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【2024.5.19更新】一句選集(仙臺俳句会2024)

■ご参加者に全作品から一句選(選評は任意)をしていただきました。

■一句選および一句選評の募集!
冊子のご参加者以外からの一句選(選評は任意)を募集しております。
各作品10句から1句ずつ選び下記メールアドレスまでメールください(書き方はnote掲載の形式をご参考になさってください)。いただいた1句選は本noteに更新していきます。なお全作品からでなくてもいいです。1句から受付けますので、お気軽にご参加いただければ嬉しいです。
〈送信先:sendaihaiku★gmail.com(★を@に変えて)〉 

1 2024年4月21日まで受付分

⑴ うにがわえりも選
チューリップほつほつほつと詩嚢かな うにがわえりも(自選)

線路脇風葬のごと泡立草       水月 りの
雲の嶺今泣けと血の巡り来る     とみた 環
初日記なゐのことから始まりぬ    酒井 春棋
冬萌に石塀の猫降り立てり      田口 鬱金
筆跡に紋白蝶の匂ふかな       加能 雅臣
月待つや横笛の穴探りつつ      佐復 桂
三月に嫌いな事をやっている     有川 周志
ゆびきりの相手忘れし桜貝      村山 恭子
湖へ浸す手噛みし蟻もろとも     佐藤 涼子
蛸足配線真西日にのたうちぬ     武田 菜美
蠕動のわがはらわたのお元日     渡辺 誠一郎
一頭の牛が秋気へ首を出す      浅川 芳直
夏蜜柑病むひとは窓辺を愛す     小田島 渚

⑵浅川芳直謹撰
夕燕言付の本速やかに        うにがわえりも
死ぬ前の景色の続き夢はじめ     渡辺 誠一郎
一つ家に違ふ木枯し聞く人と     武田 菜美
鰭酒の青き火や雨降りやまず     田口 鬱金
春の雨ブルーシートに目をしまふ   加能 雅臣
馬の背の御降白くうちけぶる     小田島 渚
幻のぽえむぱろうる小鳥来る     水月 りの
雲の嶺今泣けと血の巡り来る     とみた 環
雪隠の鍵のゆるさよ菊日和      佐復 桂
水彩の色から色へ移る春       有川 周志
猪のぬた打つ月の潦         村山 恭子
払ひたりギター弾く手の火取虫    佐藤 涼子
復興を祈り雪達磨作らう       酒井 春棋

2 2024年4月26日まで受付分

⑴佐藤涼子選

レントゲン写真の骨に冬日差す    水月 りの
老梅の彫らば仏や焚かば灰      とみた 環       
避難所の犬あやしたり年新た     酒井 春棋
三日月や匙もてなぞる瓶の縁     田口 鬱金
ばかでかい春菊天や句会前      うにがわえりも
ふらここの平らな影の行き戻る    加能 雅臣
花束のやうに寄り添ひ初写真     佐復 桂
チェックイン時間を問うて余寒かな  有川 周志
小町てふ丸き島あり風涼し      村山 恭子         
蛸足配線真西日にのたうちぬ     武田 菜美
御さがりや見知らぬ猫が指を噛む   渡辺 誠一郎     
御降の丸一日を点しおく       浅川 芳直
馬の背の御降白くうちけぶる     小田島 渚

