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【story24】路地が人と街をつなぐ-千住暮らし100stories-

建築家 千住いえまち会長
鶴巻俊治さん




木電気に誘われて

不規則に入り組んだ路地には、束の間、大人を子どもに還す魔法がかかっている。足を踏み入れると、両側から漏れ聞こえるテレビや食器の音、人の話し声、狭い道の先に思いがけず花をつけた樹が現れ、その下に悠々とやって来た猫が「この辺じゃ見ない顔だな」という眼をして座り込む。このまま進むとどこに連れて行かれるのだろうか――ちょっとした冒険をしているような、そんなワクワクした気持ちにさせてくれる。

荒川土手の手前に扇状に広がる柳原。昭和の名残が色濃い路地を覗き込んで、鶴巻さんが「ほら、あそこに」と目を輝かせる。指さす先に、傘をかぶった裸電球の街灯が、昼間の明るさの中でもぽっとあたたかい光を灯している。

「木電気が大好きなんですよ。今でも街灯として使われているのはすごい。こんなに現役で残っているのは、柳原二丁目にだけらしいですね」。

木製の電柱に取り付けられていたことから、柳原商栄会のゑびす屋のお子さんが「木電気」と呼び、地域でも定着したそうだ。
円形の傘と丸い電球の取り合わせは、なんともかわいい。戦前の街灯といえばこの形だったが、今も現役が数多く残っているのは全国的にも珍しいようで、その中でも木柱のものはほんの数本のみだ。

鶴巻さんは毎年正月に、柳原在住のグラフィックデザイナー・本舘久美子さんが作成した木電気マップを基に町を歩いて数をチェックしているそうで、現在あるのは30個ほど。「気になっちゃって。以前より2、3個減っているんですよね。でも逆にマップに載っていない木電気を発見したこともあります」。

家と家の狭間に、そこだけ時の流れから取り残されたような佇まいの木電気を見かけて「取り外してしまえるのに、そうしていないところが、地元の人たちも何となく残そうとしているのかなと思いますね」と嬉しそうに目を細める。電柱には東電の管理番号プレートがあるが、「コンクリート製の電柱とは違うんですよ。木電気用に作ってくれているのがいいですよね。あれをオリエンテーリングみたいに集めるイベントとか、面白そうかな、と」と、ユニークなアイデアも湧いてくる。

街を歩くのが好きで、仕事が休みの日曜日の朝には外に出る。やはりホームグラウンドの柳原を回ることが多い。

「木電気を含めて雰囲気がすごく好きですね。路地が狭すぎなくて。人の家の庭に入り込んでいるみたいでドキドキするので、静かに歩いています。家の中の音が聞こえてくるということは、こちらの足音が聞こえているということなので」。

路地はどこも同じようで、実はそれぞれ個性があって、街ごとに雰囲気が違う。そこに惹かれるという。

千住との出会い

新潟で生まれ育ち、大学卒業後、就職を機に東京へ。当初は会社の寮に入っていて、「なんとなく」西のエリアに住んでいた。週末は東京観光を兼ねて、原宿、渋谷、自由が丘、下北沢などの街を歩き回って過ごしていたそうで、「地方にいると東京のトレンドを作っているのは西のエリアのイメージですね」。東側には観光地の浅草があるが、若者たちの注目を集め始めたのは、ここ最近のこと。オシャレな文化を発信している街は、確かに西側に集中している。

「東京に憧れがあって、建築の学生だったので街を見て歩くのが好きで。1年ぐらい遊び歩いた後に、今の奥さんと知り合いました」。

千住出身の奥さんについて、当時の鶴巻さんが抱いた印象は「何となく東京の人じゃないな、と(笑)」。
「地に足が着いていて、まったくトレンドに興味がなくて。渋谷に行こうよと言っても、行ったことがないし、と言う答えが返ってくる。ただ、自分のことをちゃんと喋るところに惹かれました」。

