見出し画像

仙臺俳句会2020 一句鑑賞

どなたからも求められたわけではありませんが、全作品から一句ずつ鑑賞文を書かせていただきました。自句をどうしようと思っていましたところ、ちょうど水月りのさんからショートメールでご感想をいただきました。
ツイッター(ましろなぎさ@masironagisa)にアップしておりましたが、こちらにもアーカイブとしてアップいたします。
                           小田島 渚

(前半 2020年7月28日にツイート)
【仙臺俳句会2020から一句】
兵役のあいだ女は雁飛ばす/「ファウスト」髙橋小径(短歌人)
普段は日常から詩情をすくいとった短歌を作られているが、俳句になると日常からまったくはなれた発想と世界観に。女が飛ばす「雁」は季語の本意に新たな可能性を与えている。

【仙臺俳句会2020から一句】
氷晶や螺旋でできているわたし/「思春期 ― wild tour」久眞(いつき組)
螺旋とはDNAのことかもしれないが、遥か遠くからつながる生物学的な構造だけでなく、句群から少年少女のはつらさや若さゆえのアンニュイさ、そういった心の成長のうねりにも思える。


【仙臺俳句会2020から一句】
水漬きたる家に朝刊秋澄めり/「春来たる」佐藤涼子(澤・蒼海)
第一歌集『Midnight Sun』で心えぐる震災詠を綴った作者。句群から台風被害のすさまじさが伝わってくる。浸水した家に届いた朝刊は、ささやかな日常の光である。「秋澄む」に悲しさが滲む。

【仙臺俳句会2020から一句】
地の果ての桜とショパンの心臓と/「ショパンの心臓」水月りの(小熊座)
ショパンの心臓は、ワルシャワの聖十字架境界の柱に埋葬されている。祖国に戻ることが叶わないまま、39歳の短い生涯を閉じた。「革命」「英雄ポロネーズ」のような激情と華やかさが一体となった名曲が聞こえてくる。


【仙臺俳句会2020から一句】
真葛原姉の壊れた土人形/「秋の句」渡辺誠一郎(小熊座)
土人形は、素焼きに胡粉をかけて泥絵具で彩色をした人形で、東北であれば堤人形が有名である。姉は霊的な先見と強固な意思を感じさせ、土人形は欠けたのか、ひび割れたのか、呪術の占いのようで、真葛原が覆うその一帯は何か不穏な空気を帯びて存在感を増していく。

【仙臺俳句会2020から一句】
夏兆すメビウスの輪に地平見え/「初冬の時計」金子千佳子(いつき組)
無限にループしていくメビウスの輪、人は時にそんな状況に陥ってしまうことがある。しかもそうとは気づかずに。そして仮に気づいても抜け出せない。しかし、掲句は地平が見えたという。光差してくる中世宗教画のような趣きがある。

【仙臺俳句会2020から一句】
梟は飛ばない歌舞伎町の森/「雉の息」小田桐妙女(陸)
新宿歌舞伎町はきらびやかな繁華街である。梟は飛ばないに違いない。しかし、句にそう書かれることで、花園神社の鬱蒼とした繁みが浮かんでくるのは、歌舞伎町を「森」としたことからだろう。本物の梟はいないかもしれない。けれど、叡智をつかさどる梟は姿を変えて歌舞伎町を飛翔していそうだ。

(後半 2020年7月29日にツイート)

【仙臺俳句会2020から一句】
ドゥカティの赤きカウルや遠霞/「雪解川」緋乃捨楽
ドゥカティとはイタリアのバイクメーカー。1940年代からレース参加を続けている老舗ブランドとあって、機能性のみならず、デザインもハイセンス。春の霞のなかを疾走する赤いカウルのバイク、静かな旅の始まり。


【仙臺俳句会2020から一句】
きちかうや優しくされてばかりゐる/「水槽」𠮷沢美香(むじな・小熊座)
紫色の桔梗のふっとふくらんだ蕾の姿が浮かぶ。相聞句とみてもいいだろう。優しくされるのは嬉しいが、自分が頼りないと思われているのではというような微妙な心情を描写。

【仙臺俳句会2020から一句】
丁寧な嘘がつけないばつたんこ/「小さきもの」米七丸(むじな)
嘘も方便という。ここは嘘をつかねばならない、それもすべてが丸く収まる丁寧な嘘だ。わかってはいるがうまく行かず、ますます焦る。心の中で水がたまり切った竹筒が、石にあたりカコーンととどめを刺す。


【仙臺俳句会2020から一句】
あなたをみているのかかすみをみているのか/「かすみ」有川周志(むじな)
短歌的情緒があるが、この世界を短歌で描けるかというと難しそうである。人間には好意を持つ相手から見返されることなく見つめたいという欲求があるとか。あなたを見ていたいが見返されてしまうので、どこかに視点を意図的に外すほかない、その逡巡が「みているのか」のリフレインにのっていて、かつ、疑問形であるところで、自分自身の心のありようもよくわからなくなっているところも面白い。


【仙臺俳句会2020から一句】
古傷を晒す素足やしやぼん玉/「詩語来る」谷村行海(街・むじな・はなぞの)
シャボン玉を吹くのはもう青年だ。無邪気で無鉄砲な子供の自分が作った傷が残る素足もすっかり大人びてしまった。青年には過去という翳り、そして、シャボン玉に輝く未来の光がある。

【仙臺俳句会2020から一句】
灯心は油に溺れ近松忌/「鬱金香」武田菜美(銀化)
江戸時代の浄瑠璃、歌舞伎作家。江戸時代には動物などの油を利用した「灯油(ともしあぶら)」で明かりをとっていたがその芯が油に溺れるとは、「曽根崎心中」など町人の義理人情ものを描いた近松ならではの切り取り。

【仙臺俳句会2020から一句】
フェイスシールド越しの対面ばなな買ふ/「営み」本田葉(澤)
コロナ禍でフェイスシールドというものがあると初めて知った。ばななというありふれた日常の果物と店員の間にある透明なシート。感染拡大防止策とは言え、SFの世界に入り込んだような現実となった。

【仙臺俳句会2020から一句】
滾る湯へ放るあぶらげ春の雪/「春の雪」浅川芳直(駒草、むじな)
蛇笏賞作家細見綾子の〈春の雪青菜をゆでてゐたる間も〉を彷彿とさせる。掲句は滾る湯に豪快に放り込まれるあぶらげと繊細に溶けていく春の雪の対比の良く、何か湧き立つ想いを感じる。

【仙臺俳句会2020から一句】
バベルの塔伝書鳩を放つは今/「蜘蛛に鏡」小田島渚(銀漢、小熊座)
印象深く、「放つは今」という切迫した感じに惹かれました。伝書鳩が上手く飛べない空になりつつある今、澄んだ空が見たいです(水月りの)。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?