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【気づき】Vol.1026(2011年4月24日発行のブログより)

分を知る。

分を知ろうとしない20代が増えてきた。

これは親の教育の賜物である。

今の日本に不⾜しているものの⼀つに、

分を知る

ということがあるように感じる。

これは夢を持つなとかプライドを持つなということではない。

むしろ対極だ。

夢を実現させたり本物のプライドを持つために、
分を知ることが大切なのだ。

この世のすべての夢の実現は、
現実という階段からしか出発できないからである。

就職内定率を考えてみても、
分を知らない大学生が親の言いなりになって、
そのままの価値観で大手企業の面接を受けている。

受かるわけがない。

企業だって潰されるわけにはいかないのだ。

パッとしない大学生なんて、
入社したら⼊社したで活躍しそうもないのだから当たり前だ。

反対に、中小企業は人手不足甚だしいというではないか。

猫も杓子も大学に進学するようになってしまった今、
親子で質の悪い価値観を前面に出し、
自分たちをエリートだと思い込んでしまったのだ。

大卒がエリートなんてもうとっくに終わった。

僕たち団塊ジュニア世代でも、大卒はすでにエリートではなかった。

大卒というだけでエリートと思いこんでいる奴がいたら、
笑い転げられると思う。

ちなみに、Fランクの大卒と短大卒と高卒と専⾨卒と中卒の学力は、
すでにまったく判別できない。

親が学歴という厚化粧に無理やりお金を払っただけの話なんだね。

大卒がエリートといえたのは、
せいぜい1970年代前半の大卒までの話だ。

時代は完全に変わったから目を覚ませ、といいたい。

両親の真似をして、安定志向の臆病者にもかかわらず、
やたらにプライドだけは高くなってしまった若者は多い。

こういうのは仕事ができないからといって辞めさせようとしたら、
親がしゃしゃり出てきて騒ぎまくるだろう。

断じて関わるべきではない。

今年インターネットの掲示板でカンニングした予備校生の考えは、
氷山の一角に過ぎない。

彼からぜひ多くを学ぶべきだ。

現役時にはセンター試験の点数が不足して山形大学人文学部の受験を、
断念していたという。

「山形大学」と聞いて田舎の大学と軽く見てはいけない。

都会に住む井の中の蛙たちにありのままの事実を伝えると、
普通の公立中学で主要5科目オール4以上は獲得していないと、
山形大学⼀般学部には合格はできないだろう。

少し前に使われた「地頭」という意味では都会でチヤホヤされている、
中学時代から理数系科⽬で1や2を連発しても合格してしまう、
青山学院大学や立命館大学の文科系に必ずしも劣るとは限らない。

彼を庇うわけではないが、少なくとも⼊試というゲームではね。

その証拠にカンニングせずに合格したといわれる、
私立ではトップ⽔準の上智大学には純粋に学力で通っていたと聞く。

ところで、彼がセンター試験の点数が不足したのは失敗ではない。

純粋に基礎学力不足だ。

地方の高校でチヤホヤされ続けてしまい、
理想だけは果てしなく高くなってしまったために、
模擬試験でカンニングを試したのだろう。

意外にうまくいったこともあって、
滑り止めの私立大学でも模擬試験の延長線上でカンニングをし続け、
本命の国立大学でカンニングテクニックの集大成を披露するための、
下準備をしていたわけだ。

その結果、京都大学文系数学全問をネット上で質問してしまった。

京都大学のような⼀流国立大学の決定打は2次試験の記述数学なのだ。

文学部ですら暗記科目の地理歴史を外されることはあっても、
完全記述式の数学は必須で逃げることができない。

しかも配点はかなり⾼い。

とてもではないがこれに耐え切れずに大半の受験生たちが、
私立の文科系にドッと流れるわけだ。

受験産業や予備校にとっては圧倒的多数の私立文科系受験生こそが、
最大のお客様。

マスコミを総動員し、
ありとあらゆる手段を駆使してここを輝かせて見せる必要はある。

この2次試験の数学や理数系科目すべてを外してしまえば、
偏差値というカラクリは軽く10跳ね上がるから輝かしく見える。

国立大学の偏差値50と私立大学⽂科系の偏差値60でも、
前者が後者より⼊りやすいとは限らない。

既に上場企業では周知の事実だとはいえ、
私立大学でもちょっと名⾨気取りができたのはそのおかげなのだ。

そりゃ、誰だって本当は心の底では安上がりだし国立つのほうがいい。

でもこの2次記述式数学が実に鬱陶うっとうしい。

どんなに勉強してもできない人はできない。

何百時間考え続けても解けない人は解けない。

つまり、ここを全問カンニングするということは、
最初から完璧に諦めていたということなんだね。

それは本人が⼀番よくわかっている。

彼とかかわる大人たちが、
山形大学や上智大学に通うことになるだろう彼のアイデンティティを、
ちゃんと認めてあげられるような環境を作るのだ。

無償の愛以外の愛はこの世に存在しない。

そうすれば最初から分相応に私立大学に的を絞るか、
地元の山形大学を受験すれば、本人の苦し紛れのいい訳である、

「親に負担」

をかける必要もなかったではないか。

未成年とはいえ、どさくさに紛れて親のせいにしちゃダメだよ。

彼だけではなく20代にこうした人たちの比率は急増している。

本当は、

「分を知る」って、

とても味わい深くて前向きなんだけどな。

追伸.

まず、親が分を知ろう。

本当に明るい日本の未来のために。

 ...千田琢哉(2011年4月24日発行の次代創造館ブログより)

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