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フィクションにおける「許せない」を考える

 道明寺ってマジで最低なやつなんですよ。花より男子の。
 みなさんもドラマの、松本潤さんの演じるちょっと情けなくて顔がべらぼうに美しい道明寺に、「最初はやなやつだと思ってたけど」「でも花沢類の方が絶対いいだろ」くらいのイメージしか持ってらっしゃらないと思うんですけど、牧野に出会うまでの悪行が凄まじい。暴力に次ぐ暴力、犯罪スレスレどころかど真ん中の行為をはたらいて権力で揉み消すということをやってきた人間なんですよね。それが真の王子・牧野に出会って変わっていく、という物語の建て付けなんですけど、それって許されていいの?って読んでて思う人も少なくないと思います。

 Free !ってアニメあったでしょ。水泳の。
 1期の最終回って当時かなり賛否両論に終わったじゃないですか。水泳で失った友達を水泳で取り戻すために、主人公たちが自分たちのチームから一人外して、登録外の選手とリレーやるんですよ。賛否の争点は主に「競技ルールを破ったこと」だったと思うんですけど、スポーツものでそれをやっていいのか、と感じる人がいるのは当然かと思います。

 最近ネトフリにハリー・ポッターが入ったので見返してたんですけど、友達がね、言うんですよ。「原作でハリーが癇癪を起こしてサンドイッチを湖に投げ捨てるところが許せなくて読むのやめた」って。映画にそのシーンはないんですけど、ハリーポッターが食べ物を粗末にしたことが許せなかった友達のその言葉がちらついて、ハリーが癇癪を起こすたびに面白くなってしまいましたね。ダメだよね。ハーマイオニーが心配して持ってきてくれたサンドイッチだったのにね。

 そういうフィクションにおける登場人物の「許せない」ポイントが物語への評価を阻害するパターンっていくらでもあるじゃないですか。他にも友達から「医者なのに新たに元殺し屋であるという設定が追加されてそのキャラクターに幻滅した」という真剣な愚痴を滔々と聞かされたこともあるし、例を挙げればキリがありません。
 ただそれはフィクションが現実のうつし鏡であり、現実もまたフィクションに多分に影響を受けるということを理解した作り手によるものである限り、丁寧その境界が線引きされている傾向にあるように感じます。

 「美しい彼」っていう名作ドラマがあるんですけど、主人公たち、恋するふたり、平良と清居って全然いい奴らじゃないんです。
 清居は平気な顔でクラスメイトをパシるし口は悪いし「死ね」とかすぐ言うし心の中で周りの人間に対してめちゃくちゃ悪態をつくし、平良は平良でパシられる側でありながらどこか残酷で暴力性を持っている。もちろんそうなった理由らしきものは描かれるのですが、だからといって無辜の弱者では決してない。

 原作の続編、これは近いうちに実写版でも続編として公開されるはずのエピソードですが、俳優になった清居を、その恋人になったはずの平良がファンとして熱心に応援するという、二人の一風変わった関係を表すくだりがあります。平良は清居の仕事現場に現れ、そこにいる所謂「出待ち」の一団に加わります。
 道明寺にうつつを抜かし、イワトビ高校水泳部のみんなのリレーに感動し、ハリーの癇癪を笑って見ていた上、清居のイジメ行為も平良のストーカー行為もフィクションとして難なく受容していた私が、この「出待ち」だけ、許せなかったんです。え、そんなことある?

 オープンに出待ちがよしとされている現場を、私は宝塚くらいしか知りませんので(極めてグレーでありながら出待ちがシステム化されているいくつかの場の存在は知っていますが、やはり一般的ではないかと思います)平良のそれはマナー違反や迷惑行為に当たるものと考えます。なぜそこまでして平良は清居の「ファン活」を続けるのか?清居を深く愛しているから?それが平良の愛情表現だから?グレーな行為だと分かっていてもやらずにはいられない人間らしさの発露?単純に平良というキャラクターに常識がないから?
 そんな深読みする必要ないんですよ。平良が清居の出待ちをするのは、平良の常識がないからではなく、作者の常識がないからです。

