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病院勤務を辞めて2年経つ

試しに手術室で「死ね」と小さな声で呟いてみた。僕の声は空気にひっかかり、ほんの一瞬だけ時間が止まった。回線の乱れた生配信のようだった。ほんの一瞬のラグこそあったが、それから僕を含む全員は何もなかったかのように役割を振る舞いオペは終わった。

病院での勤務を辞めてから数か月が経つ。

元号がどうのなどと世間がはしゃいでいたから、3年前だと思う。その頃から手術室で遊びはじめた。たとえば腹部に医療器具を置いて手を放してみたりする。陳腐な喩えだが、それはまるで灰皿みたいに見えた。実際に彼の腹に吸い殻を捨てたらどうなるのか妄想する。切除する部位に火を押し付けて消す分には大きな影響は出ないはずだ。わざと切る場所を間違えて簡単な手術を長引かせたりもした。メスを入れる場所を少し変えるだけでこんなにもやりづらくなるのか、と西洋医学の集合知に関心したりしていた。

なんとなく医学部に進学して、なんとなく卒業し、気づけば田舎の総合病院で労働していた。楽しみといえば小さな小さな車の中でラモーンズみたいなうるさい音楽を聴きながらアクセルを踏むことぐらいだった。酒は飲めない。色々あってもう病院では働いていない。

目の前に横たわるのは一人の人間であるが、使役の傾斜関係において自分は「させれれている側」の人間なことは明確だった。来る日も来る日も自分は意識のない人間の明日以降の時間の苦痛を和らげるための労働に従事している。

「死ね」という呟きは脳をほどくような新鮮さがあった。フリーズドライに熱湯を注ぐようだった。決して恣意的に重大な医療ミスに踏み入れることはないが、「死ね」というその一言があるだけで、自分の手仕事に重みを感じられるようになる。

手術室で何度もその言葉を口にした。もう自分は病院で働いていない。

しかし人間の心理とは勝手なもので、いざ辞めるとまたやってみたくなる。新幹線で無防備に寝ている中年男性などを見かけると当時の記憶が蘇ってくる。命を握りしめる感触が脳に浮かび、緑色の匂いが鼻に抜ける。

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