その人柄を育んだ千住に、気づくと関わるようになっていたのは自然の流れだろう。
「感じたのは、NHKの朝ドラみたいに下町で起こっているドタバタに巻き込まれているみたいな。千住に引っ張り込まれて、知らないうちに千住で動き回っていたんです」。

結婚前に鶴巻さんが住んでいた最寄駅は西武池袋線の東長崎駅だったが、デートの場所は中間の池袋はすっ飛ばして、もっぱら千住。「奥さんの出身が一番端の緑町で、ニッピのファミリーセールも行きました。分譲地なので道は碁盤の目のように整然としていて、独特な雰囲気がありました」。

デートで良く行っていたのが、千住3丁目にあるコーヒー専門の喫茶店「珈琲物語」。
お店が出来て間もない頃で、24歳の鶴巻さんにとって別格なお店だった。
コーヒー好きのお母さんが郷里から遊びに来た時に、また、千住に住んでいた奥さんのお母さんも珈琲好きで、連れて行ったという。

「やや高めの価格でしたけど、お金をかけてでも美味しいコーヒーを飲ませたくて。当時はああいうスタイルの珈琲屋さんは、千住にはなかったんです。友達が来た時とか、クリスマスに奥さんと一緒に行くとか、特別な時に行くという感じで。食器も毎回同じじゃないし、こだわりがあって出されているのを感じます」。

珈琲物語の前で。撮影の日は、たまたま午後から休業だったので、「残念!こんな日もあるんですね」

そんな鶴巻さんの大切なシーンを彩る想い出を、店主の望月さんに伝える機会が思いがけず訪れた。珈琲物語がお店にまつわる「物語」を募り、SNSで「いいね」が多くついた人に景品をプレゼントするという企画があり、ここぞと鶴巻さんも応募。
「奥さんと一緒に撮った写真を載せて『特別な時に行くこういうお店があるんです』ということを書いたら、それなりの数のいいねがついたんですよ。珈琲物語さんのコーヒーセットが贈られてきました」。
奥さんとお気に入りの空間で、美味しいコーヒーを飲みながら過ごす素敵な時間。そのあたたかさがが、多くの人に伝わったのだろう。

珈琲物語に応募した奥さんの写真(写真提供=鶴巻さん)

下町の子育ての流儀

鶴巻さんは一級建築士の会社員として、様々な建物に携わっている。
結婚後、地方転勤を経て北千住駅からほど近い日の出町団地に3年ほど入居したが、手狭だったため転居先を探したが、「その頃はあまりいい物件が千住で探せなくて」。そこは一級建築士、自分で建てることにして、たまたま見つけた柳原の今の場所に自ら設計した家を建て、本格的に根を下ろした千住での暮らしがスタートした。

車通りがほとんどなく閑静なエリアで、桜の季節には隠れた花見スポットという最高の立地だが、家を建てた時にはなんと目の前の桜並木に全く気付かなかったという。「桜の下で知らない人がレジャーシートを広げて花見していたんですよ」と笑う。

引っ越した初っ端に、街の洗礼を受けることとなった。
隣人から近隣の町会役員の家に挨拶に行くように言われたのだ。「ええっ、町会って何?と(笑)。今思えば歓迎してくれていたんでしょうね」。なんだなんだ、ここでは地域の権力者に顔見せしないと生きていけないのか…? 謎の因習かと怖れをなし、結局、行かなかった鶴巻さんの身に、その後、降りかかったこと――は勿論何もなく、新しい生活にうまく溶け込めるようにという気遣いだったらしい。「東京の人じゃない」と奥さんに感じた千住の要素の一部が垣間見えるようなエピソードだ。