⑵加能雅臣選
・どちら側のドアからもうさぎ現れぬ 水月 りの
列車のドアだと思う。最終列車がターミナル駅に到着した時のことかもしれ
ない。合わせ鏡のように登場し、うさぎはいつもわたしを迷わせる。
・雲の嶺今泣けと血の巡り来る    とみた 環
涙も血も同じ、強弁すれば人は水だ。雲の嶺も濃い水蒸気。状態を変えつつ
天地人をあまねく循環する水が、一斉に我に返る瞬間が捉えられている。
・初日記なゐのことから始まりぬ   酒井 春棋
日記に着手したのは環境が幾分落ち着いてからだろう。記憶が新しいうちに
書かなければならないとも思ったことだろう。文字にも重力が働いている。
・柵に指並べて鷺の脚眺む      田口 鬱金
柵と指と脚。細部ばかりに目がゆく。鷺のまなざしを警戒しているのかもし
れない。鷺の佇まいには幽かな時空の歪みがあり、見るものを狂わせる。
・佐保姫と食ふいなり寿司果ては逗子 うにがわえりも
寿司と逗子。駄洒落ではあるが、その飛躍の清々しい距離感が佐保姫にふさ
わしい。そして海をのぞむ逗子の辺りはとても良いところなのだろうなあ。
・ポタージュのこつくり甘き余寒かな 佐復 桂
「こつくり」とは、最上級の肯定をあらわしているのだろう。無言でただただ肯いている姿が想像される。冬眠から出てきたばかりの生き物のようだ。
・丁寧なセロハンテープ冬夕焼    有川 周志
丁寧な仕事は気持ちが良い。こちらも丁寧な気持ちになる。届いた郵便物を
これから開封するところだろうか。逸る気持ちを楽しむ余裕がある。
・ゆびきりの相手忘れし桜貝     村山 恭子
忘れることは忘れて、思い出すことだけを覚えていればそれが良いのだろう。きれいなものばかり集める指先のかすかな痛みすらも愉しみに変わる。
・岩魚焼く腹に竹串透けたるを    佐藤 涼子
焼く前の魚の腹が「透けたる」と言われると、何かすーすーしてこちらも透
きとおる心地がする。竹串の貫く痛みがわが身に堪えるほど空腹だ。
・菜を間引く勾玉のごと身を屈め   武田 菜美
一つを残してあとの全部を殺す密かな愉しみ。勾玉の比喩が絶妙だ。正しい
ことを執り行う絶対権力がここにある。束の間のまつりごと。
・蠕動のわがはらわたのお元日    渡辺 誠一郎
おそらく年末年始を通じて休む暇も与えられないだろう「はらわた」にも、
「お元日」があり、この日ばかりは「蠕動」もやや畏まっている。
・草野球花の終りを見てゐたる    浅川 芳直
「草野球」の時間も時代もやがて終わりが来る。落花のグラウンドの果てを
見やるまなざしは「終り」など何処にも無いかのように立ち尽くしている。
・入学の窓に子鬼の顔のぞく     小田島 渚
入学生を窓から見ている上級生のことを「子鬼」と言っているようでもあり、まだ空っぽの一年生の教室で入学生待っている「子鬼」のことかも知れない。

⑶とみた環選
・老梅の彫らば仏や焚かば灰     とみた 環(自選)
生家の庭は私が生まれた年に造られた。その老梅は相応に草臥れており、昨年の集中的な降雪では一晩にして一本の大枝を失った。春にはまた花を付けたものの、遺された古きものに対する感情のアンビバレントを思うことになった。
・どちら側のドアからもうさぎ現れぬ 水月 りの
この「うさぎ」に季感をもって読むかどうかで寸時を迷うのだが、どうあれ、2羽も表れた兎への嬉しい驚きが感じられる。この驚きは寒々とした冬の感情を癒す。
・初詣人は祈りの姿して       酒井 春棋
「人は」と、あえて書いている。「人」のみが神仏に祈るのは、人生においてより良く在りたい為だろうし、それは理想とも欲得とも思う。天地万物がただ純然たる存在として発する叔気の只中にあって、「人」だけが求め、祈り、そのポーズを取る。
