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【2023.4.16更新】一句選集(仙臺俳句会2023)

■ご参加者に全作品から一句選(選評は任意)をしていただきました(敬称略・受付順)。

■一句選および一句選評の募集!
冊子のご参加者以外からの一句選(選評は任意)を募集しております。
各作品10句から1句ずつ選び下記メールアドレスまでメールください(書き方はnote掲載の形式をご参考になさってください)。いただいた1句選は本noteに更新していきます。なお全作品からでなくてもいいです。1句から受付けますので、お気軽にご参加いただければ嬉しいです。
〈送信先:sendaihaiku★gmail.com(★を@に変えて)〉 


1 令和5年2月5日まで受付分

⑴  うにがわえりも 選
折鶴のかほの三角冬に入る         舘野 まひろ
久々の空に綿虫光りけり          緋乃  捨楽 
肉色に砂丘よこたふ安吾の忌        恩田 富太
海螺廻しひとり勝ちして独りなり     武田 菜美 
葡萄踏み月面濡らすアルテミス      水月 りの
目隠しの手の湿りたる花野かな      あさふろ
花ミモザ抱へておりぬ横の僧       佐復 桂
夕立や昂然としてパインの木       浅川 芳直
芋煮会煤けし軍手火に焚べる       佐藤 涼子
ことごとく根雪の空に発火して      渡辺 誠一郎
肩寄せ合ひ聖夜はむらさきに流れ     小田島 渚
ひとところより次々と食う葡萄      有川 周志
 
⑵浅川 芳直 選
 折鶴のかほの三角冬に入る          舘野 まひろ
寝たきりのあたまのにおいブロッコリ   緋乃 捨楽
嫩草やほどくに惜しき躾糸        恩田 富太
海螺廻しひとり勝ちして独りなり     武田 菜美
QRコードに眩暈薄暑かな        水月 りの
水系を違へて拾ふ夏帽子         あさふろ
サーモスの蓋キュッキュっと淑気かな   佐復  桂
地に注ぐ清酒一升茸狩          佐藤 涼子
いつの日か鯨の海に眠りたし       渡辺 誠一郎
炎天の地や鬼の手が石落とす       小田島 渚
膝掛の端よりしらみはじめたり      うにがわえりも
大試験終えてフォントの気に掛かる    有川 周志
 
・折鶴のかほの三角冬に入る          舘野 まひろ
中七まで何気なく「ああかわいらしい句だな」と読んでいくと、下五でキュッと締め付けられるような感覚を覚えます。折り鶴はどんなに可愛らしくても作り物で、顔も目鼻のない無機質な三角。そして冬は本物の鶴が渡ってくる季節であり、折鶴があくまで鶴の偽物であることを思い出させる季節と言えるのかもしれません。一年でもっとも厳しい季節でもありますので、中七までのやさしい叙法から一転して、冬の冷たい空気のイメージが頭を過ります。この展開が決めどころになっていると思いました。じっと折鶴の顔を見ている人の視線が、からからに乾くようにして窓の外の冬に感応した感じが、鮮烈な読後感を与えているようです。
・サーモスの蓋キュッキュっと淑気かな  佐復  桂
水筒は水筒でも、「サーモス」とメーカー名まで出したことで、可愛らしいフォルムが何ともいいイメージを作っていると思いました。正月の季題は、普段と同じものを特別なものに変えてしまう、という意味で魔術的ですね。生活音も、正月というフィルターを通すとなにやら楽しげに聞こえるんだなあという納得感がある句でした。
・いつの日か鯨の海に眠りたし       渡辺 誠一郎
調べると大海の意味で「鯨海」という言葉があるようです。1999年の映画「ガメラ3 邪神覚醒」には、地球を守る怪獣ガメラの墓場が海底で見つかるというシーンがあります。この「眠る」はそんなイメージ、つまり神となって海に眠るというような内容を想起させるようです。すごい句だと思いましたが、字面通りに読むと奄美大島あたりにのんびりとホエールウオッチングに行きたいとも読めるので、読み手が試される感じもあります。
 
⑶ 小田島 渚 選
肩寄せ合ふ聖夜はむらさきに流れ      小田島 渚(自選)
空から降る白いものを「雪」と呼ぶのだとその人は教えてくれた。
雪は降りながら、「肩寄せ合うように助け合う世界がある」と言う。
雪はそのうちに光だして「想うだけでいいの」と言う。
だんだんに雪たちは吹雪となって「生きてさえいてくれたらいいの」と声だけになってみづうみに溶けていった。
 