実際に住み始めてからのご近所づきあいは、ドラマに登場する下町そのもので、何とも微笑ましい。
鶴巻さんの3人のお子さんたちの幼い頃の遊び場は、自宅前の路地。車が通らないし安心していたが、ある日、気が付くと子どもたちの声が聞こえない。後で聞いたら、なんと、近所のお年寄りの家に上がり込んでいたのだそうだ。
「路地で遊んでいると、おいでおいで、と呼ばれるらしくて。お向かいの家に上がり込んでいて、1、2時間帰ってこない。普通だったら危ないと思うけど、ご近所さんだからいいかな、と。僕が田舎者であまり気にしなかったというのもあるかもしれないですが」。

お子さんは路地が遊び場だった(写真提供=鶴巻さん)


1日目の取材は北千住駅東口目の前のP-KUN CAFE(ピーくんカフェ)で。 鶴巻さんも打ち合わせなどでよく利用する。「広くてゆったり座れるし、ゆっくり話ができるので」

「僕は一度もお邪魔したことがないのに、子どもたちはご近所の全てのお宅でかわいがってもらっていて。運が良かったんでしょうね。親切なお年寄りばかりで、みんなで子どもたちを育ててくれていました。路地だからできることなんですよね。大きい道路の前では、子どもを遊ばせたいとは思わないです」。
懐かしそうに話す鶴巻さんの表情も声も、ほっこりとあたたかい。

「僕が家の前で庭仕事や大工作業をしていると、通る人はだいたいみんな挨拶していってくれます。全然知らない人でも。道が狭くて、声をかければ返事してくれると思っているんじゃないかな」。
路地だからこそ、人の目が届きやすい。ヒトの子育ては家族だけが担うものではなく、本来は協力してするようにできていると聞く。そんな理想的な環境が、確かに残っていたのだ。

街のあちこちでイベント

千住のもう一つの魅力に、街中のイベントがある。
日の出町団地に住んでいた頃、出産を控えていた奥さんに代わって、2つ違いの上の子の面倒を見ていたという鶴巻さん。

「休日に団地の中に子どもを閉じ込めておくのがしんどくて、連れて歩き回っていました。いろんなイベントが千住のあちこちであって、巻き込まれていったんです。一番インパクトがあったのが、青空ファッションショー」。
北千住駅東口の学園通り商店街にある足立成和信金の駐車場(現在はATMコーナー)で、当時、東口前にあった弥生ファッションデザイン専門学校が、卒業制作発表を兼ねて学園通り商店街主催のイベントの中で行った。斬新な服をまとったモデルたちが目の前を華やかに歩く光景は、子どもから大人まで多くの人たちの目を釘付けにした。

「面白そうだなと子どもと立ち止まって観たり。北千住駅西口の宿場町通り商店街でやっていた大道芸のイベントも行きました。子どもにフェイスペイントしてくれて。子どもも喜んでくれるし、街をぶらぶら歩くのが面白かったです」。

そんな頃に、鶴巻さんが出会ったものがある。千住在住の編集者たちが、街のことを取材して作っていた「町雑誌千住」だ。「喫茶店に置いてあって、地域活動やイベントに関わることをやってみたいなと漠然と思い始めていたタイミングでした」。

住んでいる人たちが自分たちの街のことを、こんなに好きで、大切に思っているということは、大きなインパクトだった。

音まち千住の縁が主催するイベント「メモリバ」(現代美術家・大巻伸嗣による無数のシャボン玉のアートパフォーマンス「Memorial Rebirth 千住」)は、特に好きで通っている。「豊富にいろんなことが行われているのが、千住の魅力じゃないかなぁ」。

鶴巻さんが最初に出展参加したイベントは「音まち」主宰の、地域で暮らす外国人と地元民をつなぐイベント「イミグレーションミュージアム東京2013」。初年度は3人の共作で、匂いをテーマにしたアート作品を出した。
「韓国の学生さんが宇多田ヒカルを聞くと日本の畳を思い浮かべると言っていたのを聞いて、じゃあ、日本独特の匂いを外国人に嗅いでもらうと、何を思い浮かべるかをテーマにしました」。

