【story11】書と酒場と人とカフェ(路地裏寺子屋rojicoya)-千住暮らし100stories-
路地裏寺子屋rojicoyaオーナー・書道家 米本芳佳さん 33歳
千住のお母さんとの出会い
「お母さん、ちょっとだけ顔を見に来たよ!」
書道家 なすご龍芳として活動し、2020年にオープンした和文化の発信地&カフェ『路地裏寺子屋rojicoya』オーナーでもある米本芳佳さんは、とある酒場の扉を勢いよく開ける。3児の母で、4歳の次男と0歳の三男を自転車に乗せて、仕事場から家に帰る途中だった。
このお母さんとは、血のつながりはない。おでんが名物の小料理屋『花くま』の女将 藤本照子さんだ。米本さんが学生時代に客として訪れ、本当の母のように慕うようになるまでそう時間はかからなかった。
米本さんは福岡県北九州市で生まれ、中学時代の入院で出会った看護師の影響を受けた。辛く退屈な入院生活が、気の持ちようで楽しいものに一変することを知り、人が困難に立ち向かうプロセスに興味を抱き、看護師を目指す。早く実家から離れたくて、九州から遠く離れた筑波大学への進学を機に上京した。
米本さんの父親はとても厳しい人で、上京するまでは家庭の中でも、学校の中でも、常に他人の顔色をうかがう内気な少女だった。千住のお母さんに出会ったのは、大学休学中の人生どん底期だった。大学在学中に詐欺被害に遭い、借金返済のために働きづめで疲弊し、看護の実習では仲良くなった患者さんの死に何度も遭遇し、将来進むべき道がわからなくなっていた。
米本さんが千住のまちに来たのは大学4年生の時。飲み会で終電を逃し、北千住駅で途中下車したことがきっかけだった。「ネットカフェで夜を明かすより、地元の人たちと飲みたいと思って飲み屋へ。世代問わず、よそ者である自分を受け入れてもらって居心地の良さを感じ、すぐにこのまちが好きになりました」。
千住で飲み歩く中で、千住の母に出会った。「方言が出ていたみたいで、お母さんに『福岡出身でしょ?』と話しかけられ、すぐに意気投合。大学の近くからお店の近くへ引っ越し、ジャージで通うほど頻繁に通っていましたね」と、懐かしそうに目を細める米本さん。
お母さんは佐賀県出身で、米本さんと故郷が近い。米本さんのことを娘のように世話を焼いた。ある時はタッパーにぎっしり詰まった炊き込みご飯を持たせたり、年末の夜に酉の市へ連れて行ったり、本当の親子さながら。米本さんは千住に帰るとまずお母さんの店に行き、その日あった出来事をしゃべり倒す。
「本当の両親とはうまくコミュニケーションがとれず、家族愛に飢えていたので、千住のお母さんに可愛がってもらえてどれだけ救われたか。血は繋がっていないけれど本当のお母さんのように思っています」と、米本さんは真っすぐ目を見て言った。
お店に通い半年が経つ頃、お母さんを介して常連客とも打ち解けて毎晩のように楽しく過ごしていた。そんなある日、客足が途絶えてお母さんと2人きりになると、人生についてお母さんが語り始めたという。それは、米本さんを諭す本当の母のようだった。
「芳佳は心から人が好きだから、人の悪いところを見つけられない。でも、万が一裏切られた時、芳佳がどれっだけ悲しい思いをするかが痛いほどわかるの」と、お母さんは真剣な目で語りかけた。夢を見失いかけていた米本さんの心に刺さった。
「血の繋がらない他人なのに、こんなにも気にかけて、自分のことを見てくれる人がいることがいることがうれしくて、涙が止まりませんでした」。この2人きりの夜、お母さんは自分のこれまで歩んできた人生を、時には目に涙を溜めながら米本さんに語り、最後にこう締めくくった。
「でも、そこにクヨクヨしたってしょうがないのよ。どんな過去も恥ずかしいとは思わない。せっかく生まれてきたんだよ? 今を幸せと思わないと損じゃん! 明日は何もしなくてもやって来てくれるんだからね。お母さんは歳をとることを誇りに思うよ」。
