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終わりの始まり


何かが終われば何かが始まるとはよく言ったもので、
本当に言葉の通りだと思う。

過去を取り戻すのではなく、新しい生活を、新しい生き方を、これからの自分の在り方を、自問自答していきたい。



変化

早くお出かけしたいなと浮き立つ心もあるけれど、自由に動けるようになっても私は当面、仕方のない急用でしか出かけないと思う。まだしばらくはおうち時間を過ごしていたい。

日常は大きく変わり、生活スタイルに変化があった。家での時間を大切にし、居心地の良い空間を作り上げ、活動時間も健康を意識した。元々大事だった食はより一層特別なものになった。心に明るさを感じさせてくれるファッションは、またしても私を救ってくれた。
少し外に出るだけでも、警戒心はマックスで疲れてしまうし、今まで出来たことが当たり前じゃなかったと心底感じた。

きっと、みんなそう。



自分の正義

スーパーで幼い姉妹を見かけた。妹ちゃんは多分3、4歳で、お姉ちゃんは小学1年生くらいだろうか。
母親が少し離れたところにいたタイミングで店の出入り口に置いてある除菌スプレーを一生懸命使おうとしていた。妹が手間取って、泣き叫ぶ。それをあやす姉。

私を始めとした大人がちょうど店に入ると、自分達が邪魔をしていると思ったのか、姉はこちらを見て「すみません」と言い、妹を除菌スプレーから離した。


こんなにも幼い子供が、周りの人々のために配慮した
のだ。それも姉は、妹を見守りながら。妹だって何も、お菓子を買ってもらえなくて泣き叫んでいるわけではない。除菌スプレーのボトルが、自分で押すには固かったのだろう。


現状を、幼いながらに理解して、正しい行動を取ろうとしている。そのことにものすごく感動した。

幼い子が人に謝ることができる一方で、レジなどに並ぶ際の足元の立ち位置マークさえ守れず前に詰める大人もいる。前後友達同士で列に並びながら、前に並んでいる側がくるりと後ろ向きになり、大声でおしゃべりタイムが始まる。そんな光景も目にする。


幼い子供と、良い歳の大人。年齢は関係ないものだと思い知る。
自身の行動にどれほど責任をもてるのか。人のために行動するというのは、どういうことなのか。それが分からないような大人では居たくないな。自分なりの正義を探して分かろうと考えることを、やめたくない。



新しい日常


「日常が戻ってくる」「今までの生活に戻れる」という表現には違和感があって。これまでの普通は普通じゃなかったのだと再確認したから、もうそれは日常ではないのだと思う。
新しい動き方をごく自然に取り入れていきたいし、それを作り上げていきたい。より快適に、より心に馴染む方法で。


上部だけなんていらない。
大切なものが浮き彫りになって、これからの自分の在り方を、自分に問う。



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