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【2021.6.5更新】一句選集(仙臺俳句会2021)*一句選募集しております。

 ご参加者に全作品から1句選(選評は任意)をしていただきました(敬称略・受付順)。

 ご参加者以外からも1句選(選評は任意)を募集しております。方法は、全作品の各作品10句から1句を選び、下記メールアドレスまでメールください(書き方は本記事掲載の形式をご参考になさってください)。いただいた1句選は、本記事に更新していきます。
〈送信先:sendaihaiku★gmail.com(★を@に変えて)〉
※全作品でなくてもいいです。1句から受付けます(2021/5/22補記)


1 令和3年5月8日まで受付分

⑴ 久眞 選
・さよならは風船を手放すやうに    久眞(自選句)

 この数十年生きてきて「心を尽くせた別れ」をできた試しがありません。結局そうやって生きていくのかなと。懺悔と諦めの一句。

牛乳に磨く床板涼新た         佐藤 涼子
トンネルの両端で待つ黄落期      あさふろ
蜘蛛の囲の雨粒一つづつに空      小田島 渚
くしゃみして極悪非道人となる     水月 りの
神の名にルビを建国記念の日      武田 菜美
西瓜食ふ西瓜ならざるところまで    夜行
心音のやうに震へて石鹸玉       𠮷沢 美香
春袷姉の馴染まぬ母の数珠       渡辺 誠一郎
鷹一羽立ち水平線は歪む        小田 桐妙女
薄墨を雪の濡れとふ良寛忌        恩田 富太
この滝は多分静脈だと思う       うにがわえりも
宿題は「たのしいえんそく」てふ日記  緋乃 捨楽
星降るや山に漲る星の息         浅川 芳直

⑵ うにがわえりも 選
白地図の県境を濃くなぞる夏      久眞
ボーカル還暦トレンチコート真紅なる  佐藤 涼子
避雷針の空より紋白蝶軋む       あさふろ
ふたり籠もるならあぢさゐの毬のなか  小田島 渚
右足の爪先痛みレノンの忌       水月 りの
その奥の淫祠を覗く草いきれ      武田 菜美
西瓜食ふ西瓜ならざるところまで    夜行
心音のやうに震へて石鹸玉       𠮷沢美香
思いっきり汚してみたき春の川     渡辺 誠一郎
雛祭り鯛の目玉を舐めてをり      小田 桐妙女
しらたまに坐りよき匙授けたる     恩田 富太
破られし鼓膜に遠足の点呼       緋乃 捨楽
曼珠沙華吹き残されて茎二本      浅川 芳直

⑶ 浅川 芳直 選
白地図の県境を濃くなぞる夏      久眞
湿りたる燐寸擦る香や巴里祭      佐藤 涼子
蛇動くおのれのこゑをのみながら    あさふろ
蜘蛛の囲の雨粒一つづつに空      小田島 渚
マスクせし嘆きの人魚さくらんぼ    水月 りの
神の名にルビを建国記念の日      武田 菜美
日めくりに説教がある海の家      夜行
心音のやうに震へて石鹸玉       𠮷沢 美香
女体からもっとも近い熱帯魚      渡辺 誠一郎
裘わたしのなかにゐる少女       小田 桐妙女
しらたまに坐りよき匙授けたる     恩田 富太
本州は目をとじている潮干狩      うにがわえりも
遠足の自由時間に増える痣       緋乃 捨楽

⑷ 小田島 渚 選
・呼ぶこゑの青葦のさざ波に乗る    小田島 渚(自選句)

但馬皇女(たじまのひめみこ)は天武天皇の皇女で、穂積皇子との逢瀬を描いた〈人言を繁み言痛み己が世に未だ渡らぬ朝川渡る(万葉集巻2 116番)〉という情熱的な一首が万葉集に残されています。物語を描くのではなく、その想いそのものの連作として試みました。