 美しい彼というのは社会的人間関係の位置付けが恋愛において逆転することがそのまま物語の魅力に直結している作品であり、関係性の描写、その構造で勝利している作品だと思っています。ところが二人の関係を描くことが目的化して、取り扱う要素に対してリサーチを行わずなんとなくのイメージで書かれていると分かってしまう瞬間が、凪良ゆう先生の作品にはあまりにも多い。
 周辺のキャラクターについては描写のほぼすべてがそうで、例えば平良の親戚の夫。有名な二世議員で国会で中身のない“迷言”を繰り返す、というような人物が登場します。ほんのりと、いやはっきりと現実にいる特定の誰かを思い起こさせるキャラクター描写です。その上浮気を繰り返している、という描かれ方までする。ところが彼が物語の流れやテーマに本質的に寄与するかと言うと、別にしないんですよ。ただそれっぽい人物が出てきてなんとなく皮肉られて、それで終わり。ここで想起される現実の政治家を、私個人は政治家として全く評価していませんが、このように雑に、ミーム的にフィクションに引用されていいとは思いません。
 例えば清居の所属する事務所の同僚女優。彼女と付き合っている大手事務所の中堅アイドル。付き合っていることがバレてインターネットで大炎上。何故か清居にも飛び火して清居まで大炎上。いや清居が平良と付き合っていることが週刊誌にすっぱ抜かれて、芸能人のプライベートに踏み込むことの是非、みたいなところが描かれるならまだギリ分かる。ところが架空の中堅ジャニーズと架空の二階堂ふみの恋愛・炎上に巻き込まれた平良と清居がアイドルファンをこき下ろして終わりですからね。もはやそこに平良という人間も清居という人間も存在せず、作者がひとり、暗がりに立っている。
 例えば平良がプロの門戸を叩くために本気で取り組んだ写真作品。「沖縄」の「廃病院」でヌードを撮影し、その後どうやら「何か」を連れて帰ってきてしまったらしい…そんなエピソードをわざわざ「沖縄」を使って書けてしまう理由は、おそらく「本当に何も知らない」か逆に「書いても問題ない、もしくは敢えて書くという強固な思想を持っている」かのどちらかです。

 凪良先生が描く世界を、「生きづらさに寄り添う」ものと信じて受容している方は少なくないと思います。いつだって世間のマジョリティに迎合しきれない、少しの哀しさを持った人物を取り上げているからです。もしそのことであなたが彼女の作品に救われたのであればそれは美しいことだと思います。
 けれど私は彼女が書くものを、弱者や性的少数者、不幸な経験に傷ついている人間に寄り添っていると感じたことは一度もありません。作者が思い描く解像度の低い理想を正当化するために、現実に存在する何かが踏みにじられるのを、作中何度も見せられてきたからです。そしてそれは結局、作中のフィクションに留まってはいないのではないでしょうか。

中国語繁体字版『悩ましい彼』『Inter rude美しい彼番外編』の見本をいただきました。(中略)中国の皆さんにも楽しんでもらえますように。

凪良ゆう 削除済ツイートより引用

 台湾で美しい彼台湾華語(繁体字)版として出版された際の凪良先生のツイートです。

 過去には以下のようなツイートもしています。

ドラマ『美しい彼』、中国の皆さんがたくさん見て下さっているようで本当に嬉しいです。ありがとう。
原作の中国語版はないのかという質問をいただいたので、以前に出してもらった台湾版の写真を上げておきますね。ドラマと一緒に原作小説も楽しんでもらえると嬉しいです。

https://twitter.com/nagira_yuu/status/1467100904520560640?s=46&t=Cwco3nQdcOnfNs4HsreAIA

 ここから分かるのは、凪良先生がおそらく台湾を中国の一部であると認識している、もしくは近しい言語を共有する友人関係にあると認識していることです。台湾と中国の関係については詳しく説明しません。知らなければ自分で調べてね。

 ただ、BLをめぐる二国間の状況については敢えて説明が必要かと思います。(私もよく知りませんでしたが今回知る機会を得ました)

 中国ではBL作品について厳しい規制が行われており、正規の販路で中国語(簡体字・simplified chinese)のBL作品を手に入れることはできません。ただし、台湾では台湾華語(繁体字・traditional chinese)のBL作品(日本語から翻訳されたものを含む)が正規に流通しているようです。凪良先生がツイートしていたのはこのことです。しかし禁止されている中国にもBLを嗜むファンは存在します。彼女らは台湾で繁体字で出版されている作品を簡体字に翻訳したものをコッソリ回し読みしている、という状況のようです。褒められたものではないとは思いますが、そこに正規市場がない限り発生し得る状況ではあると思います。(このことで短絡的に中国ヘイトに傾く人もそこそこ観測したのでそれだけはやめてほしいです)