・鰭酒の青き火や雨降りやまず    田口 鬱金
鰭酒の魚の匂い、固形燃料の匂い、雨の匂い。手元で燃料の溶ける音と、外から雨音。炎の熱と、寒夜の雨。それらのすべてを繋ぐ「青」の印象。酒座に視座を据えた一物の景と読めながら、そこに流れる時間における叙情は入り組んでいる。
・シェアうれしたのしや蛍烏賊のパスタ うにがわえりも
美味しいものをシェアできる関係性。お洒落ながら気取らない食事の景。蛍烏賊の明滅をパスタに観るような、嬉しく楽しい気分。
・ふらここの平らな影の行き戻る   加能 雅臣
空間を大きく移動するブランコに対して、その影は地面を平らに行き戻りしている。観察する視線は地面へ落ちており、そこには鬱いだ感情が読み取られるが、影の律動にひととき心遊ばせるようでもある。
・寿司握る指ふくふくと涅槃西風   佐復 桂
釈迦像を思わせるふくよかな指が握る寿司ならば、なにやら有り難げだ。「涅槃西風」の本意からすれば風には冷たさが戻る頃だが、この句における気分にはあたたかなものが漂う。
・丁寧なセロハンテープ冬夕焼    有川 周志
物に語らせる手際が素晴らしい。「丁寧なセロハンテープ」とは、「(封筒か何かに)丁寧に貼られたセロハンテープ」の描写の圧縮でありながら窮屈でなく、むしろ17音をゆったりと使ってすらいる。生活の些末な一点を拾い上げて書きながら、「冬夕焼」の意外な取合わせによって、「丁寧なセロハンテープ」の行間を楽しませるに余りある情報量を生成している。切れは確かにして、一物の景としての作り物でない臨場感がある。
・猪のぬた打つ月の潦        村山 恭子
月光を白く写す潦の聖性と、それを乱す猪の獣生のコントラスト。自然界に向ける感情のアンビバレント。また、その一場面の描写をもって世界を暗喩する様でもある。実証的には猪の泥浴場だろうか。
・湖へ浸す手噛みし蟻もろとも    佐藤 涼子
一連の句によって、猪苗代の夏の野外フェスをオーディエンスから観た臨場感を描いている。現代的な体験である野外フェスと、歳時記との相性は気づきだった。中で、この句の感情の生々しさが際立った。ある種のロックミュージックが捻くれて孕むような、不健全な情趣が良い。
・深吉野を心に桜落葉踏む      武田 菜美
吉野桜は、その花に比べて紅葉の姿は侘しく、まして落葉だ。また吉野山の春を思えば、冬の感傷は一入だろう。この一句が東北の句座に表れたならば、遠く都への感懐にも綾なすものがあるだろう。いま桜落葉を踏む足で、ふたたび吉野山を踏もうと願うことは、単に道のりの遠さには拠らない。
・青空や母に一つの夏帽子      渡辺 誠一郎
他のどれでもなく、「一つの」と指示されたその夏帽子にこそ、お母様の在りようが託されて読める。青空の強い詠嘆に拡大する、空間的、時間的な印象が、「一つの」夏帽子に収斂するとき、そこには「唯ひとりの人」という代え難さや、寂しさや、様々なことが思われる。
・はためいて読めるクレープ法師蟬  浅川 芳直
クレープ屋台(今時はキッチンカーと呼ぶ)の幟。裏返っていたり、しおれていたり、それが風にはためいてようやく読めた。その縦書きのカタカナのおかしみも良い。秋めくと出店も増えるが、まだ残暑の頃だろう。作者の生活圏の青葉城公園あたりをイメージした。
・ひねもすの甘茶びたしの仏立つ   小田島 渚
〜の〜のと続けて、ゆったりと連体修飾を重ね、まさに春という駘蕩とした読み口となった。「甘茶びたし」の複合語も良く決まって、灌仏会を立ち続けた甘茶仏を労うようでもある。