・さよならは風船を手放すやうに    久眞
手放した風船が空へ上っていくのは寂しさがあり、そして青空の高みへ行くことの憧れがある。「さよなら」という詩的な言葉を使って俳句として成り立たせている。
・バトミントンのけぞり打ちや春来たる 佐藤 涼子
「のけぞって打つ」を「のけぞり打ち」という造語で捉えるは澤調なのかもしれない。「来たる」とさらに動作が畳みかけるのに忙しくなく、バトミントンの様子がいきいきと描かれている。
・蛇動くおのれのこゑをのみながら   あさふろ
卵を丸呑みにするように、蛇が自分の声を呑みながら前に進んでいる。蛇に声はないと思うが、自問の声だろうか。自身の言葉が自身を育てていくような暗喩にもとれる。
・菫程の小さき人と待ち合わせ     水月 りの
〈菫程の小さき人に生まれたし/夏目漱石〉の本歌取り。「待ち合わせ」とされるとあらためて漱石のなりたかった「菫程の小さき人」とはどんな人なのだろうと考えてしまう。漱石の句には一見謙虚さが漂うが、掲句の菫程の小さき人は何ものにも捉われない自由な人に思えてくる。
・でんでら野母喰鳥を眠らせず     武田 菜美
「でんでら野」は「死者の魂が行くところ」であり、「母喰鳥」は「ふくろう」のこと。遠野物語の一場面のような怖ろしさがある。
・西瓜食ふ西瓜ならざるところまで   夜行
西瓜の白い部分はあまり美味しくないので残したら、戦前生まれの方に「白いところまで食べなさい」と言われたことがある。その白い部分を「西瓜ならざるところまで」とした把握が上手い。
・心音のやうに震へて石鹸玉      𠮷沢 美香
そう言えば、石鹸玉は生まれてから消えるまでずっとかすかにふるえている。その震えを「心音」という音でとらえた感覚の冴え。
・虚空淋しく梟の血を思う       渡辺 誠一郎
虚空は言わずとも淋しさに満ちている。ゆえに思う「梟の血」とはいかなるものだろうか。賢者の象徴ともされる梟にとって、虚空とは、叡智が無限に広がる、可能性の領域なのかもしれない。
・鳥交みながら翼を探してゐる     小田 桐妙女
鳥であるから翼は持っているのであるが、交むことには互いに埋まらない何かを探し求めているところもあるように思う。
・しらたまに坐りよき匙授けたる    恩田 富太
子どもに渡したのだろうか。「匙」だけで描写をとめず、「授けたる」と大仰に言ってみせるところがやさしくて、心温まる一句。
・解脱した者から胡瓜もいでこい    うにがわえりも
作者がわかると小学校の生徒たちに本当に言った言葉かもしれない。解脱とは「テストが解けたら」とかそんなところだろうか。大喜びで胡瓜をもぎに行く子どもたちの背中が見えてきそう。
・遠足のジュースに集る羽虫かな    緋乃 捨楽
遠足とはいかにも楽しい行事だが、楽しくない子どもいるのだ。そういう心の屈折が描かれた10句。ジュースに蟻がたかるという場面だけを描写した、心情を抑えた掲句は、みんなとはしゃぎまわらず、地面に視線を落としている子どもの姿がみえてきて、もっともその想いを伝えてくる。
・夜を鎮め鎮め蛍火湧きあがる     浅川 芳直
夏の暑さのある暗闇に一気に湧き上がってくる螢には、ぎりぎりまで溜め切ったところに湧き上がる、万葉集的な現代人には感じることのできない純粋な情熱を感じる。浅川氏らしい一句。

⑸ 𠮷沢 美香 選
星を呼ぶ呼吸なりけり水温む       𠮷沢 美香(自選句)

あの群はきつと教員梅雨寒し       久眞
おはじきに気泡光れる薄暑かな      佐藤 涼子
手のひらに孵らぬ卵昼寝覚む       あさふろ
ふたり籠もるならあぢさゐの毬のなか   小田島 渚
くしゃみして極悪非道人となる      水月 りの
ぽつてりと日の没みゆく桃の花      武田 菜美
教室に知らぬ亀ゐる休暇明        夜行
春袷姉の馴染まぬ母の数珠        渡辺 誠一郎
鷹一羽立ち水平線は歪む         小田 桐妙女
しらたまに坐りよき匙授けたる       恩田 富太
この滝は多分静脈だと思う        うにがわえりも
遠足や弁当隠すやうに食ふ        緋乃 捨楽
去年の雪ざつとこぼして神樹あり     浅川 芳直

