ブラヒロシ東海道24 京都編

世良一夢

 さあ、今日は京・三条大橋を目指します。大津からは三里(12キロ)、あと少しです。
 大津宿を出るとすぐに、逢坂山隧道に入ります。近江国と山城国、滋賀県と京都府の境です。
 逢坂山に入ると、平安初期の有名な歌人・盲目の琵琶法師蝉丸を祀った蝉丸神社が下社、上社、分社と沢山出てきます。「これやこの行くも帰るも別れては知るも知らぬも逢坂の関」は非常に有名ですね。その関所跡のすぐそばに、峠の茶屋だった「かねよ」という今は鰻屋の店があります。茶屋の走井餅と言うのが名物だったそうです。 
 逢坂山を抜けた辺りの粟田口には刑場跡があります。記録によれば、総数一万五千人が処刑され、最後は明治二年の大村益次郎の暗殺者五人だったそうです。江戸の鈴ヶ森と京の粟田口の東海道の両端に刑場があるのは印象的ですね。
 粟田口を過ぎれば、既に京都市内ですが、三条大橋の前に見学にお勧めの場所があります。それは琵琶湖疎水です。明治初期に作られた、東京遷都後の京都経済の地盤沈下が避けられない中で、街の再活性化を託された一大事業の設備です。今でも使われ続けていることが驚きですが、その計画の壮大さ、設備の立派さに当時の人達の気迫を感じます。
 琵琶湖疏水を過ぎるといよいよ三条大橋です。遂に着きました。東海道完歩です。日本橋を出て以来、江戸時代には京までは都会らしきものは全く無かった訳ですから、旅人はこの京の街の賑わい、人々の様子、寺社の多さ、風光明媚さに感激しただろうと思います。
 さて、いよいよ次回は最終回として、この長い道中の総集編にしたいと思います。

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