汎神論的「なんでものらきゃっと」
「なんでものらきゃっと」とは「のらきゃっとを通じて全てを楽しむ」 ということです。(提唱者はAtreeさん)
加えて、私は「のらきゃっとを通じて全てを許容する」と意味で使おうとしています。
・どういうことなのか
人それぞれ肯定したいこと、否定したいことは様々にあることでしょう。自分の立場や正義、性格など理由は様々です。
しかし、かつて否定したものと今肯定している存在が一致する場合、どうするべきかすぐに判断することは難しいものです。
ここで両方を許容して冷静に考えることが私の「なんでものらきゃっと」です。
・すべてを「のらきゃっと」とすることでどう変わるか
「のらきゃっと」はその存在形式から、不確実さと確実さを併せ持っています。これが私の「なんでものらきゃっと」にしやすい理由です。
肯定したい事物と接触した時、「のらちゃん、ねずみさんにもこういう性質がありますね」などと考えると両方を楽しむことができます。
一方、否定したい事物と接触した時、つい言い過ぎてしまったり、普段の自分を攻撃してしまうことがあります。
しかし、「のらきゃっとかもしれない」「のらきゃっとになりそう」と一度考えることで中庸な立場で考えることが可能になります。
つまり、感情的にならず冷静に考えるという難しい行為の助けにできるのです。
それでものらきゃっとにならなかった時は敗北です。悲しい。
・汎神論
元の考え方として汎神論を利用しています。汎神論とは「すべては神の一部である」とする考え方です。神でないものは存在しません。
私も神、読者のあなたも神、人を構成する水、酸素原子、電子…と無限に細分化してもすべて神そのものであります。概念や心理もすべて神の性質です。
八百万の神という言葉で混同されやすいですが、日本に普及している「神道」は特別な現象や物に対して信仰するものです。太陽や豊穣の神は在っても草の1本や路傍の石にまで神性を見出せるでしょうか。
「神は万物を作った」り、「神は超人的な能力をもつ」ことでもありません。
・だから何?
全ては等しく神であるから、「神(信仰対象)」に反することを理由に否定されません。
ほかの宗教も否定しません。同調するとは限りませんがその考え方もまた神の一部、あるいは別の角度から見た同じ神であるとして受け入れます。
・科学信仰
科学の発展によりたくさんの未知に答えをだしてきました。これからも科学が終わることはないでしょう。科学を万能だと考えたことのある人は少なくない事と思います。
しかし、科学で未知を滅ぼすことはできません。
たとえば、雷は何なのか分からないために「神鳴り」、つまり神によるものだと考えられました。しかし科学により電気と説明することで一つの未知を解くこと=神殺しに成功しました。すると同時にどこから、どのように電気が生まれたのか、電気があるとなぜ雷になるか、と言うように同時に未知を産んでいます。
故に、科学をどこまできわめても未知を解ききることは不可能だと考えています。
ここで、全ては再び神になります。未知を解いたという錯覚もまた神になったのです。全てを神とすれば、「それが神だ」としてすべての未知を既知と共に受け入れることができます。
・結論?
科学信仰と「なんでものらきゃっと」を併用して未知と既知を読み解きます。
とはいえ気を張って考えすぎても疲れるので、たまには思考を放棄して休んでもいいんですよ。楽にしましょう。
すごいものを神曲、神回というように『神』の一言で信仰するのも楽しいものです。
より効果的に『神』を楽しむには、別の信仰を複数併せ持ってもいいかもしれません。互いに対立しても汎神論の前には許容されるので。
・最後に
「この用語はそうじゃない」などありましたら教えてもらえると助かります。名前を勝手に使っているものの、正しく理解できているかは分からないので…。それもまた神
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?