悲しい
どいつもこいつもミッシェルガンエレファントの話ばっかりしやがってさ~!?!?!?!?
20年前ですよ解散したの。活動期間10年もないの。で、それからROSSOがあって、MIDNIGHT BANKROBBERSがあって、SNAKE ON THE BEACHがあって、The Birthdayがあって、あってさ、あったんだよ。
とかさ。
バースデイはずっと、ずっと、10年以上、毎年新譜出してライブやってた。新曲が出るたびに毎回、必ず思ったんですよ。「チバ、変わったなあ」って。なんかもぞもぞするような嬉しい気持ちで。そういう風にバースデイはいつだって、私に、新しかった。それが、ずっとだった。
とかさ。
チバはさ、「俺はバンドしかできねえ」って言って、ソロプロジェクトのSNAKE ON THE BEACHやったのだってびっくりだったくらいだけど、とにかくいつもロックンロールバンドの真ん中に立ってる人だった。そういうバンドのフロントマンって、昔のバンドの曲も、やるじゃん。大体。やる権利があるじゃん。やってくれたらうれしいし。ベンジーだってJUDEでガソリンの揺れ方やるし、向井秀徳だってソロのアコエレでOMOIDE IN MY HEADやるじゃん。チバは、やらなかった。世界の終わりも、スモーキンビリーも、ゲットアップルーシーも。
とかさ。
チバはバースデイ始めてからずっと、今と未来のことを歌っていたと思うんだよね。私はチバが今と未来の話をしてくれ続けていたから、”あの頃”に取り残されずに生きてこれたんだと思うんですよ。
とかさ。
とかさ。
とかさ。
こういうの全部、おまえらミッシェルの話ばっかりしやがってとかさ、最近の曲ろくに聴いてねえだろとかさ、そういう怒~の感情とかさ、反対にやっぱチバの音楽って最高だったよなセンキューセンキューキスキスアイラブユーみたいな、喜だの楽だのの感情とかさ、次々湧き上がってくる全部、多分心の防御反応なんだと思うのね。だからここまで私が書いたこと、特に怒~の部分は君も真に受けないでほしいんだけど。
大体の”悲しみ”ってそうやって、防御反応で生まれた周辺感情に紛れて、「好きなロックンロールスターが死んだ」みたいな話だと殊更に、悲しみただそれだけそのものの輪郭が曖昧になる。悲しみだけをきっかり誤差なく取り出して眺めてみようとしても、喜びや怒りや楽しみとはか明らかに違ってよく見えない。私は今まで一度だってそのことに向き合って来なかったんだと思う。怒りや”エモ”を悲しみとごちゃまぜにして。
チバの歌は、こんなふうにその時々の私を言い当てるみたいに降ってくる神様の声だった。チバが今を生きて、未来を歌うことは私をより良いものにした。カッコよかった。神経を奮い立たせる音と声だった。
もうミッシェルガンエレファントに出会った頃の子供じゃないから、生きていくよるべなんていくらでもある。憧れの気持ちだけで頭をいっぱいにしていられた思春期はとうに過ぎたから、働いて、考えて、暮らしていくすべをいくらかは知ってる。
死んだって聞いたその日も、その次の日もいつも通り働いたよ。サクサク手を動かしてカラカラと喋って、何も変わらなかった。でも前にちょっと話したんだったかな、好きなボーカルが癌でさ、って。そのことを覚えててくれた人が声かけてくれたんだ。そうなの、って返事しようとして、声が出なかった。
私たちが喪ったのは、”最高だったあの頃”じゃなくて、この言葉を高らかに叫ぶ”チバがいる今”だ。
それが何よりも耐えがたく、悲しい。
だってチバはジョンレノンになっちゃったから。
心細いよ。今、あんたがいないことが。明日、あんたがいないことが。
私はいつまであの声を、今と未来だと思い続けることができるだろう。
今が今だった頃を振り返るだけの人間にならずに、どこまでやっていけるだろう。
ねえまた会おうよ、チバ。私はずっと今で、未来で、チバの声を聴くよ。
もうラブアンドピースなんてロックンロールの中にしかないのかもって、思い知らされるような世界でもさ。
だから、まあ、じゃあね。