⑷村山恭子選
レントゲン写真の骨に冬日差す     水月 りの
雲の嶺今泣けと血の巡り来る     とみた 環
避難所の犬あやしたり年新た     酒井 春棋
天井を陽光の這ふ冬の昼       田口 鬱金
菰巻を迫り上がりたる朝日かな    うにがわえりも
ふらここの平らな影の行き戻る    加能 雅臣
蒼天を蹴り上げ鷹の戻り来る     佐復  桂
三月に嫌いな事をやっている     有川 周志
流木に支ふるタープ月涼し      佐藤 涼子
菜を間引く勾玉のごと身を屈め    武田 菜美
死ぬ前の景色の続き夢はじめ     渡辺 誠一郎
御降の丸一日を点しおく       浅川 芳直  
馬の背の御降白くうちけぶる     小田島 渚

3 2024年4月29日受付分まで
⑴水月りの選
・一面の白より白鳥生まれけり           水月 りの(自選)
令和五年うさぎ年も終わりに近づいたある日の朝、真っ白な夢を見た。夢の中の白は、雪のようでもあり、光のようでもあった。そして、海なのか、湖なのか、水面の一面の白の中から、ぷっくりと何かが盛り上がった。泡だろうか?ただただ静かな空間である。白く蠢いて生まれたものは、白鳥であった。目覚めて、夢の世界からこの現実の世界に戻ってくるのが、どこか残念なような気持ちになっていたその日、詩人の高橋順子さんから「泣魚句集」が届いた。高橋順子さんは、私の詩集「恋愛病」の名付け親である。1999年のバッハホールでの「詩の噴火祭」に誘って下さって、そこで私は詩「立ちつくすコップ」を朗読させていただいた。その折、俳句を朗読なさった渡辺誠一郎さんに句会に誘われたことが、俳句の世界の扉を開くきっかけになった。高橋順子さんとは、かつては、お手紙でやりとりをしていて、実際にお会いしたのは、バッハホールがはじめてであった。瞳の中に遠く白いワンピースを着た清純な少女が見えた。詩とは、言葉とは、魂とは、何かしら、白いもの、白い鳥のようなものかもしれない。
・凍星を辿りし指の点りけり     とみた 環
炎の最も熱い部分は、赤ではなく、青い色だそうだ。凍星を辿った指先は、途方もなく熱い青に染まっているのだろう。
・復興を祈り雪達磨作らう                酒井 春棋
令和六年元旦早々の能登半島地震には、驚くばかりであった。何故か、地震の折には、雪が降ってくる。雪達磨の可愛らしさが、辛い心を和ませてくれる。
・三日月や匙もてなぞる瓶の縁              田口 鬱金
ふと「月とコーヒー」という小説の世界が浮かび上がった。なぞっている瓶の中には、星屑が入っているのだろうか。
・チューリップほつほつほつと詩嚢かな うにがわえりも
チューリップという花は、幼い頃からずっとチューリップで、無邪気でくっきり並んでいる。中には、ファンタジーの種が詰まっていそうだ。
・ふらここの平らな影の行き戻る   加能 雅臣
鞦韆の影の動きが、メトロノームのようだ。見つめていたら、催眠術にかかってしまうかもしれない。
・花束のやうに寄り添ひ初写真    佐復 桂
なんて麗しく優しい風景であろう。こちらまで、しあわせな空気に包まれた。
・雪もよい教授が骨を折っていた   有川 周志
教授には申し訳ないが、ユーモラスで楽しい句。骨折なのか、骨折りなのか、言葉って不思議である。
・ゆびきりの相手忘れし桜貝     村山 恭子
もしかしたら、とても大切な約束だったのかもしれないが、月に帰ったかぐや姫のように、相手さえも忘れてしまった。桜貝が儚い。
・湖へ浸す手噛みし蟻もろとも    佐藤 涼子
蟻もろとも浸す、作者のエネルギーに感嘆。命の痛みと生々しさを実感。
・迷走がお好き会議も台風も     武田 菜美
まさしく、その通り。一体、どこに向かっているのか不可解なまま、時だけが流れていく。迷走がお好き、のフレーズに、サガンのブラームスはお好きが重なった。
・死ぬ前の景色の続き夢はじめ    渡辺 誠一郎
初夢に見た景色は、死ぬ前の景色。鑑みれば、今まで見た全ての景色は、死ぬ前のものである。夢を見て目覚められるのは、まだこの世に存在するから。作者には、200歳まで生きていてほしい。
・甘酒をグラスに風を家中に     浅川 芳直
グラスの中の、白く甘く濁った甘酒の質感と、すっきりした風の取り合わせがすがすがしい。剣道の達人である作者の、竹刀の一振りから生まれた風のようだ。
・夏蜜柑病むひとは窓辺を愛す    小田島 渚
夏みかん酢っぱし今さら純潔など、という鈴木しづ子の句もあった。夏蜜柑は、溌剌とした太陽のような少女のみならず、病むひとの傍らにもある。エゴン・シーレの絵画の中のオレンジ色も仄かな希望の光のようだ。

⑵酒井春棋選
避難所の犬あやしたり年新た     酒井 春棋(自選)

一面の白より白鳥生まれけり      水月 りの
凍星を辿りし指の点りけり      とみた 環
手から垂れ花束歩歩に照り翳る    田口 鬱金
猫の恋休憩させるおじいかな     うにがわえりも
畳まれし毛布の角のタグ光る     加能 雅臣
花束のやうに寄り添ひ初写真     佐復  桂
手の平と甲で毛布を撫で回す     有川 周志
佐保姫の裾踏むやうな花の雨     村山 恭子
葉柳の風や湖岸のロックフェス    佐藤 涼子
菜を間引く勾玉のごと身を屈め    武田 菜美
青空や母に一つの夏帽子       渡辺 誠一郎
甘酒をグラスに風を家中に      浅川 芳直
冬萌の駅舎泣き止むまで側に     小田島 渚 

⑶有川周志選
アメリカングリルを包む朧月     水月 りの
雲の嶺今泣けと血の巡り来る     とみた 環
断水を終へてコインランドリーの春  酒井 春棋
天井を陽光の這ふ冬の昼       田口 鬱金
シェアうれしたのしや蛍烏賊のパスタ うにがわえりも
筆跡に紋白蝶の匂ふかな       加能 雅臣
ポタージュのこつくり甘き余寒かな  佐復 桂
ゆびきりの相手忘れし桜貝      村山 恭子
絶叫やリストバンドに拭ふ汗     佐藤 涼子
触れ合へば弾ける湯玉猫の恋     武田 菜美
蠕動のわがはらわたのお元日     渡辺 誠一郎
だんだんに祭を前の大通り      浅川 芳直
冬萌の駅舎泣き止むまで側に     小田島 渚

⑷小田島渚選
・いつか撒きし種より今日の春の虹  小田島 渚 (自選)

