見出し画像

<体験談>心理検査なし/成人女性のASD診断について

 どうも。アスピー母ちゃんの千四里(せんよんり)です。
 子育て中の皆さん、毎日お勤め(?)ご苦労様です。
 
 昨日は長男くんが予防接種の注射を怖がって病院で大暴れし、母ちゃん疲労困憊…「こんな日は酒を飲んで寝るに限る!」と手に取った、アサヒの新作「GINON(ジノン)」の美味しさがしみました(´;ω;`)

 本日は「アスピー母ちゃんが41歳でASDと診断された経緯」をご紹介します。今回の記事を通して「女性の神経発達症(発達障害)とは?」について、一緒に考えていただけたら嬉しいです。良かったら最後までお付き合いくださいませ^^

※この体験談は、あくまで私「アスピー母ちゃん千四里」一個人のケースとしてお読みください。


昔から抱えていた違和感の正体は「発達特性」が原因?

 私をASDと診断したのは、子どもの主治医(児童精神科医)です。
 
 先生は「親が抱える育児への困り感を、子どもの診察を通して一緒に考えていく」という方針の下、親のメンタルヘルスにも気をかけてくださる方だったため、子どもの定期通院の際、私自身のことも時々相談させてもらっていました。

 長男が4歳で「広汎性発達障害(※診断当時/後にASDと診断名が変更)」と診断されて以来、神経発達症(発達障害)に関する知識を貪るように吸収してきた私は、段々「私自身にも発達特性があるかもしれない」と感じ始めていました。例えば…

・幼少期はひとり遊びが多かった(親が集団に私を入れても、いつの間にかひとり遊びに戻っていた)。
・中学校で交友関係をうまく築けず、イジメに遭った。
・高校生のとき「昔私の父が、私の母の手術日に普段通り出勤して、周囲をドン引きさせた」という話を聞いて、父の行動の何が問題なのかがとっさに分からなかった(母が「そういうときは普通、仕事休んで付き添うもんでしょ!」と言ったのを聞いて「付き添っても手術には何の影響もないのに…」と思いながらも、「自分は同じヘマをしないよう気をつけよう」と記憶に留めておいた)。
・大学生のときに一緒に遊びに行った友人から、帰宅後何故か「ゴメンね(泣)」というメールが送られてきた(私が何か言ってしまったのか、仏頂面で怖がらせてしまったのか…今でも原因は不明)。
・ASDの我が子の行動に対する、周囲との認識の差を感じる(例:周囲の人は長男のひとりごとを頻繁に止めようとするが、私は周囲の人程その必要性が感じられない など)。etc…

「AS(アスペルガー)傾向ではあっても、D(disorder:症/障害)ではない」

 数あるエピソードの中で、私が最も懸念していたのは「ASDの我が子の行動に対する認識が、周囲とずれている」ように感じていたことです。自分の発達特性が原因で私自身に問題が降りかかるならまだしも、そのことで子どもが割を食うのはかなり問題だと思いました。

 そんな心配を主治医に相談するも、先生は決まって「お母さんの場合はAS(アスペルガー)傾向はあっても、D(disorder:症/障害)はつかないと思うよ」と仰るばかり…。実母に私の幼少期のことを聞いても「大人しくて育てやすかった」としか言われないため、「やっぱり気のせいかなぁ…」と思っていました。

 しかしある時、個人的に非常にショックなことがあり、落ち込んで精神的にかなり不安定になってしまったことがありました。子どもたちの定期通院の頃には多少落ち着いてはいたのですが、近況報告もかねて先生にそのことを話してみると「今度心理検査が取れそうだから、一度お母さんも診察してあげようか」と言ってくださったのです。

神経発達症(発達障害)の問診票では、ことごとく「該当なし」

 次回の私自身の診察に備えて、自宅で病院指定の問診表に記入し、遠方に住んでいる親には、幼少期のエピソードや子育ての困り感がなかったかを調べるための「ヒアリングシート」を記入してもらいました。

 ところが、問診表の設問(恐らく該当箇所が多いほど発達特性が強いと考えられるもの)をチェックするも、ことごとく答えは「NO(該当なし)」。
 養育者へのヒアリングシートも「すごく育てやすかったし、特に困ったことなんて何もなかったんだけど…」と困惑していた母の言葉通り、ほとんど何も記入されることなく返ってきました。