⑹ 恩田 富太 選
・六個入る箱の歪みて太鼓焼       久眞
六個入の箱が太鼓焼の湯気で歪んでしまった。シンプルな書かれ方ながら、映像の拾い所が冴えています。中の太鼓焼自体の形も既にくたびれていて、ふにゃりと心許ない感触が。
・春風やエチルに拭きて献花台      佐藤 涼子
この一年で、アルコールや塩素の臭いが日常化しました。春風の添加香料のように甘く臭うエチルは、季語の情趣に干渉して、その献花台のあり様を不穏にさせます。)
・石蹴りて雲の峰より石の声       あさふろ
奇想。蹴った石が空間を跳躍する速さ、勢いが楽しい。視覚から聴覚への切り替わりの速さも魅力。奇想を読者の共感に繋げるために、活動的な夏の季感が生きています。
・くらやみの口づけ野遊びの匂ひ     小田島 渚
“くらやみの口づけ/野遊びの匂ひ”この切れに時間の隔たりを読みます。例えばその恋人は、かつて野遊びをした幼馴染であるのか。闇に視覚を奪われながら、眼裏には互いの少年期が映っている。
・まだ消えぬ線香花火と赤い靴      水月 りの
見下す視線には、線香花火に照らされた赤い靴。暗闇を額縁のようにして、黄、橙、赤と、色彩の印象が強い句。「まだ消えぬ」はいつか消えることの裏返し。これを詠んだ時すでに、はじける音も光も、靴の赤も消えており、その寂しさの中に作者は居るのではないでしょうか。
・神の名にルビを建国記念の日      武田 菜美
そもそもが史実に基づく建国日ではなくて、神話を引用した建国の記念日。その神話を読み返して、馴染みの無い神の名にルビを振る。この国の神の概念との緩やかな繋がり。そうして休日を過ごしているという、穏やかな空気感があります。
・日めくりに説教がある海の家      夜行
いつ頃からか、飲み屋のトイレ、ラーメン屋の壁、どこにでも説教(自己啓発的な)があります。この句では、海の家にもそれがあったとだけ報告し、可とも否とも言わないドライな書き振りが良いのです。
・寝袋のほつれ三月十二日        𠮷沢 美香
「三月十二日」は何を表すのか。忘れ難い三月十一日の翌日ですから、そう読ませていただきます。「寝袋」は記号のように避難生活の記憶を呼び覚ます。一年以上の長い避難生活であったのか、周年の翌朝に、寝袋のほつれに気付いたのか、あるいは愛用の寝袋なのかもしれません。僕自身、中越地震で使った寝袋を今もアウトドアで使い続けています。
・思いっきり汚してみたき春の川     渡辺 誠一郎
雪溶けの勢い、輝かしさ、清らかさ。そういった春の川の情趣から想起される、陽性の事柄に反した詩的な倒錯。「春愁」が底流するかもしれません。
・雛祭り鯛の目玉を舐めてをり      小田 桐妙女
雛祭りの御祝いに、お頭つきが出されるということもあるのでしょう。少し不行儀な感じが、余計に可愛らしいという年頃。それとも、ある年齢になって擦れた感じ。
・永日や看板のない養鯉場        うにがわえりも
僕の住む長岡市は錦鯉の産地です。大きな看板を建てて観光然とされるよりも、棚田にある池なんてものに雰囲気があるのです。日が長くなり暖かで、鯉もよく肥るでしょう。
・宿題は「たのしいえんそく」てふ日記  緋乃 捨楽
一句を読むのではなく、連作中の主題として。大人がよかれと思って言う、定型的な健全さの惨さ。あるいは事勿れの空虚さ。結びの句、“家には帰れぬ遠足は終はらぬ”は、幼少期の記憶が未だ重く心に残るかのようでもあります。
・去年の雪ざつとこぼして神樹あり    浅川 芳直
淑気の中に、飾り気の無い神樹の佇まいの潔さ。「ざっとこぼす」にはそうした気分があります。あまり格式張るのでなく、村の鎮守への親しい参拝という風。

