戦い済んで日が暮れて

2022年7月
引っ越ししました。
ワンKの部屋が100余り、ぎっしりと規則正しく蜂の巣のように並んでいる。
どうかスズメバチではなく、穏やかで可愛いミツバチの巣であって欲しいと願いながら、小さな終の棲家での生活が始まった。

ささやかなベランダの外は、意外な広がりを見せてくれる。
下辺は、普通のお家と大小の集合住宅が混在しているが、その向こうには公園の緑が見え、その先は、大きな中層集合住宅が空に突き出している。
やや遠くに丹沢の山が顔を見せ、空の広がりを教えてくれる。
ベランダから首を突き出し覗き見れば、風景の半分は空であり、嬉しい。

育った家は、三方を二階家に囲まれた陋屋だった。十歳の少女がごろりと寝ころんだ部屋の奥は、隣家の裏手と窓枠に囲まれた四角の空だった。首を回せば、五角になった。
確かにそれは空だが、広がりのない偽物だ。雲の動きを確認できない。太陽も月も顔を出さない。風が少しだけ覗き込むだけだ。そんな空があるものか。
十歳は、昼寝を貪り、それ以上は考えない。

長い年月が経った。漆黒の長い髪をお下げに結い、すれ違う老女に良く声を掛けられた。
「綺麗な髪ね」
一人や二人ではない。何人ものひとに褒められた。
他に褒めるところがないからだと思いはするが、10歳そこらでは、それだけだ。

今、その前髪は美しくも銀色に輝く。染めないのが、少し自慢。

わたしの新しい空に、満月が輝き、おかめに変形し、やがて細い細い三日月にと変貌する。
三日月を「赤子の切り爪が飛んだ」という表現に出会ったのは、二十歳の頃だったか。
幾多りも、同じような表現に出会い、この言い回しは使わないぞと思ったものだが、三日月を見るたびに、思い出してしまう。
太陽より月の方が好きだと思うのは、日本人だからか。


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