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勇気の出し惜しみ

高校三年生の三月頃の話。

(もう八年は前の話になると思うので、もしお店を特定されましても、今のそのお店とは従業員も変わっていると思われますので、そこのところはご了承いただきたい)

僕はたまプラーザの某ラーメン店でアルバイトをしていた。お店の大きさはお客さんが十五人で満席になるほどの規模で、ランチタイムは大体二人か三人で回していた。

僕はこのお店で勤め始めて一週間経った頃から、以前に別なラーメン屋さんで一年二ヶ月の勤務経験があったため、すぐに先輩と二人でお店を回すスタイルが主流になっていた。

そしてアルバイトを始めて二週間くらいの頃、事件が起きた。

僕は夜間の定時制高校に通っていたため、午前九時にお店に出勤して十一時の開店までに準備を済ませるところから僕の仕事が始まる。

しかし、僕が朝八時五十分にお店の前に着くと、いつも手で開けられるはずの止まった自動ドアが開かなかった。鍵を持っていない僕に入る方法はなく、相手を待つしかない。この日は店長と二人きりでお店を回すシフトになっていたはず……。

きっと何かの手違いで鍵を締め直してしまい、奥のバックヤードに入ってしまったのだろうと思い、重く閉ざされた不動ドアをノックしてみる。

反応がない。

僕には超能力があるわけではないけど、外からでもお店の中に人がいる気配は感じられなかった。(書いてて思ったけどお店が小さいからだった)

当時の僕はPodcastが好きで、いつものようにイヤホンから流れるラジオを聴きながら店長を待つことにしたが、とうとう九時を回っても店長は現れなかった。

正直、僕はアルバイトが嫌いでしょうがなかった。けれど貯金をしなければならない状況にあったこともあって我慢して続けていたが、この日の店長の遅刻は僕にとって言い得ぬ緊張感を湧き上がらせた。

(バイトしたくないし、帰っちゃおうかな)

にわかにそんな考えが思い浮かぶと、途端にPodcastの内容が頭に入ってこなくなっていた。けれど、仕事をすっぽかして帰ることなどしたこともなければ、その勇気も出てこなかった。

時刻は九時三十分を過ぎ、やがて僕は十一時の開店に準備が間に合わせられるかの不安が大きくなってきた。

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『帰ってしまいたい』

『そんなことは出来ない』

『でもこの状況は僕のせいじゃない』

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今の僕の頭の中はこの三つの言葉で説明がついた。

決して超自然的に開くことのないお店の前で、一人でまごまごと過ごすことにも限界が近づいてきた。

『そうだ、十時を過ぎても来なかったら帰ってしまおう。お店が休みになったのかと思いました~とか、適当な理由をつければそこまで怒られることもないだろう』

当時の思考回路では、まあまあ体のいい言い訳だと納得出来た。高校生時分の責任感とは儚いものだと大人になった今では思える。

そうこうしているうちに、決断の刻が訪れた。

午前十時――、僕の足はどこへも向かう勇気はなかった。

結局のところ午前十時二十分ごろ、「ごめんね~!」と焦った様子で店長が走って現れた。

僕はまだ幼く、このお店で勤めて間もないこともあり、店長に対してどんな言葉をかければ良いかも分からず、何も言えずに仕事に入った。

その日は、時間の都合で最低限の清掃を済ませ、開店時間を過ぎても仕込みをしながらなんとか乗り切った。店長はいつも優しく朗らかに仕事を教えてくれたり対応してくれる人だったので、僕は憎むことも出来なかった。


このエピソードを思い出して書いているうちに、今の僕なら当時の店長に何を伝えようかと考えてみると、答えはすぐに出た。

「来てくれて、ありがとうございます」

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