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水に挿した花(歌・中森明菜)の衝撃

未だに衝撃から抜けきれないまま、折に触れて聞きまくってるこちらの歌。思いあまって切り絵をきってしまいました。うーん、ちょっと雑。

この歌は、描写的な歌詞と語りかけるように歌う中森明菜の声により、ありありとその様が思い浮かびます。”三日月からプラチナの光がもれる”中、かつて幸せだった日々の回想を天使とのやりとりという形をとって展開されていきます。(以下””内は歌詞引用。他は私の妄想です)

天使は彼女に”さぁ 少女のころに かえしてあげましょう”と提案し”かつて愛された日”の記憶が広がります。その記憶に浸り天使の提案を受け入れそうになったところで、恋は永遠のもではなく”だれもが傷つき 罪深いけれど それも愛おしいわ”、そして仮にその時代を返してもらったとて、”形をかえた痛み ふたたび手に入れるだけ”と天使の誘いに乗るのを踏みとどまる。という歌かなと私は思っています。

"三日月” "プラチナの光" ”レースの裾” 部屋の片隅"といった言葉で私の頭の中にはきれいに情景が浮かび上がります。そう、窓の外には月が浮かび、レースの裾はおそらく仄かに風に揺れるレースのカーテン。窓のそばにある一輪挿しに挿してある花が月明かりにかすかに照らされている…。

ん?ちょっとまて、一輪挿しの花どこからでてきた?

これタイトルをみているせいで最初から情景に描き加えられているのですね。ああ、そっかそっか。タイトルに書いてあるもんね、と納得し歌を聞き進めるのですが、なにかがおかしい。

と、ここまでで気になった方は一度曲を聞いてみてください。

違和感の正体

実はこの歌、水に挿された花の描写は一度も出てきません。

が、タイトルをはじめに見ているためにそのイメージを持ったまま曲を聞き進めることになります。そのことで、回想場面は甘く優しく、そこから天使に断りを入れる場面も柔らかくも凛とした表情を想像してしまいます。1輪の花がすっと水に挿してあるような。ですが、最後まできくと

"花瓶の花がしおれそうで 気にかかるの 孤独で 水に挿すことさえ忘れていたわ"

挿さってないーー!花は水に挿されていません!てか枯れちゃう!ねぇ!ちょっと!大丈夫!?ご飯ちゃんと食べてる!?ねぇ!

この展開で一気に今まで脳内で描いていた情景が枯れて朽ちかけた色を帯び、先ほどの断りも強がりなんじゃないか、本当に大丈夫なのか。と不安になってしまいます。そして、枯れそうな花を気にかけながらも”こうしてひとり 肩を抱いて 夢を見るわ”で締めくくられる歌。

やられたー!もう一度聴く!

てな感じでで、延々リピートして聞いています。何度きいても途中の回想シーンでどっぷり甘い記憶に浸ってしまい、ラストで衝撃を受ける中森明菜の歌唱力。素晴らしい。








来年またなにかやれたらいいな