・どちら側のドアからもうさぎ現れぬ 水月 りの
ルイス・キャロルの「不思議の国のアリス」の冒頭、アリスの前に現れたうさぎは時計を見て慌てて穴に飛び込んだ。そのうさぎを追って穴に飛び込んだアリスは不思議な国へ導かれる。その不思議な国のアリスさながらに、右のドアからも左のドアからもうさぎが飛び出てくる。賑やかさからくるユーモアの裏に批評性の匂いがする。どちらも本物なのにどちらが本物なのか考えてしまう。真偽のはざまにある事象にこそ真意が宿る。
・雲の嶺今泣けと血の巡り来る    とみた 環
今年の第41回兜太現代俳句新人賞佳作を受賞されたとみた環氏。所属する「銀化」の有季定型の骨法を掌握しながら、「•」を使用するなど実験的な作品を発表している。俳句以前に氏の心情の底にあるものは常に逡巡を繰り返しつつ沸点に達していた。だが、俳句と対極にある沸点が俳句と結合されたとき、ただの心情吐露に堕してしまう場合がある。しかし今その脆弱さはこれまでの実験のなかで消化されたように思う。〈蓮骨の折れゆくことも日の情け〉の情けと思う者、〈浦寒し風を呼ぶにも古き名を〉の名を呼ぶ者、〈筒姫やたはむれに切る砂の堰〉の堰を切る者は誰なのか。〈凍星を辿りし指の点りけり〉の指、〈鏡より水面へ移る花衣〉の花衣を合わせて読むとこの世ならざる者を想起させる。加えて〈老梅の彫らば仏や焚かば灰〉〈篠の子の薄暗がりや産屋跡〉の宗教的な物語性が詩情を深めている。
〈雲の嶺今泣けと血の巡り来る〉。氏の作品には故郷に対する複雑な想いが表れることがあるがその一連の一句と言えるだろう。しかし「今泣け」というのは自分の心ではなく、自分を末裔とする血脈であり、さらには雲の峯の奥に棲む形而上的な存在の声なのである。
・雪達磨能登の方角向いてをり    酒井 春棋
昨年福島での現代俳句東北大会でお会いしたご縁でご参加いただいた。今年元日の能登半島地震が詠まれている。日々の活写的な句の中で、被災地への静かな想いだけが響いてくる一句。
・蜂蜜に砂糖こぼるる避暑の朝    田口 鬱金
フレンチトーストやパンケーキに蜂蜜をかけ、さらに粉砂糖をかけているシーンだろうか。避暑の朝とあることから、軽井沢や北海道のリゾート地を思い浮かべる。避暑地とは言え、暑い盛りであるから、糖分に糖分を重ねて滋養をとっているのかもしれない。だがこの句に惹かれるのは、映画的なロケーションと甘さに甘さを重ねる禁忌をおかす危うい甘美さだと思う。
・佐保姫と食ふいなり寿司果ては逗子 うにがわえりも
「寿司」と「逗子」のリフインからなんとなく現実に着地する句。列車の向かい合わせの椅子に佐保姫と座り、車窓を眺めながら一緒に食べたおいなりさんのなんとおいしかったこと。逗子に着くと佐保姫は海風にほどけて消えてしまった。
・筆跡に紋白蝶の匂ふかな      加能 雅臣
今や手書きよりタイプ打ちのほうが正式になってしまったが、それでも手書きの手紙が届くと嬉しいものだ。平安時代に取り交わされた恋文は、使われた紙や墨の濃淡、そして筆跡から送り主の姿を想像し、想いを募らせた。紋白蝶の君とでも名付けたい方からの手紙だろうか。だが、ふと紋白蝶が白紙に鱗粉を使って必死に書いた文字、のような気もしてくる。
・花束のやうに寄り添ひ初写真    佐復  桂
正月に家族や友人などたくさんの人が集まって撮った一枚の写真。フレームに入るように体を寄せ合っているが、寄り添っているのは心同士なのだ。花束とした表現がとてもやさしい。
・丁寧なセロハンテープ冬夕焼    有川 周志
韻文に向いている方というのはいろいろなタイプがあるが、説明できなさに不安を感じずに手放せることも向いているタイプの一つで、有川氏はそういうタイプだと思う。二物衝撃とは違ったまったく説明不足な一句。店で包んでもらった品物をみると、剝がしやすいように端を折ってテープが貼ってあった、とか、一か所でいいのに三か所止めてあったみたいな丁寧さだろうか。物言わぬ透明なセロハンテープのうしろに丁寧な人がいて、冬夕焼の光が薄いセロファインに輝く。丁寧な人を取り巻く一つの世界が立ち上がる。
・ゆびきりの相手忘れし桜貝     村山 恭子
村山氏は俳句研究に熱心な方で、今年、WEB版現代俳句(2月号)現代俳句管見記では、 「『戦争俳句』を考える」を執筆された。子どものころにした指切りは、大人になれば誰とどんな約束をしたのか忘れてしまう。砂浜にある桜貝のふんわりとした色合い。本当は忘れていないけれど忘れたということにしたいのかもしれない。
・吸ひさしの煙草に大蛾焼きにけり  佐藤 涼子
夜の野外、熱狂的なロックフェス。その最中に近くに飛んできて止まった大きな蛾を、ミュージシャンが煙草の火で焼き殺した。というのはいささか絵的に出来すぎな気がするが、ロック的に痺れる「けり」使いである。
・一つ家に違ふ木枯し聞く人と    武田 菜美
木枯らしが吹き荒れる日。同じ時間を過ごし、同じ木枯らしを聞いているはずが、相手には違う木枯らしが聞こえているらしい。長年ともに暮らし、すべてを知り尽くしたかに思われる家人がふと見知らぬ人に見える少しホラーな瞬間。
・一本のナイフ立たせる行々子    渡辺 誠一郎
行々子は、中国大陸から初夏にわたってきて、ウズラをほっそりさせてオリーブ色を足したみたいな姿をしている。「ギョギョシ」となく夏鳥。だからナイフが一本立ってしまう。俳句のミステリーはそのまま余白となって詩情になりうる。
・一人おくれ枯園にきく汽笛かな   浅川 芳直
句集『夜景の奥』(東京四季出版・2023年12月)を上梓し、今後ますます活躍が期待される若手俳人の一人。枯園ときくとすぐ浮かぶのは〈枯園に向ひてカラア嵌む/山口誓子〉だが、近年、〈枯園にてアーッと怒りはじめたる/岩田奎〉が加わった。掲句の枯園はいかにも浅川氏らしい。数年前、俳句は5歳の頃からでもう十分な長さの句歴があるので、句集を出さないのか聞いたことがある。氏は淡々と「もっと作風が整ってから」と答えた記憶がある。とはいえ、周囲に句集を上梓する同じくらい年、あるいは年下の若手もいた。しかし何事も一人遅れても気にしてない。いや気にしているのかもしれないが、真実を取りこぼして遅れていないふりをするより、遅れてこそ聞こえる汽笛を得る大切さを知っているのだと思う。