・受付とつばめのことを話しけり     舘野 まひろ
一句目の〈この人に雨の水鶏を見せたくて〉のささやくような世界観に引き込まれる。余白に生きる悲しみのようなものが漂う。掲句は社屋につばめが巣を作ったのだろうか。受付との何気ない会話のなかで燕の話をすることで春の到来を感じさせる。10句目に置くに相応しい。〈カーテンのなき家に来る桜鯛〉にも注目した。
・寝たきりのあたまのにおいブロッコリ  緋乃 捨楽 
新型コロナウイスルスに感染した様子を綴った10句。〈九度二分のからだへ狐火とポカリ〉の大胆な季語の使い方も面白い。掲句はそこから離れて読んでもいいのだろう。お風呂に何日も入ることが出来ないと自分の体臭が気になってくる。毎日洗えば気が付かないが頭にも匂いがあったということで、しんどい現実ながら生きる力を感じる。
・肉色に砂丘よこたふ安吾の忌      恩田 富太
掲句は新潟市出身の作家坂口安吾の忌日句。坂口の実家は富豪の系譜だが、明治以降に没落。しかし自宅は大きな邸宅で、裏庭の松林を抜けると砂丘に出て日本海が見えたそうだ。砂丘を「肉色」と捉えた生々しさに作者自身の故郷に対する複雑な心情が溢れ、10句全体を引き締める効果を生んでいる。
・声にして言葉の傷む水蜜桃       武田 菜美
〈手袋は邪魔老い先を手探りす〉とあるように老いというものを静かに見つめた句群。句群からむしろたくさんの幸福な記憶とともに今があるように見受けられるが、それでも〈海螺廻しひとり勝ちして独りなり〉には、人間に孤独がなおも残るのはなぜだろうかとひたすらに思索する作者の姿が浮かぶ。掲句は言葉の難しさであろう。声にする前はもっと輝いていたはずの言葉は、世界に放たれた瞬間、人それぞれに曲解されていく。そのもどかしさは身の内にたっぷりと水を留めて黙する桃のように受け入れていくほかないのだろう。
・不眠症と熊と月面探査機と       水月 りの
カタカナの硬質さも巧みに配され、どこか別の世界を思わせる句群。
掲句は、何ら関係性を持たない三つの語彙が一読、星新一のショートショートにように不思議に絡み合い展開していくような一句。〈友の死を友に告げたる夏の暮〉には友だちが少しずつ亡くなって減っていき、自分が取り残されていく寂しさを感じる。
・海境やゼリーにゼリー液のあふれ    あさふろ
ゼリーという日常的な食べ物を前にして大海の溢れかえる海境を思っている。〈利き耳と反対側のヒヤシンス〉〈水系を違へて拾ふ夏帽子〉にも同じような対比の妙が見られる。想像力とはこういったところに発揮されるのだと思わされる。海境は、人の国と海神の国との境でもある。海神の国にはゼリーはあるだろうかなどと考えるのも楽しい。
・一斗缶ベコベコ打つて焚き火かな    佐復  桂
囀や花ミモザのような明るさが全体を通底している句群。
掲句は、一斗缶の焚火を囲んでいる景。おそらく「ベコベコ打つ」のは火加減の調整のためと思われる。その動作はすごくアナログだが、スマホなど壊れたとき直しようのないブラックボックス的テクノロジーばかりになった今では、そのアナログな感覚が憧れの域に入りつつある。ベコベコ打てば、焚火の木組みが上手くはまってまた燃え始めるという世界からの呼応が私たちには大事なのだ。
・雨後しばし森の匂ひの夏座敷      浅川 芳直
昨年度は角川俳句「俳句時評」を隔月で担当されるなど、浅川氏の活躍は目覚ましく、またその筆力を思えば当然であろう。さて、浅川俳句は主観ぎりぎりのところまで攻めて客観に留めるという際どさがスリリングだが、今回の句群は攻め際は抑えて落ち着いている。氏は若手に流行りの俳句には乗ったりせず、地味でも堅実に感性の涵養を目指していてその姿勢を貫く姿にも好感を持つ。掲句は氏らしい端正な言葉立てが際立った一句。湿度とともにうっそうとした森の息遣いが座敷にまで這い上ってくる、その生命感が眼目。
・芋煮会煤けし軍手火に焚べる      佐藤 涼子
パンチの効いた句群。句群に個性を出すというのはさまざまな方法があると思うが、佐藤俳句は日常を普通に読んでも十分個性的という感じがする。
掲句のワイルドさ、そして合理的と言えば合理的。〈鯨より掻き出す臓腑胴に乗り〉〈ウインチに皮引き剥がす鯨より〉の躊躇と容赦のない描写もいい。
・いつの日か鯨の海に眠りたし      渡辺 誠一郎
一句一句でみていくと上手く説明のつかない句があるのに句群になるとすべてが的確に収まって、独創性を醸し出す。〈断層を三度蹴飛ばす薄暑かな〉の不可解さ、〈馬の目に青大将がとぐろまく〉の奇妙な写生、〈片棒を担ぎ夕立を走り行く〉の諧謔にじわじわと笑いがこみあげてくるかと思えば、〈風待ちの港に今日の残暑かな〉のロマンティシズムにやられる。掲句はそのロマンティシズムを死の幻想にまで高めたもので、その悠久の時間の流れに憧れる。
・霜柱踏めばソプラノとなる君      うにがわえりも
毎回、うにがわ氏はうにがわ氏の独特な感覚で作って、そのままでいいのだろうと思わせられる。〈冬帽にざらめせんべい舐めるぬこ〉の「ぬこ」、〈春近しよく膨らんだおざぶかな〉の「おざぶ」の言葉の斡旋もうにがわ氏だから使いこなせているんだろう。〈温泉に訊くはあの日の鯛焼のゆくへ〉のなにゆえ温泉でそんな話題?とか思うけど、そこがいい。掲句は、何の因果関係もないところがユーモラスなのだが、霜柱でないとソプラノは出ない、と奇妙な説得力があるのだ。
・一眼に十一月を収めけり        有川 周志
淡々と日常をうつしとって奇妙になる句群。それは〈大試験終えてフォントの気に掛かる〉〈ぶらんこの縛られており春の泥〉のような着眼点の繊細さからくるのではないかと思う。
掲句はそれとはちょっと異なる。「一眼」「十一月」と数字の鋭さが効いている。何より、収めるという作者の強い意志が感じられる。
 