米本さんにとって、お母さんの店で過ごす時間が、千住で過ごす時間が、よりいっそう愛おしいものになった。「千住のまちは、いろいろな地域から移り住んだ人が多いせいか、よそ者意識なく接してくれる人が多い気がします。時には叱ってくれる人も。まちを歩けば、家の前や銭湯で井戸端会議をして盛り上がる人がいて、商店街では親子が仲良く歩き、店先では威勢のよい声が聞こえ、なんて温かい場所なんだろうと…。家族関係に悩んだり、人に騙されたりしましたが、このまちに暮らしているうちに人間らしさを取り戻していきました」。
目を背けてきた家族に対しても、自分ばかりが辛かったわけではないのかもしれないと思い直し、意を決して帰省。勘当されていた姉を、思い切って父に対面させた。厳格な父が泣きながら謝り、家族みんなで泣いた。両親とも愛情がありながら、その表現方法がわからず、彼らなりに苦しんでいたことを知った。
貪欲さと誇りを持つ人々に出会ったインド旅
大学時代の米本さんの価値観を変えた出来事がもうひとつある。大学休学中に他学部のゼミを受講させてもらい、ゼミの課題としてアジア各国へひとり旅をした。その中のインドへの旅が、米本さんの価値観を大きく揺さぶることになる。貧しい中でも消えない、学びたいというパワーと愛国心の強さに圧倒された。
「ひょんなことで、現地の学校で簡単な日本語を教えることになったんです。すると、髪はボサボサで重い荷物を担いだ大勢の子ども達が、柵の向こうから食い入るように見ていたんです」。柵の向こうにいたのは、学校に行く余裕がない貧しい子ども達。「地元のおじいさんの『子どもが元気だから、この国は大丈夫』という言葉が胸に刺さりました」。
さらに、子ども達は自分の国について「聞いて聞いて!」と夢中で話してくる。一方で、米本さんは日本のことをそこまで熱心に語れず、自分の国に対する無知さ、誇りのなさを思い知ることになる。さらに、インドの川では遺体が流れてくるなど、生と死が隣り合わせの暮らしで、独特の死生観も大きな影響を与えた。
看護師として死に向き合い、書の世界へ
さまざまな経験を経て念願の看護師になった米本さんは、不思議な体験をした。意識が朦朧としていた患者さんが、死の数日前に嘘のように元気になる様子を何度も目にしたのだ。「家族と最後に本音を話すために神様から与えられた時間とも言われています。『〇〇したかった』と、後悔の念を口にする方も多くて…。元気なうちから自分や家族の大切さに気づき、後悔なく過ごしてもらうには何ができるか考えるようになりました」。
思い悩むうちに、米本さんは結婚と出産を経験。子育てと仕事の両立の難しさを実感し、もともと持っていた書道師範の資格を活かして在宅で書道教室ができないかと、書道家へ転向することに。米本さんが自分を取り戻すきっかけは、千住暮らしと、小学校低学年で始めた書道の2つだった。
筆で文字や絵を描くひとときは、人の顔色をうかがわず、今に集中し、ありのままの自分でいられる時間だった。「自分を解放する心地よさを感じました」。上達していくうちに、文化祭の看板などを頼まれることが増え、自信にもなっていった。
今度は人に教えることで、書が自分に与えてくれたものを、誰かに渡す。現在、自宅で子ども達向けに書道教室を開き、店では週2回大人に教えている。
「書道は鍛錬してこそ書けるものもあれば、その時の気持ちや環境で、その人にしか出せない想定外の筆跡もあり、その両方におもしろさがあります。集中して無になり、自分を見つめ直す時間でもあります」。
さらに、独自に生み出した『虹墨記念花アート』が、これまでの米本さんの想いと合致した。カラフルな色合いと墨を組み合わせ、名前と誕生花を描いた作品。「名前と誕生花の組み合わせは、唯一無二のもの。あなたがいてくれてありがとうという想いと、自分自身を認めて誇りを持って生きてほしいという想いを込めています」。