4 2024年4月30日受付分まで
⑴佐復桂選

一面の白より白鳥生まれけり     水月りの
鏡より水面へ移る花衣        とみた環
初詣人は祈りの姿して        酒井春棋
三日月や匙もてなぞる瓶の縁     田口鬱金
チューリップほつほつほつと詩嚢かな うにがわえりも
ふらここの平らな影の行き戻る    加能雅臣
手の平と甲で毛布を撫で回す     有川周志
佐保姫の裾踏むやうな花の雨     村山恭子
岩魚焼く腹に竹串透けたるを     佐藤涼子
菜を間引く勾玉のごと身を屈め    武田菜美
蠕動のわがはらわたのお元日     渡辺誠一郎
甘酒をグラスに風を家中に      浅川芳直
雉子鳴くや飛び石にある行き止まり  小田島渚

⑵田口鬱金選
・花冷えの人魚には無き足の爪    水月りの
 冷えは身体の末端から伝わってくる。意識は自然と手足の指先に向かう。少しずつ感覚の薄れていく指先は、もともと神経の通っていない爪と似通う。掲句はそんな自らの身体感覚を起点にして、人魚という神話上の生物の身体へと想像を飛躍させる。足の代わりに尾びれを持つ人魚はどのように冷えを感じるのだろうか。幻想的な題材ながら、実感を伴う表現によって読者の身体感覚と他者の肉体への想像力を刺激する見事な句であると思う。

・鏡より水面へ移る花衣       とみた環
 鏡の前で着飾られた晴れ着が、その後、桜で囲まれた湖の水面に映される。この”映る”対象の変化は花衣を着た人間が場所を”移る”ことによってもたらされるものだが、掲句はあえて花衣を主語に据えることで、まるで衣装だけが浮遊するような超現実的な印象を生み出す。ナルキッソスの神話を想起させる鏡と水面の取り合わせは無数の類句がありそうだが、掲句は、映る肉体の不在によってその独自性を確立している。