⑷ 水月 りの 選
氷上に穴あり我に虫歯あり        水月りの(自選)
羽生結弦さんが、氷上の穴に足をとられていたちょうどその時、私の歯の詰め物がとれた。穴は、自らの外側にも、内側にもある。
 
・生意気な足の出てゐる炬燵かな     舘野 まひろ
にょっきりと出ている足の生命感。
・木の葉散る珈琲こんな味じゃない     緋乃 捨楽
味覚障害の実感がこもっている。より一層美味な珈琲に出会える時は遠からず。
・先づもつて目玉を据うる初鏡      恩田 富太
初鏡の中の眼力。目玉には、何が映っているのか。
・手袋は邪魔老い先を手探りす      武田 菜美
やはり、素手の感触でなくては。若々しいエネルギーを感じる。
・花曇り人質小路東入ル         あさふろ
人質小路とは?寺山修司に会ってしまいそう。
・花ミモザ抱へておりぬ横の僧      佐復 桂
ミモザの明るい黄と僧侶の取り合わせに惹かれた。ひょっとして、青い目の僧侶。
・霧の中霧雨の筋見えてきし       浅川 芳直
霧の中に見えてくる霧雨。やがて激しい雨になるのだろうか。万物は流転する。
・煙草の先寄せて貰ひ火秋の夜      佐藤 涼子
昨今、喫煙者専用のカフェなども目にするが、貰ひ火という言葉に郷愁を感じた。
・片棒を担ぎ夕立を走り行        渡辺 誠一郎
もう一方の片棒は、誰が担いでいるのか。どこに向かっていくのか。ミステリアス。
・霧の家尋ねし者は帰りこず       小田島 渚
いつか、誰もが帰らぬ人となる。そして、誰もいなくなった。アガサ・クリスティの世界を彷彿とさせる。
・霜柱踏めばソプラノとなる君      うにがわえりも
君が踏めば、霜柱の軋む音も音楽に。ソプラノの高揚感に、作者の君への思いが。
・残雪をもれなく散らす教習車      有川 周志
もれなくが面白い。散らされた残雪もやがて日の光を浴びて空へと。
 