孤独な子育てから開拓した、新たな人のつながり
米本さんは千住のお母さんの店『花くま』で現在の夫に出会って結婚し、今は3人の男の子の母だ。出産を機に、千住出身の夫の実家で暮らしている。だが、慣れ親しんだ千住のまちにいるのに、第1子出産後は精神的にしんどかったそう。正解がわからない育児への不安と睡眠不足に悩まされた。「友達と話して息抜きをしたくても、当時の千住の友達は、夜に飲み屋で出会った人ばかり。昼間に会える人がおらず、途方もない不安や孤独にさいなまれました」。
同じ悩みを持つママがいるのではと、産後初めて企画したのが、赤ちゃん連れで楽しめるノンアル飲み会だった。バーを貸し切り、ジャズの生演奏を聴きながらママはノンアルコールドリンクで乾杯! ビュッフェに舌鼓を打ち、親子で楽しめるベビーダンスやビンゴ大会なども用意し、120名が参加した。「演奏中に赤ちゃんが泣いてもお互いさま。赤ちゃんが気持ちよく眠りだすと、ママたちは独身のときのようにお喋りに花が咲きました」。
自分の企画に賛同してくれる仲間が増え、ほかにも親子運動会も企画した。「大人になると本気で競争する機会ってなかなかありませんよね? 本音がむき出しになって、学生時代に戻ったように仲良くなれるんです」と笑う。
そんな時、千住で子育てをする女性のためのイベントを開催する『mama千住』が定期的に行っているイベント『ママフェス』を知り、運営側として参加。これを機に、新たな縁を広げることになった。
千住にできた和文化の発信地
新たな人の輪を築いた米本さんは、イベントで書道家として自分の作品を販売するようにもなる。そんな時に、お茶会や落語の会を主宰する榎本龍晃さんに出会い、和の文化を広めようという気持ちが合致し、『和文化継承委員会まほろば』を立ち上げる。
和の文化といえば、和食、着物、書道、茶道、華道、和楽器…。時代劇でお馴染みの殺陣、お祭りに欠かせない盆踊りなど、考えてみるといろいろある。しかし、実際に体験したり、作法を説明できるものは、いくつあるだろう? かつてインドで出会った子ども達のように、自分の国の文化と自分自身に誇りを持つ次世代を増やしたかった。
2018年11月には第1回目の『和の芸術祭』が千住1丁目の『慈眼寺』で開催された。境内では出店、本堂では雅楽の演奏会。もちろん、子どもも大歓迎! 雅楽は大人でも敷居が高く感じるが…。「ある音色に対して泣き出す子どもが出たりと、演者の方とも試行錯誤。結果、いいものはたとえ子どもでも夢中で聴いてくれると確信しました」。
会場となったお寺の住職をはじめ、商店街、町会、区…と、米本さん達の取り組みに賛同する人は増えていく。
イベントを繰り返しながら、2020年10月にはカフェも兼ねた和文化の発信地『路地裏寺子屋rojicoya』をオープン。北千住駅東口の学園通り商店街から路地に入った場所にある古民家で、駅から徒歩3分ほど。
新たな場をオープンできたのは、千住で空き家再生の活動を行うNPO法人『千住芸術村』の代表を務める加賀山耕一さんからの誘いがきっかけだった。加賀山さんが運営する美術館『ROJIBI』で、華道・舞踊・写真家・書道家とのコラボライブを米本さんがプロデュース。演者のひとりとしても参加した。
加賀山さんより、この建物を使ってみないかと後日声がかかる。自分が書道を教えるだけでなく、和の文化を継承するその道のプロを呼んでイベントや習い事を楽しめる場になればと、誘いに応えた米本さん。和文化に壁を感じている人にも気軽に立ち寄っていただきたいとの思いで、日本茶カフェを併設することにした。
この建物は10年ほど空き家で、屋内から空が見えるほど傷みがひどかった。米本さんが借りた時はある程度修繕は済んでいたが、漆喰を塗り、壁に和紙を貼って柿渋を塗るなど体裁を整え、防災関連などはプロにお任せした。