「イミグレーションミュージアム東京2013」での展示 (写真提供=鶴巻さん)

千住在住の外国人に、日本独特の匂いのする味噌、醤油、樟脳など5つの物を見せずに、匂いを嗅いでもらった。会場ではその実物の下に、それぞれの外国人が匂いからイメージしたものの写真を貼って展示。「日本人にはわかるけど、外国人がイメージしたものは違うんですよ。アート系の先生に指導してもらって制作しました」。

逆に普段身近にない外国の物を日本人が嗅いだら、きっと違う物を思い浮かべるだろう。育った国による違いを知り、相手の気持ちや立場を想像するきっかけになる展示は、ユニークで奥が深い。

「千住の街で外国人の方と話をしたり、広がっていくのが面白かった。普段僕がやっている建築は特定の人を相手にすることが多いんですが、アートは不特定の市民に向かって開いていくのが多くていいなぁと」。

2019年には土蔵を改装した「千住宿歴史プチテラスギャラリー」で写真展 「巨大迷路を突破せよ!活動の軌跡展」を開催。千住のクリエイター20人にインタビューしたコメントを、写真と共に展示した。

イミグレーションミュージアムには2014年、2016年にも参加。「週末にイベントとかに参加したり、街の風景に関わっていくようなことが、僕なりの千住暮らしなんじゃないかな」。

北千住『島』プロジェクト

『北千住を「島」だと感じた事はありませんか?』
鶴巻さんがFacebookで発信している〈北千住「島」プロジェクト〉のプロフィール欄の一文に、ハッとさせられる。荒川と隅田川に挟まれ、千住大橋と千住新橋を渡されている千住エリアは、確かに島なのだ。

その千住という島の中を、一人で歩いて回ったのが島プロジェクトの始まり。決めたルールは、地図を赤ペンで塗って辿りながら、島のすべての道を歩くこと。「2、3年ぐらいかけて、端から端まで、突き当りは除いて行けるところは全部回りました」。

迷路のように細く入り組んだ路地は、方向感覚を失わせ、思わぬ場所に導いてくれる。特に千住東は、自分がどこにいるのかわからなくなるような、不思議な心地になる。慣れてしまったせいか、今では感じなくなったが、初めて足を踏み入れた時に「異世界にいるような」感覚を味わったという。

「東と西の線路の間の三角州みたいな場所だからなのか、空気感が違うな、と。ひんやりとした空気の中に入っていくような、村上春樹の小説のような…地図を持って歩いているのに思っていたのと全然違う場所に出て、キツネにつままれたような感じ」。

千住東の低くて長い東武線ガード。高さはわずか1.6m。
ほとんどの人が身を屈めないと通れない。夜になると、オレンジの照明で異世界の雰囲気に


ひとけのない朝の時間、あちこちの家の屋敷稲荷に囲まれて導かれているような、そんな不思議なイメージが広がるのも、面白い。

そんな千住東の一角にある古民家をリノベーションした日本茶喫茶「KiKi北千住」は、鶴巻さんがオープン前から見守っている場所の一つ。
木皿さん・高木さん夫妻が自分たちでリノベーションもしていて、リフォーム途中の段階で開催されたイベントに鶴巻さんも参加。以来、イベントの度に顔を出しているという。

「お二人は、たまたま見つけて気に入った空き家をリノベーションするために千住に通っているうちに、千住に惚れ込んで地域活動をされているので、ここでイベントがあるときには、顔を出しています」。

以前来た時よりも、更に魅力的な空間になっているそうだ。

「こんな立派な梁は、リノベ物件じゃないと見れないですね」と天井を見上げてしみじみ

「島プロジェクトは僕のライフワーク」。千住島のまち歩きは達成したが、プロジェクトは終わりではなく、むしろここから。

「このフィールドワークの後、それぞれの場所が持っている課題や特性を拾いあげ、整理して、伝えるということをやっていきたい」。建築の専門家の視点から見て、課題はいっぱいあるが「路地自体が魅力的。うまく守って行ける方法を考える方がいいんじゃないか」。

