ブラヒロシ・東海道14 舞坂-新居


世良一夢
 
 今日は遠州、舞阪・新居宿です。弁天島を通り浜名湖を渡ります。
 ところで、五街道には脇街道と言われるバイパスが時々ありますが、ご存知でしょうか?この辺では浜松の手前から湖北側を通り、三河まで迂回する姫街道がそれです。その由来は、この地域を何度も襲った大地震、津波だそうで、記録では戦国時代から幕末迄で四回にも及んでいます。
 明応7年(1498)には、陸地30haが海に沈み、淡水湖が海水湖に、街道一里分が海路に変身、「今切の渡し」舟が始まっています。宝永四年(1707)には、宿場が壊滅的打撃を受け、旅人が迂回路を取らざるを得なくなり、これがこの姫街道の始まりとのことです。
 一方、湖西側の新居(荒井)宿には箱根と並ぶ大きな関所があり、特に「入鉄砲出女」に厳しく、女性には嫌がられたようです。それを避けるのが姫街道利用者の本音だったかも知れません。
 この関所は参勤交代の大名にも、手続きが大変な難所だったそうで、「荒井渡奉行」と言う特別任命の先発幹部が送り込まれたらしいです。これって、賄賂根回し担当だったのではないでしょうか?
 現在、新居宿は関所も宿場も極めてよく保存・整備されています。東海道ではここと三重の関宿が抜群で、街道の見学・勉強にはお勧めです。新居関所跡の黒い冠木門脇に江戸期俳人の句碑がありました。当時の雰囲気が良く出ていますね。
  木戸しまる音や荒井の夕千鳥  炭 太祇
 又、この辺のグルメは何と言っても鰻と魚です。舞阪と新居の中間の浜名湖入口に浮かぶ弁天島に老舗割烹が多数有り、軒を競っています。こちらも是非。

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