いよいよ診察の日…

 診察当日は、ほぼまっさらの状態の問診票とヒアリングシートを主治医に提出後、いくつか口頭で質問をされました。ざっくりと内容をまとめると

・子どもの頃や学生時代に、友だちは何人くらいいたか
・そのとき、交友関係で困ったことやトラブルなどはあったか
・人間関係で、自分なりに工夫したことはあるか

など、その多くが子どもの頃の人間関係やその対処法に関するものでした。      

 私の回答をひととおり聞くと先生は、
「そうだねぇ。お母さんも…子どもたちと同じ…かなぁ」と、少し困ったような笑顔を浮かべて私に告げたのです。

私が問診だけでASDと診断された理由とは

 先生の言葉を字面通り受け止めれば、はっきりと私を「ASD」と断言してはおらず、あくまで「”ASD”と診断されている私の子どもと同じ」という言い方をしているに過ぎません。しかし「ASDと診断可能な範疇にいる」と解釈しても差し支えないと、私は考えています。

 続けて先生はこのように仰いました。

「現在の診断基準は、男の子(男性)がベースになっているんだ。女の子は男の子に比べて周囲に合わせて演じることが上手いからね。(例え問診票の設問や、養育者からのヒアリングシートに該当箇所が少なくても)お母さん自身の幼少期や学生時代のエピソード、そのときの感じ方を聞くと、これまで私が見てきた多くのASDの子どもたち特有の物を持っているし、実際彼らによく見られるような進路を選択してきているよ」と。

 私の回答のうち、先生が特に興味深そうに聞かれていたのは「人と関わる際、私が周囲の人をタイプ別に分類し(例:この人は中学時代の○○さんと性格が似ている)、そのタイプに応じて自分を演じ分けていた(例:もし高校時代のクラスのムードメーカー△△さんだったら、きっと〇〇さんタイプのこの人には、こんな声かけをするだろう)」というエピソードでした。

 この「演じる」という特徴こそ、女性の神経発達症(発達障害/私の場合はASD)によく見られる特徴であり、時に医師さえ診断が難しいとされる所以でもあるようです。

生まれてくる時代や環境によって、「D(disorder:症/障害)」が付くことも

 さらに先生は、このように言われました。

「もしお母さんが今60代くらいだったら、恐らく自分の発達特性に全く気付くことなく一生を終えるタイプの人だったと思うよ。逆に今の時代に子どもだったら、ASDの診断がついていたかもしれない。お母さんが今まで社会になんとか適応できていたのは、お母さん自身に周囲を見て学習する力が備わっていたからだろうね。」
 
 「一昔前のAS特性のある女の子は、その多くが自身の特性に苦労しながらも女性特有の適応能力を使って成長し、大人になる頃には現在のD(disorder:症/障害)の基準を満たさない水準になっていることも多いと思うんだ。だから現在の診断基準ではASDに該当しないAS特性の女性も少なくないだろうし、それを見つけるのも簡単なことじゃない。だから今日お母さんのエピソードを聞けたのは、医者として貴重な経験で嬉しく思っているよ」と。

ASDと診断されてから変わったこと

 問診の前は「問診票もヒアリングシートも該当箇所が少なすぎるし、心理検査の結果も踏まえて判断されるんだろうな」と思っていたため、心理検査なしで診断されたのは、かなり驚きでした。

 そして心理検査に関しては、もともとお願いした上で診察に臨んだため、希望すれば問診後に受けられなくはなかったのですが、児童精神科医である先生のご厚意で診ていただいたことや、他に心理検査を必要としている患者さんがいらしたようだったので、その時点で心理検査は受けないことに決めました。

 こうして当初の予想よりもかなり早く、心理検査を経ず問診のみで、私にASDの診断が下りることとなりました。

「神経発達症(発達障害)と診断されてから、自分の生きづらさの理由が分かり、ホッとする人も少なくない」という当事者の話を耳にしたことはありました。実際に自分も同じ経験を経て感じたのは、昔から抱いていた様々な違和感に対する、答えのヒントが与えられたような気持ちになったことです。

 それはあたかも、自分の背後から別の視点で物事を見つめるもうひとりの自分(例:「定型発達の人は、もしかしたらこう考えたり、感じたりするかもしれない」と考えられる など)ができたような、そんな感覚です。

 しかし当然のことながら、必ずしも違和感の全てが「発達特性」に由来するものではないでしょう。私はおそらく(ASDの特性からかもしれませんが)どちらかと言えば「白黒ハッキリつけたい」タイプの人間で、何事も自分なりの答えが導けないと落ち着かず、気持ち悪く感じてしまいがちです。

 でも自分がASDと診断されてからは、「分からないものは、分からないまま置いておくこともアリ」と考えられるようになりました。それは自分の思考の癖が自覚できるようになったからこその収穫だと思います。

 今回の記事が参考になりましたら、反応していただけると記事作成の励みになります♪
 ではまた次回、お会いしましょう(*^^*)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?