課題は路地以外にもある。例えば北千住駅東口のほとんど使われていないロータリー。住民の誰もが日常の中でなんとなく気になりながらも、なんとなくそのまま存在し続けているあの勿体ない空間を、どう活かしたらいいか。そんな提案やアイデアも含めて発信したいという。

「使いこなされている路地がたくさんあることで、千住の街は歩きやすい。人情味があるというけど、人との接点が作られているのは路地なんじゃないかな。なくなってきているのは確かだけど、文化として残していくべき」。路地は文化――鶴巻さんの言葉で、見過ごしてきた文化がまだまだあることに気づかされる。

街歩きは飽きない

休日には奥さんと2人で、朝食がてら街歩きを楽しむ。

北千住駅西口の横丁、飲食店が数珠つなぎのように立ち並ぶ通称飲み横も、昼間はこざっぱりとした表情を見せる。「今ではこんな通りは全国にもないみたい」と鶴巻さん。古く、いかにも再開発の対象になりそうだが、下を地下鉄が通っているため、工事が出来ないのだという。線路側の店舗の建物は、よく見ると途中まで壁と壁がつながっている。「防災建築街区として建てられたと聞きます。ずっと見ていても飽きないですね」。

2階建てだが店舗は1階のみで、2階は使われていないところもある様子。「この2階をうまく活用できると、この通りがもっと面白くなると思うんだけど」。イベントスペースや雑貨店、ワークショップなど、飲食とは別の使い方をすれば、今までとは違う層の人たちが入ってきて、新たな街の価値やコミュニティを生み出す場になりそうだ。

線路側(写真上・左側)の店舗は途中まで一つの建物。店と店の間を通り抜けることが出来る
「ここの路地はかなりディープ」と笑う

飲み横から離れ、鶴巻さんの一番のお気に入りの建物を聞くと、案内してくれたのは千住中居町のNTT東日本千住ビル。1929年(昭和4年)に千住郵便局電話事務室として建てられたもので、建築家・山田守が設計した数少ない現存する建築物。

「このレンガはカーブに合わせて焼いているんですよ。惚れ惚れしますね。今は造れないですね」。色も少しずつ異なり、味のある外壁を作り出している。

この見事な建物が現役

そこからさらに足を伸ばし、「古着屋RAINBOW FIELD北千住店」へ。3軒長屋のアパートをリノベーションした店舗で、中の壁を取り去った広い店内が狭く感じるほど、大量のブランド古着が詰め込まれている。ここにしかない掘り出し物を求めて、遠方から訪れるマニアもいるそうだ。

鶴巻さんがお店を知ったきっかけは、「音まち」のイベント「イミグレーション・ミュージアム・東京」で、外国人に千住を案内してもらうアート作品を進めていた時に、案内人の1人が「千住は古着の街」として連れて行ってくれたお店の1つ。当時は別の場所にあったが、今の場所に移転してからお気に入り。「建物がすごくかっこいいですよね」と目を輝かせる。インスタでお店とはつながっていて、たまに買い物に訪れる。

鶴巻さんは建築家の青木公隆さんが共同代表を務める「千住 Public Network EAST」の活動に、参加していたこともある。北千住東口地域で活動したい人や店舗を構えたい人に、空き家の利活用も含めて拠点や住居を提供し、地域の人達や既存のコミュニティとの連携をつくることを主な目的としたものだが、この活動を通じて個人の所有物へのアプローチの難しさや法的な問題なども身を持って実感した。

「今の法律だと、土地が道路に接していないと建物が建てられないので、空き家を壊して建て替えることができない。土地が狭い場合も建ぺい率の問題があるから、やはり建て替えできない。空き家として利活用できないと、そのまま残らざるを得ないんですよ。細かいところを一つ一つやっていかないと、街がうまく回っていかない」。