⑸ 舘野 まひろ 選
寝たきりのあたまのにおいブロッコリ   緋乃 捨楽
回廊に待つ豆撒の鬼の者         恩田 富太
声にして言葉の傷む水蜜桃        武田 菜美
不眠症と熊と月面探査機と        水月 りの
利き耳と反対側のヒヤシンス       あさふろ
花ミモザ抱へておりぬ横の僧       佐復 桂
夕立や昂然としてパインの木       浅川 芳直
あざーすと客引くホスト夜寒なる     佐藤 涼子
プーチンもレーニンも来よ春炬燵     渡辺 誠一郎
肩寄せ合ひ聖夜はむらさきに流れ     小田島 渚
いい人になるには読書冬木立       うにがわえりも
一眼に十一月を収めけり         有川 周志
 
⑹ 有川 周志 選
生意気な足の出てゐる炬燵かな      舘野 まひろ
木の葉散る珈琲こんな味じゃない     緋乃 捨楽
先づもつて目玉を据うる初鏡       恩田 富太
手袋は邪魔老い先を手探りす       武田 菜美 
友の死を友に告げたる夏の暮         水月 りの
テーブルをざらめの光冬の鳥       あさふろ
神の留守等間隔にベンツ行く       佐復 桂
霧の中霧雨の筋見えてきし        浅川 芳直
吐瀉受けしごみ箱洗ふ寒夜かな      佐藤 涼子
風待ちの港に今日の残暑かな       渡辺 誠一郎
指差されし者雁となる夕べかな      小田島 渚
春近しよく膨らんだおざぶかな      うにがわえりも
 
⑺ 武田 菜美 選
・カーテンのなき家に来る桜鯛      舘野 まひろ
カーテンの無い家は、新居を構えたばかりで、カーテンはこれから調達を思わせます。真鯛は昔からお祝事に用いられる魚の王様。春の産卵期には桜の穴のような婚姻色に。この家に住むのは新婚のお二人のような気がします。
・九度二分のからだへ狐火とポカリ    緋乃 捨楽 
高熱の体は火のように火照るといいます。そんな体に狐火が飛び火してはと心配しますが、狐火はほんとうはひんやりとしているように思われます。ポカリは勿論ポカリスウェットの略。冷たいポカリスウェットと高熱の夢にぽかりと飛んできた狐火の相乗効果で早く元気になりますように。
・龍天に半炒飯の遅れて来        恩田 富太
「龍天に昇る」は中国の文献にもとづく形(実体)のない季語ですが、炒飯で季語の原点を引き寄せて、さらに半拉麺とセットの炒飯をまだかいなと待つ盛んな食欲を満たそうとする欲求が、「生気方(はじ)めて盛んにして、陽気発泄し…」の季語の本意を表しています。
・QRコードに眩暈薄暑かな       水月 りの
バーコードが出現した折にはその原理になるほどと感心したものですが、モノクロームのQRコードをスマートフォンで読み取ると現れるカラフルな世界にはくらくらとします。二次元の記号と頭ではわかっていても異次元ならぬ異界へ誘っているように思われます。この分かったようで分からない気分が、うっすらと汗ばむ半端な暑さにぴったりです。
・利き耳と反対側のヒヤシンス      あさふろ
利き手、利き足に倣えばよく聞こえる方の耳と思われます。利き耳で聞耳を立てているようです。そして反対の耳の方にはヒヤシンスが飾ってあります。この景色から〈銀河系のとある酒場のヒヤシンス/橋聞石〉が思い出されます。別名は「風信子」。どなたの風のたよりを聞いているのでしょうか。
・花ミモザ抱へておりぬ横の僧      佐復  桂
海の向こうではミモザの日に男性から女性へミモザの花を送る風習があるとか。メトロで隣り合った僧が大きなミモザの花束を抱えていたようです。僧といえばモノクロームの装束が定番です。その胸に抱かれた黄色のミモザの花が一段と鮮やかに写ります。艶冶な春の一日と僧のアンバランスに心惹かれました。
・掛時計音を連ねて彼岸来る       浅川 芳直
柱時計が健在の頃は、ボーンボーンの音にもうこんな時間にと驚いたものですが、デジタル時計の昨今は無音のままに時が過ぎてしまいます。何か大切なものを盗み取られた気分になります。掛時計のカチカチという秒針の音で時間の流れの具現化。彼岸来るに時計の文字盤を巡る針と同じように季節が巡り又彼岸が来てという永遠性が見えます。
・吐瀉受けしごみ箱洗ふ寒夜かな     佐藤 涼子
地方競馬と温泉で稼いだ某市に育った身には懐かしい景です。決して美しくはありませんが、人間も生き物の仲間とういことを痛切に思い知らされました。洗剤もシャンプーも消臭を強要する現代にふっと違和感を覚えてしまいます。人気の消えた寒空の下で、ごみ箱の汚れをホースの水で流す姿に動物と人間を画する一瞬を見たような気がしました。
・いつの日か鯨の海に眠りたし      渡辺 誠一郎
四方を山に囲まれているせいか、土に還るという言葉を思いました。〈野ざらしを心に風のしむ身かな/芭蕉〉の野ざらしとなって山に眠るのです。一生を見守ってくれた山に海に還ることは山に海に生きた歳月のお礼をすることではないでしょうか。草を虫を育てる力になれば安眠できそうです。3鯨の海に眠るのスケールの大きさには、「散骨なんてけちな事は言わないで」の気分が感じられます。
・指差されし者雁となる夕べかな     小田島 渚
例えば夕方のグランドに並んだ部活帰りの生徒が一人一人去ってゆく。まるで目に見えない何かに指名されたかのように。そんな風に雁の群れが一羽一羽夜空へと飛び立っては棹になり鍵になりと、次の目的地を差して行きます。〈渡り鳥みるみるわれの小さくなり/上田五千石〉は鳥の目となって自分を俯瞰しています。指差す側も飛び立つ側も寂しさに染まってゆく、そんな夕暮時ですね。
・膝掛の端よりしらみはじめたり     うにがわえりも
日の出前の一刻は一日でも一番寒さが身に浸みます。夜を徹しての読書、執筆でしょうか。「膝掛の端」が見事です。体の中でも端っこの指先が一番敏感です。同じように膝掛の端の方から夜明の気配を感じはじめるという発見の繊細さに心をひかれました。
・熊穴に入る送電線の異音        有川 周志
見回すと里山のあちことに鉄塔が立っています。この鉄塔の側を登る時にブーンと唸り声を聞くことがあります。雨催いの日がとくに多いようです。気圧の変化に反応するのは電線だけではなく、熊も季節の変り目を素早く感じて冬眠に。人間の文明と熊の野性の接点がこの異音という発見が新鮮に写ります。
 
