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【我が師】Vol.0664(2010年9月13日発行のブログより)

教育⾏政学

僕が⼤学で専攻したのは、

教育⾏政学

という学問だ。

当時から⽇本の教育システムに疑問と興味を持っていた僕は、
誰でもできるワンパターンの批判ではなくて、
世界的&専⾨的な視点からの意⾒を述べることができたらな、
と考えていたからだ。

というのは嘘で、
この学部のみが過半数が⼥⼦学⽣で占められていたからだ。


要は国の教育政策や予算配分を研究していた
浮世離れしたマニアックな虚学だが、ほとんどの⼈が知らないと思う。

何を隠そう、結局僕も最後までわからなかったから。

⼤学なのに1学年たったの80⼈で2クラスしかなかった
この⼩世帯学部は、約20⼈が公務員に、約20⼈が学者を⽬指して
⼤学院に、決してデキのよろしくなかった残り半分が⺠間企業へと巣⽴って
⾏った(と思う)。

教員養成ではなくて、教育学者養成のためにカリキュラムが組まれていた。

だから同級⽣で⼩中学校の先⽣になった⼈は1⼈も知らない。

ちなみに、今ググってみたら前の⽂部科学省の事務次官だった、
銭⾕真美ぜにやまさみ⽒ という⼈がここの卒業⽣らしい。

たいてい、その学年ではトップだったのでしょう。

僕が教育⾏政学で学んだことは、たった1 つしかなかった。

まず、制度を変えてしまえば⼈はそれに順応していくということ。

うだうだお互いの都合で朝ナマのように、
好き勝⼿な議論するのではなくて、制度を思い切って⼀変させるのだ。

この場合、「変える」とは改善ではない。

改⾰である。

改善とはチンタラ3年くらいかけて1年で3割ずつのんびり変えていこうとすること。

改⾰とは⼀瞬で51%以上変えてしまうこと。

最初は⾮難ごうごうだが、それが正しい政策であれば、
いずれ落ち着いて必ず浸透するということだ。

政策、つまり緻密に練り上げられた戦略こそが命だということだ。

これは経営コンサルティングという仕事においても絶⼤な⼒を発揮した。

思わぬところで役⽴って、本当におかげさまである。

4年⽣の時、2⽇しか学校に⾏かなかった僕を卒業させてくれた、
卒論担当の宮腰英⼀先⽣は当時助教授だったけど、
昨年から学部⻑になられたと吉報があった。

おめでとうございます。

追伸.
もう時効だと思うから告⽩します。
あの卒論は1年⽣のゴールデンウィークに書いたもので、
参考⽂献はすべて後からのこじつけでした。

...千田琢哉(2010年9月13日発行の次代創造館ブログより)

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