 先の凪良先生の削除されたツイートには、主に台湾の方から厳しい指摘が舞い込みました。当然のことかと思います。台湾国内向けに翻訳され、出版されたものを以て「中国のみなさん」への感謝を述べるということは、正規ルートで作品を手に取ってくれている台湾のファンを無視することに他ならないからです。同時に、明らかに、台湾と中国との政治的諸問題における自らの立場を明らかにする行為でもあります。つまり、台湾を独立国と認めない立場です。

 ここで更にまずかったのは、凪良先生があろうことか善意の指摘を行なった台湾のファンを次々とブロックしたことです。どうしてそんなことをしたのか理解に苦しみますが、最後は問題のツイートを削除し、次のツイートで幕引きを図りました。

私のミスと勘違いのせいで大切なファンを傷つけてしまいました。私自身にも作品にも、政治的意図はありません。今後、一層勉強し発言にも気を配っていきます。この度は申し訳ありませんでした。

https://twitter.com/nagira_yuu/status/1595554341112664065?s=46&t=Cwco3nQdcOnfNs4HsreAIA

 傍目には凪良先生が台湾と中国の関係を知った上でドラマ実写化で爆発的に増えた中国のファンの方を選択し、台湾を切り捨てた、そんな風に見えていました。けれど、ミスと勘違い、確かにそうだったのかもしれません。凪良先生は本当に、知らなかったんでしょう。ふわっとした認識で、大した問題だとも思わず、そうしてしまったのだろうと思います。
 知らなかったから、踏めたんです。
 でも踏んだ後で無知だったことを明らかにするわけにはいきません。なぜならその瞬間、知った上での立場の表明を要請される、もしくは知ったこと自体が自明の立場の表明になる。つまり、台湾は独立国で、中国のファンは自分の客ではないと。
 だから何も知らずに踏んだ時点で詰むんですよこの問題は。そりゃ適当にしらばっくれて「政治的な意図はありません」なんていうあまりにも政治的な言い訳に終始するしかないんです。不誠実ですが、誠実になったらそれで食べている人間としてはおしまいになります。凪良先生は非BLの小説も精力的に出版されていて、実写映画化され、今年の日本アカデミー賞にノミネートされた『流浪の月』は中国でも出版されている、という背景はその身の振り方に多分に影響したものと思われます。
 いや、厳密には誠実になる道もなくはないんですよ。中国市場を切り捨てて、台湾に向き合って生きていくとか、逆に台湾市場からBLを引き上げヘテロ小説を中国で売る方向にシフトするとか。でもまあ、出版社はそんなことさせないよね。どっちもね。

 凪良先生の場合はその無自覚さが作品の内でも外でも大氾濫してそんな状況を招いているわけですが、ほんと作者と作品は別だなんて嘘ですよ。これいまだに言ってる人たくさんいるけど。そんなわけないじゃん。だから、自分が何を知らないか、何を大切にしているのか、何を受容できて何を踏めるのか、つまびらかにするって本当に恐ろしい行為だなって思うんです。それがフィクションの中であっても。自分の観測範囲やどの席に座っているか、自分じゃよく見えないし。

 高校の時、他校の顔がかっこよくて身綺麗で親が金持ちで勉強が出来る男と付き合ってたんですけど、彼と同じ中学だった共通の友人たちからやたらと評判が悪かったんですよね。なぜかと言うと「いじめられてた」って言うんですよ。
 あの時、それを知った瞬間、どうして別れなかったんだろうって、思い返して思うことがあります。いや、分かってるんですほんとは。どうして別れなかったって、高校生の私にとって恋人を選ぶ条件が「上等な(風に見える)男」だったから。「正しい人間である」ことは若さにとって重要ではなかった。それが私を好いてくれている友人たちよりも優先される程度には。

 人間、経験や持ち物によって視座が変わるし受容できるものできないものもまるっきり変わります。それは抗いようがないほどに自分では動かし難い瞬間があって、だからこそ注意深く自分の目線や立場を設定し直し続ける必要があると思っています。でなければ私はいくらでも残酷になれるし、いつでもあなたを、あの子を、あの子たちを、踏みつけようとするから。じゃあな。