⑻ 恩田 富太 選
幾たびも郷を厭ひしのつぺかな      恩田 富太(自選)

この句、面識の無いTwitterアカウントから「のっぺ」の題をいただき、即吟した。それが今では、自身のプロフィールに関わる一句になったと思う。出題者とは通信句会を共にしたが、未だに一面識も無い。そういえば、仙臺俳句会の多くの方とも直接の面識は無いが、詩による交わりが人の隔たりを埋めることを思う。
・解体や葉牡丹の鉢そのままに      舘野 まひろ
「解体」という、およそ詩的でない語彙を詠嘆する硬質さに惹かれた。建物の解体が始まっても、葉牡丹の鉢は置かれたまま。葉牡丹の姿には無機質な硬さがあり、それに解体の粉塵が積もれば、ある種のすさまじさを見せると思う。掲句の葉牡丹は、他のなよやかな草花には代えられない詩的な働きを得ている。
・小春日やラノベで埋まる枕元      緋乃 捨楽 
一連の句を読むと、流感による隔離生活をされたことが分かる。「ラノベ」とは、商業出版の一ジャンルであるライトノベルを略して、今は一般的に使われる語だ。「ラノベで埋まる」の軽い語感と生活感は、小春日の情趣によく馴染むように思う。長い隔離中に、ラノベの空想世界に心を遊ばせる読書が愉しみだったのだろう。ふたたび一連を読むと、この後に作者は快癒されたようだ。
・海螺廻しひとり勝ちして独りなり    武田 菜美 
海螺廻しの勝者に纏わりつく秋の寂寥。そこで手を抜いたとして、生温い勝負では強者の孤独は癒やされないだろう。強く切った座五には勝つことの矜持さえ窺える。同連作中の“ながむしのとぐろ”にしても、孤愁を芯として自己の存在を固めている。
いま、他を出し抜くことで勝者と見做される風潮さえあるが、そこに矜持らしきものは無い。
・不眠症と熊と月面探査機と       水月 りの
人の不眠と、冬の熊と、月面探査機。並列した三要素の取り留めも無さが、まさに不眠状態の思考を体感させた。歳時記の冬に立項された「熊」には、冬眠をしない生態がある。巣穴を出た熊は餌を求めて森を彷徨い、その頭上には、寒星を縫うように月面探査機が行く。映像は目眩のように地上と夜空とを旋回し、不眠の朦朧とした体感に再び近づく。そしてまた旋回を繰り返す。
・水系を違へて拾ふ夏帽子        あさふろ
川を遡る旅のうちに水系を違えてしまうとは、なんと大きな道間違いか。となれば、随分と上流まで来てしまったのではないか。そうして迷い歩く山中に、白く小さく拾う夏帽子の不思議と、人の僅かな形跡にほっとする心地とが、堪らなく抒情を誘う。
・寒の入わたし今日カワウソになる    佐復 桂
昨今ではその愛らしさから愛玩もされれるカワウソだが、アジアと国内各地に人を化かすおどろおどろしい伝承を残す肉食獣でもある。
連作中の作者は“いよいよヒトとなる”というのだが、そのあとでまたカワウソになってしまった。ならば、一句目の“囀るや”では鳥頭人身であったかもしれない。そう読みだすと、連作中の作者は一句として同じ姿をしていないのではないか。末尾の句で“一斗缶べこべこに打つ”姿とはいったい何者だろうか?
