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別府リトリート⑧


①②③④⑤⑥⑦はコチラから↓


もとこさんセッションのとき

こだわり捨てる
好きでこだわってること
何も書けない
苦しい
好きでこだわってるものなんて何もない
疲れた
ずっとすっと疲れてた
ずっとへりのへりのもうどこにも進めないところまで行って、頑張り続けてた
イキり続けてた
本当はずーーーーと前から疲れてた
絶望感の中で生きていた
本当は後は上に行くしかない
壁は自分でつくっているだけだって気づいてた
でも壊し方がわからなくて
でもそれは後は崩壊するしかなかった
まさに自己のアイデンティティの崩壊が起きた
号泣
前から人前で話す時に、自分の番が回ってくるまで心臓が爆発しそうだった
どうやって上手く話そう、上手にスマートに説明しよう
それはクラスで質問するときも同じ
何度も頭の中でぐるぐる練習して、それもほとほと疲れていた
自分の番が回って来たら、あたかも何でもないことのように振る舞って、わたし全然大丈夫ですを装って
武装することに本当に本当に疲れていた
武装することにエネルギーを注ぎすぎて本当は全然自分を守れていなかったし、何にもできなかった
でもそれは弱い自分を守るのに自分ができる全てだった
と、思い込んでいたし、そういう設定にしていた
ありのままの自分で生きたらどうなっちゃうの?
本当はそれがどんなに素敵なことかわかっていたけどわからないことにしていた
こだわりはわたしの全てで、わたしの全てがこだわりだった
こだわりはわたしの武装だった
甲冑のようにそのこだわりを張り合わせ、一寸の隙なく固め、外界からの全てから自分を防御しようとしていた
あまりに固くて重くて麻痺していた
そんなんだから、攻撃や自分にとって害となるものでなく、愛や人の優しさや柔らかさも受け入れられなかった
だってそれを受け入れたら完璧な防御に隙ができてしまうから

でも、無になること=ありのままの自分であること、その自分にに立ち戻ることは何よりも無双状態になることだった
ありのままの自分、ただの自分である事こそ無敵で最強だった
そこには外からのなんちゃらなんて関係ないから

無はわたしの宇宙であり、わたしの宇宙は無だった
そこからしか生まれないし、ただそれだけでいい

わたしはわたしであるだけでわたし王国の王だった


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↑これは、リトリートが終わってから思うままにばーとメモしたもの。

リトリートが終わりましたという最終日の時は言語化できず、あえてしようともしなかった言葉たちは、数日後(だっけか?)にすらすらーと降りてきた。

↓ほんでこれも後からじわじわ感じた事(だったと思う。すでに過去w)

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その時は言葉にできないし
たまに自分の中で色々なことが繋がるけど
それを説明することはできなかった
でも意外と馴染みは早く
かつシンプルだった
本当に難しくすることが好きだった
なんかその方がかっこいいし
本質に触れなくて済むから
厨二病は冗談めかして言っていたがガチのガチなことも本当はわかってた
本当に抜けてしまえばなーんだという軽さ
変な話、たぶんこの人生を終えてそらにかえるときもそう感じるんだと思う

今までは過去のわたしを嫌悪したり軽んじたり蔑ろにして蔑んでいたけど、今は本当に愛おしく感じる
たくさんハグしてよしよししてあげたい
とっても不器用で自分に一番素直じゃなかったけど、よく尽くしてくれようとしたし、本当に頑張ってくれた
ありがとうと伝えたい
限界をこえてからもがんばれるわたし
ガッツがありすぎてすごすぎる

このエネルギーをシンプルに素直に使っていけたら、本当に望む王国なんてすぐにできちゃうんじゃないかと感じる
調子に乗るのも本当は得意だから
楽しみんみんゼミ


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別府リトリートまでにわたしには何があって、これもして、あれもしてみて、からのリトリートセッションでこんな反応がわたしの中に起きていて〜、、、

も、言語化しようと思ったけれど、その前から続く大きな流れの中にあるし、それはまだ続いていて、なんか説明するというのも今の自分に対して野暮なように思う。


すごくシンプルにまとめると、このリトリートの中であの瞬間、自分の世界が崩れ落ちた瞬間とともに「アイディンティティーの崩壊が起きた…」なんて感じたけれど、その実『魂の上に塗り固めて来たものが剥がれ落ちた』という事なんだろうと思った。

これはここ何年か自分と深く向き合い続けて来た最重要テーマだったと言っても過言ではないと思う。

“ありのままの自分“の上に、この社会に適合する為に何重にも着込んで来た、別の言い方をすると搭載しまくって来た多大な後付けハードディスク。

それはそれは重かった、、、

を、やっと脱ぐ事を自覚はなくとも奥深くで決めてこのリトリートに申し込んだと思う。


MOTOKOさんのグループワーク(対話式)とエネルギーワークはセットで、この生まれ変わり劇のようなものは起きたと感じる。

エネルギーワークの時には本当に自分で出産し、そして自分が産まれ出たようなエネルギーを感じたし、まるで硬く覆われたさなぎの中から孵化したような感覚も味わったから。

自分の体感では本当にパワフルな空間で、でもとても柔らかく温かい愛で見守られている安心感の中で受ける事ができた。

あの時空いていた窓から入り込んで来た別府の、あの生暖かい風を今でも覚えている。

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