⑺ 緋乃 捨楽 選
さよならは風船を手放すやうに      久眞
湿りたる燐寸擦る香や巴里祭       佐藤 涼子
避雷針の空より紋白蝶軋む        あさふろ
蜘蛛の囲の雨粒一つづつに空       小田島 渚
まだ消えぬ線香花火と赤い靴       水月 りの
その奥の淫祠を覗く草いきれ       武田 菜美
八月の浜にしみこみゆくくらげ      夜行
心音のやうに震へて石鹸玉        𠮷沢 美香
ががんぼの足一本を持ち歩く       渡辺 誠一郎
蜥蜴出づ買つた覚えのない帽子      小田 桐妙女
骨上げの眼窩に見よや冬の虹       恩田 富太
解脱した者から胡瓜もいでこい      うにがわえりも
夜を鎮め鎮め蛍火湧きあがる       浅川 芳直

⑻ 小田 桐妙女 選
・裘わたしのなかにゐる少女       小田 桐妙女(自選句)
わたしのなかにゐるシリーズはわりと詠んでいるが、裘がいいかなと。

・ほどほどのずるさアネモネ揺れてゐる  久眞
ほどほどのずるさ、のほどほどがいい。アネモネが好きなのでどうしてもアネモネの句を抜いてしまう。 
・おはじきに気泡光れる薄暑かな     佐藤 涼子
昭和の私は、おはじき、お手玉…だけでグッとくる。光っている気泡も目の前にあるかのようだ。薄暑がまた懐かしさを誘う。
・蛇動くおのれのこゑをのみながら    あさふろ
中七から下五の平仮名がいい。蛇の声を聞いたことがないのは蛇が呑み込んでしまっているからなのか?蛇動くは、動かなくてもいいような気もする。
・ふたり籠もるならあぢさゐの毬のなか  小田島 渚
一見ロマンティックに思えるが、ふたりで籠もるという行為は淫靡である。あぢさゐの色が変わっても、ふたりそのままでいてほしい。
・右足の爪先痛みレノンの忌       水月 りの
右足の爪先の痛みとレノンの忌とのつながりはよく分からないが、綺麗にまとまった一句だと思う。
・兜煮の目玉をせせり台風圏       武田 菜美
目玉を「せせる」がいい。私の拙い句は、目玉を舐めている。せせるのほうが断然いい。台風圏と兜煮の取り合わせも、いい。
・教室に知らぬ亀ゐる休暇明       夜行
休み明けの教室に知らない亀がいるのが面白い。どんな亀なのか想像してしまう。
・星を呼ぶ呼吸なりけり水温む      𠮷沢 美香
「星を呼ぶ呼吸」がいい。水と星は切っても切れない関係にある。
・思いつきり汚してみたき春の川     渡辺 誠一郎
スカッとする句。こんな気分の時あるよなあと。春の川ならなおさら。
・吾子に指生え初むるころ花苺      恩田 富太
かわいい一句。吾子と花苺が素直でいい。
・解脱した者から胡瓜もんでこい     うにがわえりも
乱暴な言い方が面白い。もいでくるのが胡瓜なのもいい。
・家には帰れぬ遠足は終はらぬ      緋乃 捨楽
家には帰れぬではなく、帰りたくないのかな。ずっと遠足のままでいい。
・夜を鎮め鎮め蛍火湧きあがる      浅川 芳直
鎮め鎮めのリフレインがよく、そこから湧きあがる蛍火の生命力の強さに希望を感じる。