・初詣人は祈りの姿して       酒井春棋
 祈りの姿とは、単に手を合わせて頭を下げる姿のことではないだろう。参道に列をなし、拝殿にたどり着くまでの間、参拝者は各々の祈りを胸の内に反芻する。神妙な態度になる者や、そわそわと落ち着かない者。胸中の祈りは人それぞれ固有の仕種となって外見に現れる。祈りの姿とは待つ姿のことと思う。その姿に明確な正解はない。掲句は具象性を排することで、読者に各々の”祈りの姿”を喚起させようとしているように思う。

・京焼や想像上のたんぽぽサラダ   うにがわえりも
 調べてみると、たんぽぽサラダは実在するらしい(あるいは谷山浩子のアルバム名か)。葉や茎の部分がメインで、花は飾り付け程度に1,2個といった画像が多い。しかし、”想像上の”たんぽぽサラダは…。私は、こんもりと盛られた黄一色の皿を思い浮かべた。ふわふわの綿毛を添えようと思うひねくれた鑑賞者もいるかもしれない。”想像上の”が効果的だ。華やかな京焼の器と相まって、人工的な美の世界を創り出している句だと思う。

・ふらここの平らな影の行き戻る   加能雅臣
 シンプルな句だが、行って戻る単純な運動こそがこの遊具の本質であることを強調し、その他一切の感傷を排したという点で、優れた写生句であると思う。側面から見れば円運動を行うブランコであるが、その影は直線上を振動し、平らな影の面積も変化するであろう。幾何学的で無機質な魅力を持った句であるが、その単調な減衰運動を観察し続ける主体の姿を想像すると、どこか寂しげな印象を受ける。

・すれ違ふ跣すみずみ砂まみれ    佐復桂
 すれ違う人々の足だけに着目したローアングル。映画のワンショットのようだ。海辺の情景だろうか。跣は複数の海水浴客たちのものだろう。”すみずみ”と詠むことで、人々がみな、踝の上まで海に浸り、濡れた砂浜を歩き回ってきたことが想像される。砂まみれの足という局所的な景を描くことで、海水浴場の活気を換喩的に想起させることに成功している。

・秋の雨微かにうねる椅子の列    有川周志
体育館かどこか、何かの式典だろうか。パイプ椅子が規則的に並べられている。しかし、その椅子の列が微かにうねっていることに気づく。規則的に並べたつもりがずれてしまう椅子。規則を意識しているが故に気づくことのできる些細なずれ。セロハンテープの句など、人間が意図して配置した物体に対する細やかな観察眼は作者の特徴の一つだと思う。

・春の月野良猫集ふ六丁目      村山恭子
 月夜に集まる野良猫たちの集会、と聞けば誰もがどこかで遠い昔にそんな絵本を読んだような…という気持ちになるのではないだろうか。どこかノスタルジックな気持ちにさせられる一句である。掲句の魅力は下五にあると思われる。1でも2でもなく6丁目と示されることで、野良猫たちのお伽話の世界に広がりがもたらされる。

・湖へ浸す手噛みし蟻もろとも    佐藤涼子
 蟻を殺す句と言えば加藤楸邨の<蟻殺すわれを三人の子に見られぬ>が思い浮かぶが、楸邨の句が一方的な虐殺であるのに対して、掲句は蟻との交戦である。とは言え力の差は歴然であるため、一方的な虐殺とそう変わらない。掲句と楸邨の句を決定的に分かつのは物理的な痛みの有無である。この痛みの有無で背徳感の味わいは異なるように思う。

・触れ合へば弾ける湯玉猫の恋    武田菜美
 湯が沸騰するとともに湧き上がってくる泡。無数の泡は一つになろうと触れ合うが、触れ合った途端に弾け飛んでしまう。猫も恋する春の日々は、人々もどこか浮足立っている。熱と恋、泡と恋人達との類比を17音の中に上手く収めた名句だと思う。

・一本のナイフ立たせる行々子    渡辺誠一郎
 行々子はその名前通り、ダミ声でギョッギョッと鳴くという。ナイフを立たせるという奇行と、激しく奇妙な声で鳴く鳥。何ら関係のない2つの事物の間を綱渡りで歩くような、狂気すれすれの真夏の精神の緊張状態が、説明不可能な形で立ち上がってくる奇句である。

・デザートの枇杷の褐変昼深し    浅川芳直
 官能的な句だ、と思う。皮を剝かれた果実が傷んでいく様が官能性を帯びるのは当然だが、真昼間に食べるデザートの贅沢さ、それが褐変するほどの時間経過を許す余裕が、官能性を増幅させる。甘く気怠い夏の昼の空気を一顆の果実に凝縮したかのような一句。