青木さんが手掛けた空き家再生の古民家複合施設「せんつく2」。

規則的に整った街は美しいが、画一的でどこか不安な気持ちにもなる。「新興住宅地は誰かが作って用意したもの。みんな気に入ってそこに暮らしているんだと思うけど、みんながこうありたい、こうだよね、という思いがある方が楽しい」。

豊かさを追い求めていた時代に置き去りにされてしまったもの。昭和レトロに象徴される〝人情〟の感じられるものに人々が引き寄せられていくのは、誰もが無意識のうちに大切なものを取り戻したいと思っているからかもしれない。今の法律に基づいて建て替えが進めば消滅してしまうはずの路地が、法律が出来て70年以上経った今も残っている理由を、鶴巻さんは路地の持つ力にあると考える。

「有名な建築家の住宅が大阪の住吉にあるのですが、外側は全てコンクリートの壁。住宅は内側に向かって開いているんですよ」。コンクリートの壁に囲まれたところに中庭があり、それに面してガラス張りになっているため、家の中から見れば解放感もあるが、道路側から見ると「コンクリートの箱」でしかないという。

「それで評価されたのですが、今は逆に疑問視されている。道路に面してそんな住宅が10軒並んでたら気持ち悪いじゃないですか。コンクリートの箱が並んでいて、その中で何がされているかわからない。やっぱり人との関わり、まちとの関わりみたいなものがどれだけあるかが、まちのエネルギーや特徴を作るうえで必要。キャラクターのない街、思いのない街が増殖されていくことの気持ち悪さだと思う」。

防犯のために閉ざした家を作る。だが鶴巻さんは逆に防犯性がないという。「路地も全ての家が閉じていたら怖い。引き戸になっていて部屋の中が丸見えになっちゃう作りに意味があると思う」。人の目が防犯性を高め、異変に気付きやすくする。そのためにも、家が外に開かれていることが重要という。

「路地に住んでいる人たちは、自分の家の前の道路は自分の家だと思っているんじゃないかな。あの生活感は羨ましいなと。すごく使い込んでいて、一般道路に面している建物と違って、楽しそうにやっている路地裏の建物はいいなと思っています」。

コメダ珈琲店北千住本町センター通り店で。奥さんと休日の朝食に利用している。 「ゆったりできるし、旧日光街道にあるのがいいですね」

鶴巻さんは次のステップを決めている。

「あと5年で定年。路地に関わる会社を作りたい」。路地に関わる会社とは――?

「路地デザインです。こういう課題があるから、こういう提案をしたいということを、実例として提示していけるといいなと。路地は誰かの持ち物でもなんでもないので、依頼してくれる人がいないかもしれないんですけど(笑)。でも、そういう人が1人ぐらいいてもいいんじゃないかな」。

とぼけたように笑いながらも、実はいろいろ考えていそうで、どんなことを始めて、どんな風に千住のまちを素敵にしてくれるのか、期待が膨らんでくる。

「誰かが言い続けることで、まちは良くなっていくんじゃないかと思っています。町雑誌千住は地域の人が自分たちのことを雑誌にしていたので、その土壌はあるはず。5年後に向けて、やれることをやりたい」。

路地ツアーの会社か、路地フィルムコミッションのような会社かもしれない。映画やドラマ、写真など路地で撮影したい人は多いだろう。相手の求める路地を提示し、住民の人たちの許可を取ったり撮影の手筈を整える仕事は、大変そうだが需要はあるに違いない。

路地に開かれた工房ショップmincaに立ち寄った。鶴巻さんは革製品mincaの財布に惚れ込み愛用。革の手入れの仕方も丁寧に教えてくれる

「#千住暮らし」で探す街の色

千住には、街を良くしたいと思う人がたくさんいて、それぞれに活動している。
昔を知る年配の人が、かつて千住のシンボルだったお化け煙突や江戸からの歴史を、街の誇りとして後世に伝え残そうとしている。今は数少なくなった蔵に住んでいた人や、古民家をリノベーションしてこだわりのカフェにしている人もいる。失われていく古い建物を残そうと、千住という街の魅力をネットで発信し続けている団体もある。