・鈴虫の夜の烈しさに読む童話      浅川 芳直
この句ある“夜の列しさ”とは、鈴虫の集く声のみを表さない。夜にこそ搔き立つ感情の烈しさが、鈴虫の情趣に対置されているように感じられる。そのときに読むべき童話とは何か。世に種々ある童話からさまざまに連想される寓意が、句の末尾に展開する。
連作中の他の句にも見られる句造りの端正さと、調べの心地よさも楽しみたい。
・芋煮会煤けし軍手火に焚べる      佐藤 涼子
一物、写生、切れ、臨場感。きっぱりと確かな一句!わたしは山形県の隣県に住むが、芋煮会の経験は未だ無い。現地でその軍手が焼ける匂いを嗅いでみたい。
・鴨の陣ほどけ一人は祇園へと      渡辺 誠一郎
京の鴨川には実際に鴨がいるのだそう。群を離れる鴨には、連れから一人離れる遊び人の姿が二重写し(オーバーラップ)に見えた。その人には着流しの裾でも翻していてほしい。光を返す水面を経て、石畳の奥行へと流れるカメラワークを想像すれば、またなんとも洒脱な句だ。
・露が露呑み込み 渦巻く 黒き砂塵   小田島 渚
露の小さなひと粒のレンズ効果に、背景の空が映っている。他の大きなひと粒がやおら動き、露が露に吞み込まれた瞬間、景は歪み、乱れ、あとに遺されたのは終末のように吹き荒れる黒い砂塵。露のゆかしき情趣が、当の露によって侵されている。
第一句集『羽化の街』の上梓に前後する頃からだろうか、作者の字開きの句を見る機会が増えた。掲句の字空きは、一節毎に言葉を打ち込むように迫る。
・温泉に訊くはあの日の鯛焼のゆくへ   うにがわえりも
鯛焼ひとつを随分と長く根に持ったものだ。「今ここで?何故それを?」という唐突な驚きが書かれ、それだけで十分に句を楽しむに足りる。そこにあえて理屈を付け加えるのであれば、鯛焼が温め直されるように古い話を「蒸し返されている」のだろう。
・一眼に十一月を収めけり        有川 周志
十一月はわたしの生まれ月ではあるが、捉えどころの無さに常から困る季題だ。というわけで、十一月の良い句に会えると嬉しい。座五の動詞から、一眼レフカメラで撮影していると分かる。スマフォの普及した昨今にも、その人は熱心に一眼を携えている。と、鑑賞を進めるために読み返すのだが、「納めけり」だったはずの景が、実のところ何ひとつ表れてこないではないか。そういう捩じれ方も面白い。
 
⑼ 佐藤 涼子 選
折鶴のかほの三角冬に入る        舘野 まひろ
マスクしてなおドア越しの家族かな    緋乃 捨楽 
幾たびも郷を厭ひしのつぺかな      恩田 富太
海螺廻しひとり勝ちして独りなり     武田 菜美
葡萄踏み月面濡らすアルテミス      水月 りの
花曇人質小路東入ル           あさふろ
一斗缶ベコベコ打つて焚き火かな     佐復  桂
雨後しばし森の匂ひの夏座敷       浅川 芳直
プーチンもレーニンも来よ春炬燵     渡辺 誠一郎
野葡萄の冠かざる髪沖つ風        小田島 渚
あまに油の畳に垂れて冬の朝白髪ねぎ   うにがわえりも
ぶらんこの縛られており春の泥      有川 周志
 