なんとこの準備中、米本さんは3男を妊娠中だった。次男の妊娠中は、初回の『和の芸術祭』の準備中だった。「なぜか大きなことを始めるタイミングで(笑)。でも、妊娠していることで周りの人へ助けを求めやすく、よいチームができていった。今考えると良かったのかな」。
コロナ禍でオープンは遅れたものの、創業融資と助成金を駆使し、クラウドファンディングで150名から100万500円もの資金を集め、2020年10月末にオープンした。米本さんが書道を教えたり、他のスタッフが殺陣を教えたりと和文化の習い事の場として、時には筝など和楽器のコンサート、華道の展示なども行われている。カフェとして営業することで、ふらりとお茶しに来た人が和文化を知るきっかけになるなど、より多くの人に門戸が広がっている。
奇しくもコロナ禍でのオープンとなったが、大々的にイベントが行えないからこそ、小規模で演奏会や展示をしたいという問い合わせが多かった。通常ではこちらから出演依頼をするようなキャリアを持つアーティストからも声がかかり、質も維持できている。「和文化の世界は意外と狭いので、ここを利用した方から口コミで伝わっていったようです」と、ホッとした表情の米本さん。
カフェで提供するメニューも、もちろん和を意識。和の芸術祭を一緒に運営している榎本さんが日本茶の仕入れを行い、お茶漬けなども楽しめる。
カフェの名物のひとつであるどら焼き『ろじどら』は、足立区を中心に展開する和菓子の名店『喜田家』と特別提携。黒糖を使ったどら焼き『六人衆焼』の皮を使って、アレンジしている。『喜田家』とのご縁は、『和の芸術祭』への協賛をお願いした時にさかのぼる。「和文化継承への想いに共感してくださり、特別にどら焼きのアレンジを許していただきました。いずれ一緒に和菓子作りの体験イベントができたらとお話しています」。
米本さんの想いに賛同し、力を貸してくれる人や企業は多く、融資を受けている『城北信用金庫』からは開店時のクラウドファンディングの提案や、カフェメニューの日本酒アイスの仕入れ先も紹介してくれた。
「商店街の存在も心強いです」と米本さん。新型コロナウイルスに関する助成金を申請する際に商店街からの許可が必要で、その時に学園通り商店街の理事長に出会った。オーダースーツを作る『テーラー グローリー』の店主 宮本勝男さんは、商店街の理事や学校の地域役員を長年務め、まちの活性化に尽力してきた。
オンもオフも千住にどっぷり
子育てをしながら新しい試みに挑戦する米本さん。日常の千住暮らしをのぞいてみた。朝は最も忙しい時間。家族で朝食を済ませたら、小学校1年生の長男を学校に送り出し、4歳の次男を自転車で保育園に送り届ける。自転車には0歳の三男を乗せたまま、仕事場である『路地裏寺子屋 rojicoya』へ。
接客や調理はスタッフに任せ、自身は打合せをしたり、パソコンに向かって事務作業やイベントの企画案づくりをしたりしている。「打合わせの場に子どもがいると、お互い身構えずに話せる気がします」と笑顔をのぞかせた。
取材時も、今後のイベント案が次々と出てきた。毎日気が休まらないのではとたずねると、「土日はお休みにしています」と米本さん。イベントの準備はぬかりなく、イベントは土日にすることが多いのでスタッフに任せているそう。「お客さんとして自分の子どもを連れて行くことも。和文化のおもしろさを伝えたいし、子ども達の素直な反応が次のイベントに活かせます。良いところも悪いところも含めて仕事する母の背中を見せ、子ども達に何か感じてもらえたらという想いもあります」。
お休みの日は家族で、もしくは夫が子ども達を連れて公園で遊ぶ。よく行く公園は、家の近所の『千住龍田町防災ひろば』。『千住旭公園』もお気に入り。赤いタコの滑り台が人気の『千住ほんちょう公園』と駄菓子屋『BOWWOW316』をハシゴするコースも定番だ。「オンもオフも千住からしばらく出ていないですね」と笑う。