⑼ 夜行 選
・あの群はきつと教員梅雨寒し      久眞
校外だろう。学期末でもない梅雨の時期に教員の群れを見ることはかなり珍しい感じがする。梅雨寒しに不穏さがにじむ。
・おはじきに気泡光れる薄暑かな     佐藤 涼子
おはじきに閉じ込められた気泡の美しさと薄暑光が穏やかに響き合う。
・蛇動くおのれのこゑをのみながら    あさふろ
蛇の無口なイメージの大胆に喩えた。ずるずるという蛇の這う音を聞き、呑まれた声に思いを馳せる。
・小国はつるぎも核もなく春夜      小田島 渚
積極的な武器を持たない小国。春夜のぬるさや湿っぽさは平和か、不穏か。
・まだ消えぬ線香花火と赤い靴      水月 りの
童話『赤い靴』の踊り続ける少女のイメージと重なって、この「まだ消えぬ」からはよろこびというより不気味な印象を受ける。線香花火の儚さはともすれば潔さかもしれない。
・神の名にルビを建国記念の日      武田 菜美
建速須佐之男命とか伊邪那岐とか、神の名前は難しい。建国記念日に畏敬の念を持ちつつルビを振るのだろう。
・夢のすべての匂ひ膨らむ蝶生る     𠮷沢 美香
夢で感じた幻の匂いが膨れてゆく、その虚構の美しさの中から蝶が生まれる。羽化するときの蛹の膨らみとも呼応します。
・ががんぼの足一本を持ち歩く      渡辺 誠一郎
ががんぼを捕まえた子どもが気付けば足のみになっていた、と読んだ。ががんぼのもろさ、作中主体の残酷さ、無邪気さが伝わる。
・雛祭り鯛の目玉を舐めてをり      小田 桐妙女
ひな祭りの伝統的な少女のイメージから一転、鯛の目玉を楽しむ粋な人物が現れる。子を見守る親だろうか。ひな祭りを楽しんだかつての自分を思い出しながら、鯛の目玉に興じているのかもしれない。
・吾子に指生え初むるころ花苺      恩田 富太
胎児の持つ原初の手から水かきが少しずつ消え、指の形が見えるようになった。胎児の成長を見守り続けるまなざしに苺の花が可憐に揺れる。
・この滝は多分静脈だと思う       うにがわえりも
ひっそりと静かな滝を思う。この人物が見た「動脈」の滝も想像される。
・遠足は製糸工場うすぐもり       緋乃 捨楽
遠足という名の社会見学か。子どもからすると拍子抜けかもしれない。
・水底を泥膨れくる植田風        浅川 芳直
田んぼの景と読んだ。陽に照らされて田んぼの底から泡が上がってくる。泥が膨れるという見事な写生。そこに田植えのころの清々しい風が吹く。

2 令和3年5月9日まで受付分

⑽ 水月 りの 選
さよならは風船を手放すやうに      久眞
古書市にディランの詩集鰯雲       佐藤 涼子
避雷針の空より紋白蝶軋む        あさふろ
蜘蛛の囲の雨粒一つづつに空       小田島 渚
くしゃみして極悪非道人となる      水月りの(自句)
ぽつてりと日の没みゆく桃の花      武田 菜美
西瓜食ふ西瓜ならざるところまで     夜行
心音のやうに震へて石鹸玉        𠮷沢 美香
ががんぼの足一本を持ち歩く       渡辺 誠一郎
雛祭り鯛の目玉を舐めてをり       小田 桐妙女
薄墨を雪の濡れとふ良寛忌        恩田 富太
たんぽぽに突っ込む電動車椅子      うにがわえりも
家には帰れぬ遠足は終はらぬ       緋乃 捨楽
夜を鎮め鎮め蛍火湧きあがる       浅川 芳直

⑾ 佐藤 涼子 選
学級旗に並ぶ似顔絵春夕日        久眞
手のひらに孵らぬ卵昼寝覚む       あさふろ
くらやみの口づけ野遊びの匂ひ      小田島 渚
右足の爪先痛みレノンの忌        水月 りの
神の名にルビを建国記念の日       武田菜美
かき氷ひとさじフェリー近づき来     夜行
花形のソープの泡に冬来たる       𠮷沢美香
箒木の影なきところ水をやる       渡辺 誠一郎
鷹一羽立ち水平線は歪む         小田 桐妙女
吾子の指生え初むるころ花苺       恩田 富太
たんぽぽに突っ込む電動車椅子      うにがわえりも
遠足のレジャーシートの余白かな     緋乃 捨楽
土を乾すビニルの端を蜥蜴の尾      浅川 芳直