⑽ あさふろ 選
・初列車横隔膜のやうな川        あさふろ(自選)

無性に本が読みたくなる時、鈍行に乗ります。列車の車窓こそ一番読書が愉しい場所です。
 
・カーテンのなき家に来る桜鯛      舘野 まひろ
文字通り「カーテン」を付けていない家ならば、「桜鯛」いっそうが眩しく感られます。
・久々の空に綿虫光りけり        緋乃 捨楽
病からの回復の過程が詠まれた十句。病み上がりの心持ちが存分に感じられます。
・龍天に半炒飯の遅れて来        恩田 富太
先に来ているのはラーメンでしょうか。ぼやきのような瑣事と雄大な「龍」との対比が面白いです。「半」が効いていると思いました。
・声にして言葉の傷む水蜜桃       武田 菜美
生の「言葉」だからこそ「傷む」のか、そういうことか、と思い、包まれるように感じました。
・不眠症と熊と月面探査機と       水月 りの
冬眠の穴の中で「熊」は覚めつつ「月面探査機」と交信を続けているのかもしれません。
・石鹸玉仏連なる息に似て        佐復 桂
六波羅蜜寺の空也上人像を想像します。「石鹸玉」から「仏」への繋がりが柔らかいです。
・葱坊主雲生まれつつある低さ      浅川 芳直
「低さ」とは地に近いということ。既に浮かんでいる「雲」にとっての「低さ」である。と同時に「雲」からの視点を取り込んで、「葱坊主」そして人間の、更なる「低さ」でもあると感じました。
・芋煮会煤けし軍手火に焚べる      佐藤 涼子
自分が食べることを後回しにして働いていた人を想像します。食欲がとても刺激されます。
・ことごとく根雪の空に発火して     渡辺 誠一郎
「空」の果てしなく、どこまでいっても何もない感じが伝わってきました。
・九天の使者にか黒き柘榴受く      小田島 渚
果実をもらったと言うより、何らかの使命を受けたということかもしれません。その数が多すぎるなら大勢で。
・いい人になるには読書冬木立      うにがわえりも
「読書」の悪徳を吸いつくしてたあげく「いい人」になるなんて。やめられません。
・ひとところより次々と食う葡萄     有川 周志
「葡萄」を食べる有り様が、そのまま写し取られています。
 
⑾ 佐復 桂 選
びっしりと雨に吹かれて鵙の贄      舘野 まひろ
ひっそりと嘔吐する夜や冬の虫      緋乃 捨楽
回廊に待つ豆撒きの鬼の者        恩田 富太
寒鯉の沈思に水の重さかな        武田 菜美
氷上に穴あり我に虫歯あり        水月 りの
初列車横隔膜のやうな川         あさふろ
霧の中霧雨の筋見えてきし        浅川 芳直
鯨より掻き出す臓腑胴に乗り       佐藤 涼子
プーチンもレーニンも来よ春炬燵     渡辺 誠一郎
暦には在らざるひと日地球凍つ      小田島 渚
膝掛けの端よりしらみはじめたり     うにがわえりも
ひとところより次々と食う葡萄      有川 周志

2 令和5年2月19日まで受付分

⑿ 髙橋 小径 選

折鶴のかほの三角冬に入る         舘野 まひろ
久々の空に綿虫光りけり          緋乃  捨楽 
幾たびも郷を厭ひしのつぺかな       恩田 富太
なほ残るのみどの小骨終戦日        武田 菜美 
ジムノペディ流るる街の大試験       水月 りの
十薬や目を瞑りたる一軒家         あさふろ
囀や自転車幹に立て掛けて         佐復 桂
銀河蕩揺水車の音の夜通しに        浅川 芳直
地に注ぐ清酒一升茸狩           佐藤 涼子
いつの日か鯨の海に眠りたし        渡辺 誠一郎
霧の家尋ねし者は帰りこず         小田島 渚
あまに油の畳に垂れて冬の朝        うにがわえりも
大試験終えてフォントの気に掛かる     有川 周志