・馬の背の御降白くうちけぶる    小田島渚
 新年の祝福の雨が馬の背を打ちつけ、そこからほんのりと白い靄が立ち込める。縁起の良い光景だが、峻厳な光景でもある。この馬は単なる写生の対象ではなく、秋風に歩まされる鶴のような、主体が乗り移った象徴としての馬であろうと思う。馬の力強さを引き立てる荘重な調べが、読者の心をも奮い立たせるかのようである。

4 2024年5月3日受付分まで

渡辺誠一郎選
線路脇風葬のごと泡立草       水月 りの
雲の嶺今泣けと血の巡り来る     とみた 環
初日記なゐのことから始まりぬ    酒井 春棋
天井を陽光の這ふ冬の昼       田口 鬱金
菰巻を迫り上がりたる朝日かな    うにがわえりも
自走する柩を先に告天子       加能 雅臣
月待つや横笛の穴探りつつ      佐復  桂
三日月や水たまりからタイヤ痕    有川 周志
佐保姫の裾踏むやうな花の雨     村山 恭子
吸ひさしの煙草に大蛾焼きにけり   佐藤 涼子
雨脚に絡む雨脚太宰の忌       武田 菜美
甘酒をグラスに風を家中に         浅川 芳直
夏蜜柑病むひとは窓辺を愛す     小田島 渚

5 2024年5月11日受付分まで

武田菜美選
蜩や水に名のつく淋しさよ     水月 りの
よもや末期の水ではあるまいと思いつつも、蜩の声の儚さを重ね合わせてしまう。
・浦寒し風を呼ぶにも古き名を    とみた 環
たとえば陸奥国の歌枕なら、松島湾を千賀浦と呼ぶことを踏まえれば、風の名もそれにふさわしく古い名前で。「土佐日記」の「朝ぎたの出でさきに」のように。
・冬萌や回復しつつある父と     酒井 春棋
日だまりの枯草のなかに早くも緑の草の芽を見つけた喜びが回復への期待と重なる。
・御降を見てゐれば湯の沸きにけり  田口 鬱金
元日をゆったり過ごしている非日常的な時の流れが心地よく響く。いつもなら見過ごしてしまう雨粒や雪を眺めるゆとりこそが幸せということ。笛吹きケトルに呼ばれるまでの一刻。
・低音部うぐひす餅に教へけり    うにがわえりも
コーラスの指導中。鳴かず飛ばずのうぐいす餅ならぬいささか手の掛かる低音部に手を焼いている。
・ふらここの平らな影の行き戻る   加能 雅臣
人が降りた後もややしばらく揺れ続けているぶらんこの影。平らな影が無聊をさそう。
・すれ違ふ跣すみずみ砂まみれ    佐復  桂
SUの音のリフレインを楽しみつつ、海水浴場を歩く脚々々を思わせるテクニック。
・丁寧なセロハンテープ冬夕焼    有川 周志
書類を発送する作業中。なかにはやたらと丁寧に封をする人もいて、「早くしないと日が暮れてしまいますよ」と気を揉んでいる。消えそうな冬夕焼を見ながら。
・ゆびきりの相手忘れし桜貝     村山 恭子
幼稚園のままごと遊びで、大きくなったらお嫁さんになってあげると約束したような気もするけど、お相手の顔が思い出せない。抽斗の奥から出てきた桜貝を見ながらため息をひとつ。
・吸ひさしの煙草に大蛾焼きにけり  佐藤 涼子
小さな煙草火を押しつけられた大蛾の中途半端な死の苦しみが痛ましい。煙草火の痛みに耐えているのは作者の心のように思われる。
・蠕動のわがはらわたのお元日    渡辺 誠一郎
めでたくもあり、めでたくもなしの達観とも受け止めることもできますが、生物としての人間を的確に言い切って心憎いばかり。
・春の水眼が遡り遡り        浅川 芳直
川の流れを見ての句と直感。普通は流れを追って、下流へ下流へと視点を移すのであろうが、上流へ上流へと眼を移しながら、対岸の木々の芽吹を蘆牙をと眺めて春を喜んでいる。
・いつか撒きし種より今日の春の虹  小田島 渚
虹の種があるんだと驚き、更にいつ撒いたのかを忘れる程に地中で眠って発芽するという発想に心ひかれる。春の虹は初虹の傍題。発芽のうれしさもひとしお。


■仙臺俳句会2024
仙臺俳句会2024(10句合同作品集)|仙臺俳句会(せんだいはいくかい) (note.com)

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