店で仕事をする日のランチは、まかない飯。冷蔵庫には近所の『スーパーたなか』で買った食材が入っている。この日は差し入れでいただいた豆腐が主役。スタッフの二人が手際よく調理し、米本さんは三男を抱いたまま丼をかき込む。「カフェのメニューは白砂糖ではなく、きび砂糖を使っているんです」。体にやさしく、甘さもやさしいきび砂糖がすっかり気に入り、家で作る食事、ケーキにも使っているのだとか。
夕方には保育園にお迎えに行き、子ども2人を自転車に乗せて夕飯の買い出しをしながら自宅に向かう。時には家族で1食5合のご飯を食べるほど食欲旺盛なので、安くておいしい店が近所に多いのはありがたい。
千住ほんちょう商店街では『激安本舗』、『トーフショップ むさしや』でよく買い物をする。忙しい日は『総菜かざま』で激安でボリュームのあるお惣菜を買い、野菜を炒めるなど必ず何か手を加えると決めている。家の近くの大門通商店街にもよく行く。「必要なものをサッと買えるので、大型スーパーより、自転車でもまわりやすい商店街で買い物をすることが多いです。千住は坂も少なくて走りやすい!」と笑う。
子育てに勤しむ日々で、今は飲みに行くことはほとんどない。家族で時々の外食は、ボリュームのあるハンバーグがうれしい『びっくりドンキー』か、義理の兄がオーナーを務める前菜と飲茶バル『NIHIRO』。お店の名物の大きな餃子は、家族みんなの好物だ。
この日は帰宅がてら、夜の営業前にちょっとだけ『NIHIRO』に寄り、オーナーの米本哲弘さんと束の間のおしゃべり。家族ぐるみで仲が良い。
米本さんとオーナーは、実は学生時代からの顔見知りだ。先の『花くま』の常連客同士でもあったのだ。米本さんは『NIHIRO』と『花くま』をよくハシゴしていたそう。なんとこの2軒、道を挟んで斜め向かいにある。どちらかに用があれば、ついでにもう一方を覗ける距離だ。
外に出ると、すっかり日も暮れて冷え込んでいた。自宅では長男が義父母と遊びながら帰りを待っている。「3人の子どもを抱えてこうして働けるのは、義理の両親のサポートがあってこそ。とても感謝しています」。自転車の前後に子ども達を乗せ、出発! 傍から見ると重くて大変そうだが、驚くほど軽快に走り去る米本さんを見送った。
米本さんが語っていたことを思い返す。「千住で飲み歩いていた頃、どうしたら皆さんに恩返しができるか聞いたことがあったんです」。その答えは?
「『私たちにではなく、同じようにあんたの次の世代に返していけばいいんだよ』と口々に言われました。その時の言葉を胸に、恩返しのつもりで千住での活動に励んでいる気がします」と米本さん。
「一見、道を踏み外したような時でも、その道でしか見えない景色や出会いは、その人の糧になるはず。私がそうだったように、人とのつながりや出会いが人生を変えることもある。人はやっぱりおもしろい! お互いのありのままを認め、活かし合える世の中になったら素敵ですよね」と、どこまでも熱い。
米本さんはこれからも千住のまちを颯爽と駆け抜けながら、人と人、文化をつないでいくのだろう。そんな彼女の元で、三人の子ども達がどんな大人に成長するのか、今から楽しみだ。
Profile よねもとよしか
1987年に福岡県で生まれる。看護師を経て、なすご龍芳(りゅうほう)として書道家に転身。書道家としての活動の傍ら、『mama千住』、『和文化継承委員会 まほろば』など千住発のさまざまな団体を運営し、子育て世代の親子のため、和文化継承のために数々のイベントを成功させる。2020年にはカフェも兼ねた『路地裏寺子屋rojicoya』をオープンし、和文化を発信している。三人の男の子の母でもある。
路地裏寺子屋rojicoyaホームページ https://rojicoya.jp/
なすご龍芳ホームページ https://nasugo-ryuhou.jp/
和文化継承委員会 まほろば
取材:2021年11月16日、11月19日
写真:伊澤直久
文 :西谷友里加