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好きの強化


好きなこと、やりたいことしか出来ない性格の私は、その気質が異常に強いのかもと感じている。
それはもう小学生の頃には自覚していた。

周りを見渡せばほとんど皆が大人から義務付けられたことやルールを、例え文句をつけようとも淡々とこなす。
表面上の反抗はあったとしても、しっかりこなす。

中学生、高校生、更には大人になってからも当然のように"私以外の皆"はこなしていく。

大人になって、やらなければならないことだって出てくる。例え好きな仕事にだって、少なからず苦手な業務が入ってしまうことだってあるし、それらを全て投げ出しているわけではない。

ただ、"好きなこと以外"の出来なさ加減と言ったら、好きなことをしているときとは別人かのように、脳は動かず、身体は動かず、心の底から身体全身から「やりたくない!!」が溢れてしまうのだ。

それでも大人としてやらねばならぬはやるけれど。それは想像以上の苦痛を伴い、多大なストレスとなって蓄積していく。

これが社会のルールに従えないタイプか…と、自分で思わざるを得ない。完全に枠から外れている感じだ。



でもそんな私のことを羨ましいと言ってくれる人もいる。
これほどに好きなことやりたいことが明確であるという感覚に、憧れを抱いてくれるようなのだ。

私としては、社会の常識に沿って歩んでいけることが人間として出来てると思っていて、それをこなせることはとても素晴らしいと思うのに。



そんな私にも、これで良いのだなと思えることもある。
したくないことを「したくない」とはっきり人に伝えられるし、今いる場所がやりたくないことをせざるを得ない環境ならば、悩まず臆せず、すぐに違う世界へ歩み出すことができる。

自分の心の声に一番敏感でありたくて、自分の心が望むことを一番大切にして生きていきたいのだ。自分に正直に。



やりたいことならば時間も忘れて没頭してしまうタイプだけれど、そのやりたいことがどんどん増えてパンクしてしまうことがある。

マルチタスクがものすごく苦手なのに、色んなやりたいことが気になってつい同時進行してしまうのだ。

そうなるともう時間のロスばかりで、本来の自分の心の声もなんだったのかさえ忘れてしまう。やっぱりここでも「マルチタスクが苦手」という自分の得意ではない部分に足を踏み入れたばっかりに、そこが飛躍的にプラスに動くことはないのだ。



ごく稀に苦手だったことを好きになる場合もあるけれど(私が本を好きになったように)、それは特例だと思う。
いやだな、やりたくないな、という感情があるのなら。ずーっと苦痛なら、さっさとやめてしまったほうがいい。
(勿論社会人として、なんでも放り出していいわけではないということは改めて書いておく…!)



枠から外れた者は、生きるのが難しい。
色んな場面で生きづらさを感じ、社会に適さない部分が多すぎる。

でも誰よりも、自分の心に正直でもある。
少人数派でいいから、自分の好きを積み重ねて、もっともっと居心地の良い空間を作り上げていきたい。


好きばっかりを、たくさん集めたい。



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