3 令和5年4月2日まで受付分

⒀ 渡辺誠一郎選

先生にいつもの席や小鳥来る        舘野 まひろ
ひっそりと嘔吐する夜や冬の虫       緋乃 捨楽 
龍天に半炒飯の遅れて来          恩田 富太
なほ残るのみどの小骨終戦日        武田 菜美 
不眠症と熊と月面探査機と         水月 りの
利き耳と反対側のヒヤシンス        あさふろ
寒の入わたし今日カワウソになる      佐復  桂
菜花畑やうやく人の気配かな        浅川 芳直
鯨より掻き出す臓腑胴に乗り        佐藤 涼子
暦には在らざるひと日地球凍つ       小田島 渚
いい人になるには読書冬木立        うにがわえりも
ぶらんこの縛られており春の泥       有川 周志

3 令和5年4月16日まで受付分

⒁ 緋乃捨楽選

木の葉散る珈琲こんな味じゃない  緋乃 捨楽(自選)
昨年11月に新型コロナに罹患しました。発熱だけで済むかと思いきや、待機期間も終盤の頃、味覚障害が発生。珈琲が吐瀉物の味にしか感じなくなり、絶望したのを覚えています。

生意気な足の出てゐる炬燵かな  舘野 まひろ
反抗期にさしかかった子の足をイメージしました。するすると背が伸びていっちょ前の口もききますが、その実まだまだ子供。炬燵との取り合わせがユーモラスで好きです。

嫩草やほどくに惜しき躾糸  恩田 富太
若草と躾糸。どちらもやわやわと頼りなく、時が来たら姿を消すもの。瞬間の儚さと美しさが詠まれた句だと思いました。

ながむしのとぐろ孤愁を芯となす  武田 菜美
蛇は思慮深い生き物だという印象があります。この句で物思いに耽る蛇を想像し、ますますそのイメージが深まりました。

QRコードに眩暈薄暑かな  水月 りの
QRコードって明るい外から室内に入った瞬間のちかちかする時の視界に似ているなー、と思ったことがあって。とても共感した句でした。

目隠しの手の湿りたる花野かな  あさふろ
目隠しを仕掛けられるということはそれなりに近しい間柄かと。手が湿っているのは単に遊んで汗をかいたからか、それとも緊張からか。後者だったら花野で小さな恋のメロディがはじまりそうでとても良いです。

神の留守等間隔にベンツ行く  佐復  桂
八百万の神々という崇高な存在に取り合わせたベンツの俗っぽさにやられました(乗っている方がいらしたらごめんなさい)。何台か連なっている時点で裏社会っぽいにおいがするのもまた渋い。

鈴虫の夜の烈しさに読む童話  浅川 芳直
虫の声がきこえる夜というのは静かなイメージがありますが、なかなかどうして、鈴虫は割と大音量で、時には耳を塞ぎたくなることも。とは言えこの句の「烈しさ」は、虫の声だけに起因していないように思います。童話を読むことで、心の内に湧き上がる何かがあるのかもしれません。

吐瀉受けしごみ箱洗ふ寒夜かな  佐藤 涼子
一連の句を読むと、どうやらあまり治安の良くない土地が舞台なのではないかと思いました。猥雑さの中に強さが感じられて、生きているだけで偉い、と勝手に励まされている気になった句です。

片棒を担いで夕立を走り行く  渡辺 誠一郎
何の片棒なのか、夕立の中を駆け抜けなくてはいけないほどヤバいことに手を出してしまったのか。スリルに満ちた一句。

露が露呑み込み 渦巻く 黒き砂塵  小田島 渚
空白によって描かれる、徐々に広がってゆく世界がとても格好良いです。ヴィジュアル系のMVのワンシーンを観ているような感覚をおぼえました。

温泉に訊くはあの日の鯛焼のゆくへ  うにがわえりも
とりあえず声を大にして、いつの!?いつの鯛焼!?とツッコみたい。行方が知りたい=自分で食べたのではないってことですよね。誰かに食べられてしまったのか、店のおじさんと喧嘩して海に逃げ込んだのか…ミステリアス。

一眼に十一月を収めけり  有川 周志
自分も一眼レフを使っています。十一月は極端に言ってしまえば特に何もない時期で(雪が積もるでも花が咲くでもなく、ただ枯れている、という感じ)、だからこそ一瞬の切り取りが大事な時期だと思っています。そこを逃さず収める、という感覚に共感しました。

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