ブラヒロシ東海道 25 総集編

世良 一夢
 
 愈々、今日は最終回です。これまで日本橋を出発点に二十四回に渡り、主要な宿場の様子と広重の浮世絵をご紹介してきましたが、今回はその浮世絵を借りて全体のまとめにしたいと思います。
 広重の最も有名な東海道の浮世絵である保永堂版「東海道五拾三次之内」が描かれたのは、天保五年(1834)です。十返舎一九の「東海道中膝栗毛」が享和ニ年(1802)ですから、三十年程後のことです。文化文政の江戸文化爛熟期の後、黒船騒動の始まる前の比較的安定していた時期だっただろうと思います。この間、ずっと東海道歩きはブームだったようで、いくつも類似の浮世絵、今で言うパクリの物も沢山出ています。中でも面白いのは美人画東海道シリーズで、当時人気を二分していた美人画とのfusionです。今回のも、背景にちゃっかり広重を拝借しています。(本編でもご紹介した御油の客引きですね。)
 広重は、江戸の定火消(武家専門の火消)の安藤家の惣領でした。若くして縁者に家督を譲り、歌川豊広に入門、色々な名前で呼ばれていますが、今は教科書では歌川広重で統一されています。
 全部で五十五枚の東海道旅行ガイドを書いた訳ですが、全体を振り返ってみると、改めて当時の日本人は自然と共生していたなと感じます。今や大都会の浜松や四日市の様子も長閑その物です。
 こんな形で、街道や宿場が整備され、色々な絵や記録に残っているというのは、中国を含め諸外国にはないでしょうね。まさに日本文化の一つであり、誇るべき遺産だと思います。
 二年を超えるこの素晴らしい日本文化を巡る旅にお付合い頂き有難うございました。お疲れ様でした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?