3 令和3年5月10日まで受付分

⑿ あさふろ選
・笑ふこと弔ひとなり春の雷          久眞
ここでは「笑ふこと」と「雷」とが、どこか一致しているように感じます。そしてそれが「弔ひ」であるという事に、深く胸打たれました。春の、季節が移りゆく刹那を、哀惜とともに捉えた一句だと思いました。
・おはじきに気泡光れる薄暑かな      佐藤 涼子
ガラス製品に入る気泡。このおはじきはガラスで出来ていて、形のやや不揃いのものでしょうか。新しい季節の無形の光と、気泡として留まり続ける懐かしい光との混淆に痺れます。
・でんでら野母喰鳥を眠らせず       武田 菜美
「でんでら野」の意味を初めて知りました。「でんでらのふくろうをねむらせず」と十五音。眠れない母喰鳥と、おそらくその母喰鳥によって眠れない己。それは字足らずでしか表現されないという事かも知れません。
・西瓜食ふ西瓜ならざるところまで     夜行
一枚の写生というより、一本の動画の撮影を十七音にきっちり収めた、とてもうまい一句だと思いました。
・夢のすべての匂ひ膨らむ蝶生まる     𠮷沢 美香
連作の十句目。上五中七は前九句すべてを受けて詠まれているように感じます。掲句には一句に収まりきらない情趣があふれ、それが、いわば臨月をむかえているように感じて、取り上げずにはいられませんでした。
・足生えて歩き出す岩はたた神      小田島 渚​
花鳥風月ではなくて地水火風を詠んだ一句。型破りの力強さを感じます。
・くしゃみして極悪非道人となる      水月 りの
四字熟語に人をつけた、一種の造語でしょうか。開き直りを感じます。ユーモアの源。
・此処もまた翁の半途さみだるる      恩田 富太
「此処もまた」ということは、他にも「翁の半途」があったということだろう。作者はその地点に至る度に句を詠み、そうやって、この連作が生まれたのかもしれない。「さみだるる」から、この途が始まりも終わりも定かならぬ、果てしないものであると、作者(作中主体)が感じていることがうかがえます。
・永日や看板のない養鯉場        うにがわえりも
看板がないのは看板をつける必要がないからでしょうか。世知辛い競争から距離がある、長閑な感じがします。大中小とりどりの鯉がのびのび暮らしているようなさまを思い浮かべました。
・古雛の舌を見せ合ふ刻のあり       渡辺 誠一郎
「古雛」が隣同士で互いの舌を見せ合い、確かめ合っているのでしょうか。まだ新しい雛には負けていないことを。
・羊日の寝床から数あふれだす 小田桐砂女
羊が一匹羊が二匹の羊たちがあふれ出してきたのでしょうか。この羊たちは、数字の書かれたゼッケンを付けているのかもしれない。ゼッケンを外してやっている手つきが見えたような。羊が空へ帰っていくような。
・遠足は製紙工場うすぐもり          緋乃 捨楽
十句から一句だけ取り出すということのできない連作。この遠足が晴れ晴れしたものではないことが既に表れています。行き先も変。
・星降るや山に漲る星の息         浅川 芳直
上五の星と下五の星は同じ星なのだろうか。後者は地球のことではないだろうか。出現しては消滅する流星を間近にして、地球は、おのれも星であるということを思い出しているのかもしれない。

3 令和3年5月11日まで受付分

⒀ 渡辺 誠一郎 選
虚空淋しく梟の血を思う         渡辺 誠一郎(自選句)

さよならは風船を手放すやうに      久眞
水泳帽かぶり寄り目となりにけり     佐藤 涼子
避雷針の空より紋白蝶軋む        あさふろ
蜘蛛の囲の雨粒一つづに空        小田島 渚
菫程の小さき人と待ち合わせ       水月 りの
その奥の淫祠を覗く草いきれ       武田 菜美
日めくりに説教がある海の家       夜行
春眠は羽毛転がるやうにかな       𠮷沢 美香
雛祭り鯛の目玉を舐めてをり       小田 桐妙女
蓮の骨これを見頃と言はれをり      恩田 富太
この滝は多分静脈だと思う        うにがわえりも
遠足の集合写真の薄笑ひ         緋乃 捨楽
夜を鎮め鎮め蛍火湧きあがる       浅川 芳直

4 令和3年5月17日まで受付分

⒁ 武田 菜美 選
・風騒の種を宿して枯野原        武田 菜美(自選句)