「いろんな人が、いろんなことを喋っていて、いろんなことが行われている街の方が面白いんじゃないかな。千住浪漫シティと言っている人がいたり、和文化(路地裏寺子屋rojicoya)と言っている人がいたり。みんな好きでやっているしパワーがあるしにぎやかだし。いろんな活動をすることによって、作られている思いのようなものを大事にしていけるといいなと思います」。

#千住暮らしも、そんな活動の一端だ。源流には2012年に発足した「千住いえまち」があり、鶴巻さんはそのメンバーとして千住の古い建物の保存の機運を高めるために力を注いできて、昨年2代目会長を引き継いだ。

建物がメインの「いえまち」に対し、#千住暮らしは「人」に焦点を当て、千住に住む魅力を発信してきた。取材する我々も、千住への人々の思いの深さや視点に、毎回新たな発見をさせてもらっていた。3年間の活動でまだ役割を終えたわけではないが、あと1回の更新でひとまず休止することになった。

鶴巻さんは#千住暮らしのプロジェクトメンバーでもある。思いを語ってもらった。

「サイト発足のきっかけは、古い建物がなくなる危機感と思うけれど、人をターゲットにして生活を浮き出させるサイトですね。ずーっと『いえまち』に関わってきた思いは、千住の街って何色なの、どういうキャラクターの街なの、というのを見つけることなのかなと思っています。例えば京都はどういう街か、と聞かれたら思い浮かべられる。じゃあ、千住の色付けは? こういう街なんだよね、というはっきりした色が欲しい。それを探すのが#千住暮らし。いえまちの活動をしている時に、それをやりたいと思ったんですよ」。

千住はどんな色なのだろう。「更地に再開発されたベッドタウンのように、住宅が並んでいるのとは違う。デベロッパーがこういう街なんです、と作った街じゃなく、千住を面白いと思う人たちがいて、それが形になっている」。

人と関わることで軋轢が生まれることもある。そんな嫌な思いをしたくないために、線を引いて自分の領域を作る。それによって生み出される冷たい距離感を、ちょっとだけ踏み超えることができる場所。
「路地もそうだし、昔から住んでいるお年寄りがいて銭湯があって、関わり方がいっぱいある。いろんな団体があったり、大学があってイベントをやっていたり、いろんな関わり方がある。その中で街としての色が見えて来た時――それが5年後10年後かわからないけど、その時に千住に暮らしながらこんな活動をしている人たちがいるよ、と気づいてもらえたら面白いんじゃないかな」。

江戸時代の千住宿として賑わった歴史の名残りや、魅力的な古い建物と出会える街。異世界に迷い込みそうな入り組んだ路地には、下町の気取らない人情がある街。古いものを愛しみ抱きかかえながら、新しいものも自然に受け入れ、人が人と心地よく関わり合って、より暮らしやすい、あたたかい街になっていく。鶴巻さんの活動やこのサイトが、その養分の一部になっていたら、きっとこれ以上はないほど素敵なことだろう。




Profile つるまき としはる
会社員(一級建築士) #千住暮らしプロジェクト メンバー/千住いえまち 会長/北千住「島」プロジェクト 管理人 2003年より千住に在住、2006年、柳原に自邸を設計。新潟県出身。新潟大学大学院修了。1992年より建設会社に勤務。3児のパパ。
Instagram: 毎日千住 https://www.instagram.com/hiiragikaba/
Facebook page: 北千住島プロジェクト https://www.facebook.com/senju.island.project/
Note: 北千住島プロジェクトnote    https://note.com/hiiragikaba/

取材:2023年8月17日、10月12日
写真:伊澤直久
文 :市川和美

文中に登場したお店など



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