ブラヒロシ・東海道22 土山・水口・石部編

世良一夢

 鈴鹿峠を越えると土山宿。近江国に入りました。
鈴鹿峠頂上にあった説明板によると、この峠道は仁和二年(886年)に開通したそうで、今昔物語の水銀商人が盗賊に襲われた話や、蝦夷平定で有名な坂上田村麻呂が山賊の首領を捕えた話など、山賊話が色々紹介されていました。
 土山宿周辺には、この坂上田村麻呂ゆかりの名前が散見されます。浮世絵にある川が田村川、木々の向こうが田村神社だそうです。
 ただ、田村麻呂の生まれたのは、天平宝字二年(758年)だそうで、少し時代が合わないような気がします。調べてみると、田村麻呂伝説と言うのは、一種の英雄伝説として全国にあり、中でもここ鈴鹿の山賊退治の物が一番多いらしいです。それだけ困っていたということでしょうかね。
 鈴鹿峠から琵琶湖迄、土山、水口、石部宿は平坦な道が続きます。この辺は滋賀県甲賀市で、南は伊賀上野です。甲賀伊賀の忍者二大勢力は、鈴鹿を越えて、すぐ隣同士だったのですね。この二者はやはり鈴鹿の山賊と何か関係があったのでしょうか?治安維持を担ったのか、はたまた自身が山賊出身か(失礼)。土山という地名もこの地を治めた甲賀の流れの武士の名前から来ているそうです。
 隣の水口宿の名物は干瓢です。水口城主の加藤氏が下野(栃木)から移入したそうで、大名の国替えは産業技術の移転に意外と貢献しています。
 もう一つ、最後の石部宿のエピソードを。ここが「石部金吉」と言う成句の発祥の地だそうで、ここに金山(銅山)があったことと、遊女の居ない硬い宿場だったことから、融通の利かない男と言う意味になったとのことです。

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