・ほどほどのずるさアネモネ揺れてゐる  久眞
アネモネはギリシャ語で「風の娘」の意味とか。アイカラーにマスカラで目元をフル装備したような花の色と人の心を玩ぶ風の娘が結びついて「ほどほどのずるさ」の措辞となったようだ。
・湿りたる燐寸擦る香や巴里祭      佐藤 涼子
そもそも国王を断頭台に送った血生臭い革命記念日が昭和初期の映画の原題「七月十四日」の邦訳の妙によって姿を変え、はては季語にまで昇格、言葉のマジックと湿った燐寸で無理遣り火をつける行為、そしてマッチの発するノスタルジックな匂いの取合せが絶妙。
・トンネルの両端で待つ黄落期      あさふろ
トンネルの入り口が過去ならば、出口は未来、どちらを見ても黄落期イコール人生の黄昏というアイロニー。
・眼に海の深さを戻す冷し馬       小田島 渚
 飼主に全幅の信頼を寄せる馬の眼の中に深海の静けさを発見した繊細さが魅力。厳しい労働から解放される一時。人も同じように静かな目差しで馬を見つめているに違いない。
・右足の爪先痛みレノンの忌       水月 りの
レノンの死からはや四十年。訃報を知った日の心の痛みも年月とともにうすれてきたというものの右足の爪先にいまだに残っている。そしてこの痛みは決して消える事はないと確信している。
・教室に知らぬ亀ゐる休暇明       夜行
夏になると校舎をテーマにした怪談が語られるように、学校、教室は、実はミステリアスゾーンのように思われてならない。生徒のいない夏休の間に摩訶不思議な事が起こったに違いない。誰が何処から連れてきた亀なのか。亀は千年の命と言われるが、何十年もの間、何万もの子供の心の軌跡を見てきた校舎の化身かもしれない。
・心音のやうに震へて石鹸玉       𠮷沢 美香
人の呼気によって命を吹き込まれた石鹸玉なので、心音・鼓動も一緒に移っていくに違いないという発見が新鮮。
・古雛の舌を見せ合う刻のあり      渡辺 誠一郎
夫婦雛よりも仰々しく内裏雛とあがめられて他人行儀に並んでいる一対。さて人の寝落ちた闇の中ではどう過ごされているのか。その白いお顔をちらりと見せる赤い舌の取合せが妙に艶やかに感じられる。大人のための雛祭。
・羊日の寝床から数あふれだす      小田 桐妙女
正月四日目の羊日と眠りにつく前のおまじない「ひつじが一匹・ひつじが二匹」を取合せた遊び心が楽しい。人生をかえりみて何匹のひつじを数えてきたことかと考えさせられる。
・吾子に指生え初むるころ花苺      恩田 富太
まだ見ぬ我が子の成長を思う親心を男性の目で詠めばこうなるのかと息を呑んだ。産む身と産まぬ身の身の違いを考えることもなく、世に送り出した我が子はすでに四十を超えている。花苺の白さが女の子なのかなと思わせる。
・たんぽぽに突込む電動車椅子      うにがわえりも
車椅子を利用する身に、冬は行動の制約が多く、春野到来を待つ想いは一入と思われる。この突込むは操作ミスではなくて、春をよろこぶ思いの発露に違いない。たんぽぽの黄色がやわらかく受け止めてくれるはず。
・遠足や弁当隠すやうに食ふ       緋乃 捨楽
遠足イコール楽しい一日とは誰が決めたのかと考えさせられる。一人離れて食べたい弁当を無理に車座になって食べなければならない理不尽に納得。
・水底を泥膨れくる植田風        浅川 芳直
活着期の苗のエネルギーを泥が膨らむと見た発想が、瑞穂の国に生まれた喜びをしみじみと感じさせてくれる。土と水と風の力を得て育ってゆく稲を見守る視線が行き届いている。

5 令和3年6月5日更新

⒂滝(主宰成田一子氏)2021年6月号にご紹介いただきました。
眼に海の深さを戻す冷し馬        小田島 渚
古雛の舌を見せ合う刻のあり       渡辺 誠一郎
吾子に指の生え初むるころ花苺      恩田 富太
日の射せば表裏が生まれ花芒       浅川 芳直



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