年11月13日).Catalog Record: The New Orleans medical and surgical journal | Hathi Trust Digital Library

訳者:植野仙経

バージョン: 1.3 (2023.5.21) および 1.2(2015.11.15)

ファイル形式: PDF

ファイルサイズ: 約600KB

分量: A4判 14ページ(約19100字)

なおこの翻訳は,いわゆる翻訳権の10年留保にもとづいたものです(旧著作権法第7条および現行著作権法附則第8条).

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